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1000字提言

護身について思う

奥野真理

 10代のころの私はチカンとは無縁の生活をしていた。周りの友人がその話題について話すのをただただ聞いているだけだった。
 大学に入ると、徐々に自分の行動範囲も広がり、とにかく出かけることが楽しくてしょうがなかった。しかし、ある時そんな私に釘を指すかのような衝撃的な出来事に出くわしてしまった。
 予期していなかったチカンである。それも、よく聞く満員電車の中でのことではなく、人もまばらな車中だった。チカンの存在に気づき、とにかく逃げようといったん電車を降りたりするのだが、しつこく追いかけて来るというもので、はっきり言って怖かった。その時は、偶然通りかかった女性に助けを求めて人混みを利用することでなんとか難を逃れた。でもだいじょうぶだと思っていても、しばらくは自宅まで付いて来られているのではないかと不安でいっぱいだった。
 落ち着きを取り戻したころ、またもや悪はおそった。今度は自宅前で待ちかまえられていたのである。そこは夜9時以降になると街灯が消え、ほんとうに怖い。ふだんから注意しなくてはと思っていたが、それほど時間も遅くなく、夏だということもあり、その日は油断していたかもしれない。しかし、それは突然の出来事で、私自身なにがなんだかよく分からなかったけれど必死で「なに、すんねん!」と叫んでいた。我ながら吃驚するほどの声だった。その甲斐あってか、相手はさっと私の手を離し去っていった。言うまでもなく、私はしばらく悔しさと不安から涙が止まらなかった。
 今述べた二つの例に共通して感じたことは、「あの時力づくでも相手の手を捕まえていれば‥」とか、「だれかに捕まえてもらえれば」などあるが、なによりも「相手の顔や様相を分からないのが一番怖い」ということである。たとえ私が相手の前を通ったとしても視覚障害者の私にはもちろん分からない。避けることさえできない。どちらの場合も、もうこのまま外出できなくなってしまうのではないか‥という不安が付きまとった。
 しかし、負けず嫌いな私はここで閉じこもってしまったら相手に負けることになる、と思い、翌日からいつものように生活していたが、今だにどうしても夜遅くに帰宅せざるをえない時などは、家の玄関のドアを閉めるまで安心できない。常に心のどこかで警戒しているのだと思う。
 私たちは常にだれかといっしょに行動している訳ではない。もちろん何か困った時は周囲の手助けを求めることは大事だけれど、まずは自分で自分の身を守ることが必要だろう。グッズを身に付けるのも一つの手段だと思うが、まずは毅然とした態度をとるということが、第一の対策法=護身への心構えであると思う。

(おくのまり 名古屋ライトハウス盲人情報文化センター)