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ワールドナウ

タイ
アジア太平洋障害者センター(APCD)

伊藤奈緒子

はじめに

 世界人口の約6割が居住するアジア太平洋地域。そこでは推計約3~4億人の障害者が生活している。1993年から2002年までの国連ESCAP(アジア太平洋経済社会委員会)「アジア太平洋障害者の十年」を通じて、さまざまな貴重な成果が達成された。しかしながら依然、当該地域の開発途上国の障害者の多くは、非障害者と比べて経済社会開発への参加の機会に乏しく、結果として、経済的に貧しくかつ社会的に弱い立場に置かれている。そのような問題状況に対し、日本とタイのイニシアティブのもと当該地域のさまざまな関係者の理解と協力を得て、「十年」最終年の2002年、新十年に向けた一つの“挑戦”が始まった。

新十年への“挑戦”―APCD―

 その新たな“挑戦”とは、“アジア太平洋地域の障害者による障害者のための社会開発プロジェクト”である。言いかえると、それは、障害者が主体となる社会開発の広域プロジェクトであり、草の根の障害者支援の知識・経験といった“情報”、および、障害当事者をはじめとする“人材”など、アジア太平洋地域のリソース(資源)を開発・活用・共有して、当該地域の開発途上国の“障害者のエンパワメント”と“社会のバリアフリー化”を推進していく試みである。同プロジェクトを通じて最終的に、障害者の情報・人材育成に係るアジア太平洋地域センターが設立され、当該地域の人々によって同センターがさらに発展継続されることが期待されている。
 このプロジェクトは、タイの障害者など開発途上国のNGO関係者が中心となり約4年の歳月を経て調査・計画されたものであり、2002年より国際協力事業団(JICA)が日本のODA(政府開発援助)を通じて必要な技術協力を行うことになっている。
 その新たな“地域の試み”である「アジア太平洋障害者センター」(APCD:AsiaPacific Development Center on Disability)技術協力プロジェクトのオープニングが、去る2002年12月3日、タイの首都バンコクの国連会議場にて「国際障害者の日」を記念する式典とともに、行われた。タイからは、ジャトロン副首相とアヌラック社会開発人間保障省大臣、日本からは時野屋在タイ日本大使と藤本JICA副総裁、そして、国連ESCAPより大海渡副事務局長を迎え、その他300人以上の出席者とともに、APCDプロジェクトの背景・経緯・理念が共有された。ここでは、同オープニングで放送されたAPCD紹介ビデオより、本プロジェクトの企画に携わった障害当事者の“声”をまじえ、APCDプロジェクトの概要を説明していく。

APCDの背景・経緯

 アジア太平洋地域における障害者の情報・人材育成センターについて具体的な検討が始められたのは、ESCAP総会で「21世紀の障害者の域内支援強化」決議がなされた1998年のことである。1999年以降、タイ政府が関連NGOとともに国内検討を行い日本政府に対し必要な協力を要請した後、JICAがニーズ調査やタイ政府との協議を重ね、最終的に2002年7月に、障害をもつ有識者を含む日タイ関係者の合意を得て現在のAPCDプロジェクト計画が策定された。当然のことながら、APCDプロジェクトは、当該地域の障害分野の優先課題に対応すべく、ESCAPの「十年」行動課題、そして、2003年からの新十年の「びわこミレニアム・フレームワーク」を踏まえている。
 APCDとESCAP「アジア太平洋障害者の十年」について、ESCAP社会問題担当官で、「十年」推進のキーパーソンである高嶺豊氏は、次のように語っている。『APCDは、ESCAP「十年」の“遺産”と考えられており、その点において、ESCAPとも大変関わりが深いと考えられます。特にESCAPでは、2002年の5月に決議文を採択し、2003年から2012年を新十年とすることとしました。この意味においても、APCDは次期十年の地域協力の拠点となることが期待され、APCDを通じた情報支援と人材育成について大きな期待が寄せられています。』

