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触法精神障害者をめぐる問題

池原毅和

1 精神保健・福祉の政策理念と現実

 年間3万人あまりの人が自殺によって亡くなり、中高年のうつ病が増加し、青少年の社会的引きこもりなどの精神的危機が増加してゆくように見える現代社会で、誰もがいつでも安心して精神医療サービスを利用できることが精神保健・福祉施策の基本的な目的とされなければならない。しかし、現実はどうであろうか。精神病院に入院している人は33万人あまりもおり、そのうち入院期間が5年を超える人が43%(14万人超)、平均入院期間はほぼ1年という長さである。精神医療には患者本人の意思によらない強制入院制度があり、不愉快な副作用のある薬でも本人に対するインフォームドコンセントは十分になされないまま服薬を強いられることも稀ではない。患者はインフォームドコンセントが不十分なため、病気の症状とも副作用の結果ともわからない不愉快な状態を長期間甘受し続けなければならない状況に置かれる。電気ショック療法も効果があると見直しを訴える医師もいるが、一方でそのための本人の納得をどのように得るのかを論じる者は少ない。現在ではさすがにロボトミー手術や優生手術は行われていないと思うが、かつてこれらの犠牲にされた人々に対する謝罪はなく、なぜ、その「治療」が間違えであったのかの検証も反省もされていない。任意入院のうちの46%は鍵や鉄格子で自由に外出のできない閉鎖的な施設に入院させられている。不当な入院に対しては精神医療審査会に退院請求ができることになっているが、患者側の退院請求が認められる場合は5%くらいしかない。
 地域に出ても精神障害のある人にこころよくアパートを貸してくれる人は少ない。公営住宅への単身入居も困難がある。障害者雇用促進法の適用もできない。グループホームも作業所も生活支援センターも圧倒的に少ない。ホームヘルプサービスも今年度に開始の予定だったが、多くの自治体で今年度は数えるほどの件数しか事業が行われていない。精神科に通院している人は170万人あまりだが、全国の生活訓練施設、授産施設などを寄せ集めてもその定員は9000人に満たない。一方、精神病院には受け入れ態勢があれば退院できる人が7万人から10数万人いるというのである。
 こんな精神医療の現状を前にして、家族関係や地域との関係が壊れ、精神的な危機に立たされた人が、年余にわたって戻ってこれなくなるかもしれない精神病院に進んで入院する気になれるだろうか。自分の意見はほとんど聴いてもらえなそうで、わけのわからない「薬」や「療法」を押し付けられる精神医療を受ける気になれるのだろうか。治療の効果も地域生活のめども立たない出口の見えない貧しい精神医療・福祉をどうして安心して利用する気になれるだろうか。

2 心神喪失者等医療観察法案はこの状況を変えるものなのか

 この法案は精神障害のある人を再犯を繰り返し危険で治療の難しい、いわば「悪い精神障害者」とそうではない「良い精神障害者」に分けて「悪い精神障害者」には特別な医療を行おうというものである。いわゆる「車の両輪論」であり、触法精神障害者に対する処分をしっかりやれば、それ以外の精神障害のある人の医療・福祉を充実、促進できるという考え方である。
 しかし、この考え方は明らかに間違っている。そもそも、わが国の精神病院入院者がほかの文明国に比べて弁解の余地がないほど膨大で、また、その入院期間が恥ずかしいほど長いのは、触法精神障害者がいるためではない。また、社会的入院者が多いのも社会資源を増やさないからであって、触法精神障害者がいるからではない。精神病院の中で暴力的な傾向のある人がいると、どうしても病院が保安的になり開放化の阻害要因になるという人もいるが、そういう患者の中で触法歴のある人は17%に過ぎず、触法の人の中で暴力的な傾向を持つ人は25%程度に留まると報告されている。従って、治療の難しさや危険性は触法とは別の問題なのである。もし院内で暴力的な傾向を示す人の存在が、その病院の閉鎖傾向や長期在院傾向を導きやすいとするなら、暴力傾向をもつ人の83%は今までどおり一般の病院に残ることになるのであるから、この法案で問題を解決することはできない。しかも、今回の法案は覚せい剤中毒の人や、恐喝を行った人なども一般の精神病院におくことになるのである。車の両輪論の切り分け方はまったく見当違いのやり方というほかない。
 また、重大な犯罪行為を行った人で重大な犯罪行為の前科等を持つ人は7%に満たない。従って、今後、仮に重大な犯罪行為を行った100人の精神障害の人が生じるとした場合、そのうちの93人は「普通」の精神科に入院歴・通院歴のある人たちの中から現れ、7人程度の人が法案に基づく特別病院の出身者ということになる。とすると、残念ながら法案ができても一般の精神病院やそこに入院歴・通院歴のある精神障害のある人が「安全な」「良い精神障害者」であるという社会認識は生まれない。むしろ、こうした人々は「危険な」「悪い精神障害者」の予備軍として、いつそちらのグループに転落するとも知れない危うい人たちと見なされることになる。
 さらに、車の両輪論により精神医療が重大な犯罪行為を行った精神障害者の再犯の防止を公式に引き受けることにより、精神科医と精神医療の役割、そして、精神科ソーシャルワーカーの役割までもが大きく社会防衛に変質させられてゆくことになる。患者は自分の症状をあるがままに医療者に伝えると、危険性があるものと診断されて、特別病院送りにされるのではないかとおそれ、医療者に自分のつらさをありのままに伝えることができなくなる。
 このように法案は、精神障害のある人のこの社会での肩身の狭さをいっそう増幅させる反面で、精神医療が抱えていた問題の本質をすり替え、現状の問題を解決しないまま、大量の被拘禁者を生み出すものである。
 「車の両輪論」ではなく、正面から精神医療・福祉の問題の本質と歴史的な過ちを清算し、誰もがいつでも安心して精神医療・福祉を求められる医療・福祉の充実を図るべきである。

(いけはらよしかず 全国精神障害者家族連合会常務理事、弁護士)