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ワールドナウ

水にはワニ、陸にはトラ、森にはトゲ、市場にはポリス

(カンボジアの諺(ことわざ)、人生の困難)

―カンボジアの村で精神保健ケアを作る―

手林佳正

オーナーシップが出てきたカンボジアの精神保健作り

 今年9月末の2日間、首都プノンペンの公衆衛生院でWHOがサポートする、カンボジアの精神保健関係者に呼びかけた集会が開かれました。「カンボジア精神保健計画会議 」(Conference for National Mental Health Planning Conference)といい、約70人が全国から集まりました。20人に増えた精神科医師たちのほとんど、現在、精神保健分野で活動する五つのNGOのワーカーたち、保健省や村落開発省の役人などでした。
 今回の会議について、カンボジア人だけでもこんなに整然と、また盛り上がった全国会議ができるんだ!とぼくは印象を持ちました。外国人は、WHO側の担当者とぼくを入れても4人! ぼくの1996年からのカンボジアへのかかわりでは、信じられない少なさです。たとえばこの国の精神保健を毎月、保健省で話し合う精神保健小委員会では、毎回NGO代表者の外国人が数人、いろいろ発言し、カンボジア人医師たちは聞く側に回っていることが多いのです。ですから、会議の言葉はカンボジアの国語であるクメール語が使われ、通訳が必要な外国人には、英語に達者なスタッフたちが交代で、耳元で訳してくれました。
 この会議では、カンボジアの精神保健状況を整理し、WHOから3か月間派遣されていた専門家が精神保健政策の骨子について提言をし、この国の精神保健をリードしてきたNGOが活動を紹介し、そして小グループに分けての話し合いも行い、今後20年間についての見通しを共有しました。ただ残念に思えたのは、たとえば保健省自体が省内に精神保健部局を作るのは時期尚早と答える(予防医学のセクションに併設されている)など、将来計画の話題に終始して、実施するためのプランが少なかったことでしょうか。途上国が数多くの課題を抱える中で、政策的に優先度が低い、精神保健ケアシステムを充実させていくことは容易なことではありません。

カンボジアの精神保健

 カンボジアは第二次世界大戦後の独立を経て、60年代には旧宗主国であるフランスで訓練を受けた2人の精神科医師がいて、800床を持った精神科医療施設を持っていたと言います。しかし、1970年から隣接するベトナムでの戦争と関係して、長い内戦の時代を経験しました。なかでも75年からのポルポト支配の時代には、保健医療を含む旧制度の施設が閉鎖され、医師や専門家、そして入院者も虐殺され、1990年代に入って国連が介入するまでは、伝統医療セクターからのケアしかない精神保健状況が続きました。
 児童精神科診療から始まった国際精神保健支援は、この国では尊敬を集め、人々の心のよりどころとなってきた仏教寺院の僧へのソーシャルワーク研修や、医師への精神科レジデント研修を通して精神科医師養成、短いスタッフ研修後に実施される地域精神保健ケアなど、すべてNGOの手で行われてきました。こうした精神保健ケア作りの努力はいまだ途上にあって、現在でも満足できる水準には程遠いと言わざると得ません。

カンボジア精神保健の現状 主要な指標から

精神保健ケアが受けられる地域 全24州中、10州
児童精神医療施設 1か所のみ
精神科外来がある地域 全24州中、7州
精神保健NGOのサービス
(訪問、人材育成、医療など)
4団体が、
8州で
精神科医師(かつてはNGOによる4年間のレジデント研修、今年から大学による3年間のレジデント修了者) 20人
精神科看護者
(3か月間のNGOによる研修修了者)
20人
心理技術者 心理学科卒が数人
精神科ソーシャルワーカー 養成なし
作業療法士 養成なし
3か月間の精神科診療訓練を受けた医師 養成中
ソーシャルワーカー、カウンセラー
(体系的な研修はない)
多数
医師や心理、ワーカーを対象とした心理社会リハビリテーション(地域精神保健)専門教員 6人を2年で養成中