APCDの理念

 国際社会で活躍する障害者リーダーの1人、トッポン氏は、障害者団体の世界組織である Disabled Peoples’ International(DPI)アジア太平洋事務局の地域開発担当官として当該地域の開発途上国を飛び回っている。彼こそ、APCDのタイ側準備委員会の委員として、APCDの理念形成に大きく貢献した人物である。『私はタイ人ですが、APCDがバンコクにできるから素晴らしいとは申しません。たとえAPCDが当該地域の他の国にできても、依然APCDは重要であると申し上げることができます。なぜならば、その理念、すなわち“障害者のエンパワメント”と“社会のバリアフリー化”が重要だからです。まず障害者をエンパワし、それらエンパワされた障害者が中心となり“万人ための社会”に向けて社会のバリアフリー化を進めて行く、この点がまさにAPCDの基本理念となっています。』
 『障害者が社会で生きていくうえで、実に多くのさまざまなバリアが存在します。“バリア”の例をあげますと、まず、“物理的な環境のバリア”があり、障害者のアクセスを全く考慮せずにつくられた建物等があげられます。また、“情報とコミュニケーションのバリア”があります。聴覚障害をもつ人のための手話通訳は大変不足していますし、まだまだ視覚障害をもつ人のアクセスや利用を十分考慮した形で情報システムの構築や提供がなされておりません。これらバリアの根幹には、人々の障害に対する否定的な考え・態度や偏見といった“心のバリア”があります。』
 『そのようなバリアの除去・軽減のために何よりもまず必要なのは、障害者自身のエンパワメントです。なお、障害者のエンパワメントには、障害者が自らの団体をつくり自分たちの権利を擁護し共通の問題解決に取り組む“自助運動”が不可欠です。障害者はいったんエンパワされ自尊心を回復しますと、“すべての市民のためのバリアフリー社会”に向けた“変革者(Agents of Change)”として活躍していくことが可能になります。社会において日々バリアに直面している障害者こそ、バリアのある社会を変えていく真の力となっていけるのです。』
 “障害は前世の悪行の結果”という仏教観が依然根強いタイ社会において、自助活動を通じて自らエンパワされ、そして、タイをはじめ当該地域にて自助団体を立ち上げ、多くの障害者をエンパワしてきた同氏の前記説明には説得力がある。

APCDの活動

 APCDは、開発途上国の障害者のエンパワメントと社会のバリアフリー化に向け関連団体を対象に、1.ネットワークづくりと連携促進、2.情報支援、3.人材育成を行っていく。具体的にAPCDは、当該地域の政府機関・NGO・国際機関と提携しネットワークを形成して、情報・協力を必要とする団体が最も適切な団体と連絡・連携できるよう側面支援を行っていく。そのような関連団体間の情報ネットワークに、さまざまな障害者が参加できるようウエブサイトのアクセスビリティーに係る技術支援を行うとともに、各国の提携団体に対し、自国の草の根の障害者が情報を活用できるよう彼らにとって最も適切な手段での情報配信と現地語化を依頼していく。人材育成に関しては、現時点では1.自助団体の運営強化、2.CBR(地域に根ざしたリハビリテーション)、3.IL(自立生活)、4.ICT(情報コミュニケーション技術)、5.物理的なバリアフリー環境、といった重点分野の実践を自国や当該地域で指導・推進できるリーダー的存在を育成していく。
 このような活動の必要性について、APCDタイ側準備委員会の委員であり、現在タイにて地方3県の障害者団体とともにILの実践モデルを模索するレデンプトリスト障害者職業訓練校・校長のスポンターム氏は次のように述べている。
 『恐らく、当該地域では、タイだけでなく他の国々おいても、障害者支援に係る知識・技術などさまざまなリソースがすでに存在しているように思われます。しかし、問題は、それら既存のリソースが100%有効に活用されていない、または、求められているところに行き渡っていないといった点でしょう。APCDの設立によって、関連団体の間でネットワークを構築し、当該地域の既存のリソースを関連団体の間で共有し活用していくことが可能になると期待します。』『単に先進国の施策を導入したり、高価な支援機器等を輸入するのではなく、当該地域の開発途上国の障害者リーダーが、途上国で有効な障害者支援の方策・技術を共有・開発することで、より持続可能な障害者支援の実践が実現すると考えます。』

おわりに

 アジア太平洋地域の障害者の情報・人材育成拠点を築くAPCDプロジェクトは、新十年の幕開けとともに、まさにスタートを切ったばかりである。APCDタイ側準備委員会の委員であり、世界盲人連合アジア太平洋理事会・理事のモンティアン氏は、APCDの意義を次のように述べている。
 『APCDの意義は、障害者、それ以外のだれでもなく、まさに障害当事者のニーズに基づいてつくられた点です。当該地域の障害者とその団体にとって、ネットワークを構築したり、人材育成を行ったり、ICT研修を行える“何からの拠点”が必要だったのです。』
 多くの障害者リーダーの夢を乗せ、未来のリーダーを養成していくAPCDプロジェクトの成功の可否は、まさに彼らをはじめとする我々アジア太平洋の関係者の肩にかかっている。

(いとうなおこ APCDプロジェクト、JICA専門家(障害者研修開発担当))