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「体感」を通し、自らの主張を!

西村秀樹

 私が「国際障害者年」という言葉を初めて聞いたのは、盲学生だった1981年。地元滋賀県で開催された第17回 全国身体障害者スポーツ大会の時でした。翌々年の1983年より障害者の十年長期プランがスタートし、障害者の社会参加をすべての人の問題ととらえ、さまざまな施策が実施されてきました。
 しかし、私が失明してからのこの15年を振り返り、自らが行動することの大切さを確信しています。世の中の出来事は常に変化していますが、必ずしも私たちにやさしいとは限りません。支援費制度の名で措置から契約に変わる福祉サービス。「あはき(あん摩マッサージ・はり・灸)」を中心とした職業問題は、年々きびしさを増していますし、日進月歩を続けるITの革新は、障害者に新たな可能性をもたらしてはくれますが、決してだれにでも使いやすいものではありません。
 移動の問題についても、バリアフリーからユニバーサルデザインへと考え方が少しずつ変化し、段差切り下げや各種案内表示等の安全で利用しやすい環境が構築されつつあるのでしょうが、歩車道境界部の段差については、視覚障害者にとってはなくてはならないものだと考えます。また、昨年10月に開催されましたアジア太平洋地域ブラインドサミットに参加した私は、「知らない」ということにより生ずる差別の問題等々、さまざまな問題をそれぞれに抱えていることも知りました。
 ほかにも数え上げればきりはありませんが、このようなさまざまな問題に対して肝心なことは、まずは、自らの意見を述べると言うことです。私は、その方法の一つとしてゴールボールやフロアバレーボールなどというスポーツを通じて、多くの人との交流を図っています。当然、自分のためでもありますが、スポーツは、そのルールの元においてはみんな平等です。熱心で貴重な議論も大切ですが、体を動かし、汗をかき、いろんなことを『体感』することも、とっても大切ではないかと思います。そして、そのような体験などが自らを振り返るきっかけとなるのではないかと考えています。
 私は、多くの視覚障害青年層の代表というと誤解を生じますが、一人でも多くの人の声を聞き、それを広く伝えていくことが、私に課せられている一つの責務だと考えています。この1年も、この気持ちを念頭に活動していきたいと自らに、そして、ここに記します。

(にしむらひでき 社会福祉法人日本盲人会連合青年協議会)