一方、カンボジアにあるもの

 こうして説明すると、カンボジアには何もないのかと思われるかもしれない。事実、ぼくたちのプロジェクトを訪問する日本からの専門家の一部から、そういう感想を聞かされることがあります。これは間違いであると、村に通いながらカンボジアにいるぼくには思えます。
 まず豊かな自然と、ゆったりと過ぎる時間を挙げることができます。洪水とともに多くの恵みをもたらす雨季と強い陽射しがあって、自然の恵みから得る魚や香草などの食料は少なくなく、働き者の日本人の労働観から見ると、年間数日しか厳しく働かないような、ゆとりがあります。ただしこれは村の男性の場合で、都市部では労働時間が決められているし、村ではジェンダー問題は大きく、女性は家庭内の労働に追われています。
 親族からの強力なサポート、支えあいがあります。日本などの先進国では、社会保障として、行政が提供することになっているもののほとんど(住居、食べ物、仕事など)が、ここで賄われているといっていいでしょう。現金がすべてではない、農村の経済が背景にあって、多少の人数は受容できるゆとりがあります。これに一定期間は地域的な支援も加わります。ただ、モノ自体が豊富にあるわけではないので、病者・障害者も一定の生産活動に従事する必要があり、また数か月間以上は続かないという限界があります。

貧困、未整備、教育、社会の矛盾という課題  

1日50セント以下の貧困層(人口の9割は農民) 人口の36%
平野が多い国土だが、道路状況は悪く、特に雨季には到達不能な場所が増える。
有線電話の普及は都市部のみで、携帯電話のサービスも同様である。
電化されているのは都市部とその近郊に限られている。
TVは車のバッテリーで見る地域が多い。
読み書きする成人の比率 35%
政府が作る人口1万人に1か所を目標とした「診療所」が、短時間しか機能していない地域も多く、必ずしも住民の信頼を得てはいない。(例外地域もある)
都市部に多い私的な医療は、農村部で生活する人には高価で、現実的ではない。
公務員の賃金が、生活を支えるほど支払われておらず、汚職や副業に向かいがちである。

もう死にそうだから家で…

 病院医療は限定した役割で、家庭内でまた地域内で療養生活が進められます。どの村にもクルークメールと呼ばれる伝統的治療師がいるのが常です。少数のお寺には、治療を専門とする訓練を受けた僧がいて、尊敬を集めています。ぼくの印象としては、カンボジアの農村では、日本社会では自分個人が判断し解決すべきと思われている部分でも、簡単に相談に訪れ助言を求め、そして安価です。個人に貯まっていく社会生活上のストレスのエア抜き機能を果たしているようにも見えます。彼らは、文化内で共有している伝統的な価値観に則って、あらゆる相談事に応じて助言をし、また病気の初期治療もまじないや薬草治療などを方法として引き受けている場合がほとんどです。婚約の申し込みに対する答えをするときなどの人生の曲がり角や、生産物の売り買いの時期などで予言を求め、また健康や病気の相談にも利用されています。ただ、悪霊を払うためと称して棒で叩き続けることがあったり、産後の婦人を温めすぎて脱水を起こさせたり、相談中のレイプなど、非合理な事例も少なくないことには留意が必要です。
 近代的な医療にアクセスするのが簡単な地域だけではないため、またそれが多くないため、こうした伝統的な方法が残っていくのでしょうか? そうではないという気もしています。カンボジア人のメンタリティに深く根づいていると思えるのです。たとえばぼくたちのプロジェクト地で、重い身体疾患で州病院へ入院せざるを得ない事例があり、地域からお金や食料を募って入院することになったことがありました。訪問日に、家に戻っているのを知り、驚いて理由を尋ねたら、「もう死にそうだから家に連れてきた」という答えでした。病院で死を迎える社会とはまったく異なる専門的な医療の位置付けが、療養生活に選ばれる場所が違う社会なのです。

ぼくたちのプロジェクト

 ぼくたちは1997年に日本初の国際精神保健NGOを創(つく)りました。これまで、プノンペン唯一の精神科診療機関での受療行動インタビュー調査や、カンボジア唯一の児童精神科への遊戯療法導入と効果測定、そして寺院が果たすリハビリテーション機能などを焦点に調査を進めてきました。カンボジアという異文化状況をじっくり理解して、その社会に適合した精神保健協力をSUMHは行いたいと考えているからでした。
 SUMHカンボジア精神保健プロジェクトの区分をしてみます。
 大目標は、カンボジアにおいて精神保健ケアを含む持続可能な地域保健活動モデルをシュムリアップ州において創ることです。実際のプロジェクトは、次の9活動に分類できます。

A.心理社会リハビリテーション担当職員を養成できるカンボジア人専門教員の養成

 医師1人、准医師1人、心理学課程卒業者3人、ワーカー1人などの基礎養成を終えたカンボジア人に対して、2年間の集中研修コースを2回、4年間にわたり、理論と実践の両面から養成する内容です。

