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スポーツを聞いて楽しむ
―音で臨場感を味わう―

大橋由昌

 昨年、点字による週間新聞の「点字毎日」紙上で、“はめ”問題が投書欄を賑わわせた。これは、コラム欄を執筆した晴眼者が、テレビで野球中継を見ていたところ、試合途中で放送が中止され、ラジオを聞く“はめ”になった、と書いたことへの反駁(はんばく)であった。視覚障害者がラジオ中継を楽しんでいるのに、“はめ”とは何事か!というのがその論旨だった。晴眼者の尺度だけで、たとえ悪意が全くなかったとしても、見えない者の世界を推し量ることが、こうした感情的な反発を招くのである。

 私はこの年末年始、テレビでK1も見たし、箱根駅伝も見た。とてもエキサイティングな時間を過ごすことができた。画面にかじりつくようにすれば、何とか映像は見えるものの、大半はテレビを聞いて楽しんでいる。実況中継のマイクが拾う、声援や歓声などを聞くだけでも臨場感が伝わり、はらはら・どきどきするのだ。まして、自分自身が経験をしたことがあるスポーツであれば、なおいっそう実感を持って楽しんでいると思う。

 最近、私は何度か乗馬体験会に参加した。富士山の麓で馬の背に揺られ、樹海の風に吹かれながら、トレッキングも経験することができた。それ以後、たまに競馬中継などを聞くと、第4コーナーを回り直線に入って、ゴール前のむちのたたきあいともなれば、思わず腰を浮かせて前傾姿勢になってしまう。中途失明者で、かつていろいろなスポーツを見たり、経験したりした人ならば、“それなり”に楽しんでいることであろう。

 晴眼読者各位も、一度テレビの音を消し、大相撲や野球中継をごらんになってみてはいかがだろうか? パントマイムの映像から、どれほどの迫力を感じとれるだろうか? 野球で言えば、打者が打った瞬間の放物線を描いて舞い上がるボールと、観客のどよめきとが相乗効果となって、手に汗を握るのだ。むろん、聴覚障害者は、日常的な体験や選手の表情などに加え、豊かな想像力を持って、場内の熱気を感じとっていると思う。テレビを見て・聞いて楽しんでいる人には、無音声の画面だけを見ていれば、ラジオをつける“はめ”になることを、私は確信している。

(おおはしよしまさ 横浜市在住)