B.心理社会リハビリテーション通所事業

 シュムリアップ州病院精神科外来と州政府保健局、そしてCCMHS(ローカル精神保健NGO)と連携して、シュムリアップ州病院内に通所施設を新設し、心理社会リハビリテーションが必要な精神科疾患をもつ人に通所ケア事業を行い、カンボジア社会に即した障害の受容過程や回復過程・雇用・家庭内での役割・対人関係の体験・社会参加・援助的な文化の創造・自助集団などの、カンボジアにおける活動モデルを作ります。精神科疾患をもつ人が働く場を実際に作ることも検討します。

C.村落に基礎を置いた地域心理社会リハビリテーション事業運営

 州保健局・リファラル病院・保健センターと連携して、精神科疾患をもつ人の生活の舞台である村落において、精神保健アゥエアネス・精神科疾患をもつ人への援助・家族援助・地域の人々への援助・保健従事者教育などの、地域精神保健事業を、PLA・PRA手法を用いて、住民参加型で行います。

D.HIV/AIDS関連の精神保健

 これまでこの地域では取り組まれてこなかったHIV/AIDS関連の精神保健について、実態調査・HIV/AIDSをもつ人々への援助・関連する人々や専門職員を対象に精神保健知識や、カウンセリング研修・ピアカウンセリング研修などを開始しています。

E.地雷被害者への精神保健援助

 これまでカンボジアでは取り組まれてこなかった地雷被害者の精神保健ケアについて、実態調査・関連する人々や専門職員へのカウンセリング研修などを実施します。地雷被害者支援NGOとの業務の連携が始まっています。

F.村で生きる精神障害者とその家族の生活改善事業

 途上国においては、社会的弱者を対象とした社会福祉事業がありません。自助努力とコミュニティからの支援だけが頼りです。村落開発技法を参考にしながら、生活改善事業(農業技術改善、家庭菜園、魚の養殖など)を進めます。

G.シュムリアップ州の保健センター職員を対象とした精神保健研修

 地域保健ケアの最前線の機関である保健センター職員は、精神保健訓練がまったくされていないことから、州保健局が当NGOに要請してきたものを、事業として取り入れることになりました。

H.他の機関職員を対象とした精神保健研修

 当NGOは精神保健専門職員を持つNGOなので、他の機関の要請に応じて、精神保健研修を行います。このプロジェクトは、カンボジア人スタッフの提案から生まれました。UNCHR(国連難民高等弁務官事務所)との連携で、被疑者や受刑者のケアに精神保健の視点を取り入れる調整が始まっています。

I.クメール伝統文化の中の対人的援助に関する調査研究―アンコール遺跡の壁彫刻から―

 プロジェクト地がアンコールワットのある場所なので、その豊富に残されている壁彫刻から、7~12世紀のカンボジアにおける対人援助の実際を調査します。

日本からの支援を!!

 この地球では、人類の約2割が先進国で生活し、残る8割の人は途上国に生きています。経済状況も保健指標も、全く異にしているだけでなく、その格差はますます拡大しています。グローバルな経済システムによってもたらされた状況と言えます。一部の人々が富を独占することは誤りであり、公平な分配に向かうように、制度の改革をすべきだと私たちは考えます。と同時に、こうした状況に対して、人と人とが直接支えあうことも大切と考えています。
 日本からの国際協力はぜひとも必要! です。「SUMH途上国の精神保健を支えるネットワーク」(Supporters for Mental Health)は、1997年に産声を上げた日本初の精神保健NGOです。地域精神保健専門家と調整員の日本人2人を派遣し、現地事務所を開設して、プロジェクトを実施しています。
 SUMHは、PSR専門家養成の支援講師およびインターン・ボランティア募集も行っています。また、寄稿・カンパも随時受付ておりますので、御協力をお願いします。

(てばやしよしまさ SUMH 途上国の精神保健を支えるネットワーク シュムリアップ事務所代表 心理療法士)


途上国の精神保健を支えるネットワーク

SUMH [Supporters for Mental Health]

東京事務局
住所:153-0065東京都目黒区中町1-25-16
Tel&Fax:03-3711-3461
E-mail :tojoukoku@geocities.co.jp
http://freepage.gaiax.com/home/sumh

シュムリアップ事務所
Office:  No.233 Group 5 Mondul 3, Khum Slarkram,Siem Reap, Cambodia
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Reap Angkor, Cambodia
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E-mail: sumh@bigpond.com.kh