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座談会
新障害者基本計画・新プラン
その評価と推進のための提案

太田修平 日本障害者協議会政策委員長
広田和子 精神医療サバイバー&保健福祉コンシューマー
柴田洋弥 (社福)けやきの杜希望園施設長
三田優子 愛知県心身障害者コロニー発達障害研究所
司会・植村英晴 日本社会事業大学教授

新障害者基本計画・新プランをどう評価するか

期待はずれの内容

植村 「障害者基本計画」と新障害者プランである「重点施策実施5か年計画」が昨年の12月に策定されました。障害者施策に関する長期計画は、1981(昭和56)年の国際障害者年を契機に策定された「障害者対策に関する長期計画」、その後の「障害者対策に関する新長期計画」、今回の「障害者基本計画」と3期目の長期計画となります。長期計画を実施していくための実施計画は、1995(平成7)年に作られた「障害者プラン」が最初で、今回が2期目になります。
 今回の「障害者基本計画」と「重点施策実施5か年計画」は、施設から地域へ、社会的入院から地域へと明確に目標を掲げています。また、「障害者基本計画」の骨子案があらかじめ示され、すべての国民が意見を述べる機会があったなど策定過程で新しい試みがなされました。さらに、「重点施策実施5か年計画」には、厚生労働省に関する施策の数値目標だけでなく、他の省庁のものも盛り込まれています。
 この「障害者基本計画」と「重点施策実施5か年計画」をどう評価されますか。最初に、総括的なご意見をいただきたいと思います。

太田 障害者基本計画については次のステップにいくのかという期待をしていたのですが、いろいろな点で期待はずれの面が多かったと思います。というのは、策定過程においてきちんとした議論ができないまま、障害者基本計画と新プランができあがったのではないかと思うからです。
 新しい時代に向けて、法制度の整備や、それにともなう具体的な政策、障害者差別禁止法、総合的な障害者福祉法、民法における扶養義務の大幅な見直しによる個人としての人権の尊重などを政策に入れるべきです。また長年訴えてきた年金問題も具体的な解決が必要です。障害者基本計画を見ると、抽象的な表現で、力強い言葉は一切見られません。法制度の整備が非常に不満足だと感じています。
 脱施設がメインテーマになっていますが、ほんとうに脱施設が達成されるのか、大きな疑問をもっています。“懇談会”という形式は踏みましたが、政府の意向が新障害者基本計画につながっているのではないかというふうに考えています。新プランの数値目標を見ても、これからの運動が思いやられる、重たい問題が次々と出てくるような予感をさせられています。

広田 私は、厚生労働省の社会保障審議会障害者部会の委員になっています。その中の精神障害者分会で総合計画を論議しましたが、社会的入院といわれる7万2000人を10年以内に社会に出そうというところで、私は10年もかかるのかと発言しました。いま精神病院に入院している3分の1は、65歳以上の人たちです。10年もかかったのでは外でお茶も飲めずに死んでしまいます。
 精神障害者の施策は、日本ではこれまで家族が代弁する形で進んできましたが、障害者基本計画の策定にも精神障害者本人の委員が入っていないのはおかしいと思います。基本計画の2の「生活支援」のウの「障害者団体や本人活動の支援」で、「知的障害者本人や精神障害者本人の意見が適切に示され、検討されるよう支援を強化する」というのは、まさに本人不在の発想で、支援する前に発言する機会を保障することが大事です。「さまざまな行政施策に当事者の意見が十分反映されるようにするため、当事者による会議、当事者による政策決定プロセスへの関与等を支援することを検討する」とはややこしい日本語ですが、「プロセスへの関与などを実現する」とか、「関与などを実現する機会を保障する」という形で明確に示さないと非常にあいまいです。
 また、いろいろな形で市町村がお金をつけやすいようにするのは大切ですが、その一方で住民の反対運動で社会支援施設がつくれないという現実があります。そういう意識を変えていくには、精神障害者が見世物みたいになったりするのではなく、だれもが高齢者になるのと同じように、精神障害者にもなりうるという視点の教育が重要です。

前回プランより低い数値目標

柴田 知的障害者当事者が発言するのが好ましいのですが、今回は知的障害者にサービスを提供する側として発言したいと思います。私は、障害者基本計画については一定の評価をしています。
 ところが、施設から地域へという大きな流れがあるはずですが、今回の5か年の新プランの数値目標を見ると、いままでの障害者プランよりも居宅支援の1年間の増加率が落ちています。
 前回の障害者プランでは入所施設が1万人も増えるという目標で、ノーマライゼーションプランと言うことが恥ずかしかったのですが、今回は「入所施設は真に必要な人に限定する」となりました。真に必要な人とはどういう人かは議論すべきですが、そこは評価できると思います。しかし、地域の資源をつくるスピードがこんなに落ちてしまっては、支援費制度の大きな柱である入所施設から地域への移行はむずかしいと、数値を見て唖然としたというのが正直なところです。
 前回のプランは、厚生労働省に寄せられている要望を積み上げて数値をつくりました。今回は、全国の都道府県のサービスを5段階に分けて、各都道府県を1ランクずつ上げるための目標をつくったら、こういう数値になったと説明されていますが、要望調査すらしないのは後退だと思います。
 先日、日本障害者協議会(JD)で行われた説明会で、厚生労働省の企画課長が「数値目標が低いというご批判をいただいているが、5年もかからないうちにこの目標が達成されるときには見直しもあり得る」と発言されたので、そこに期待をして、1年1年の予算交渉をきちんと積み上げていくしかないだろうと思います。

三田 現障害者プランが出たときは、不意打ちのように数値目標が出て、「障害者プラン・ノーマライゼーション七ヵ年戦略」と書いてあるけれど、これではノーマライゼーションではないと皆大騒ぎをしました。今度の場合、理念や目標は高く、それだけを読むとすばらしいプランだと思えますが、数値とのずれにはさらにびっくりしました。よく読むといろいろな矛盾が出てくるような気がします。
 精神障害者7万2000人を地域に出すと書いてありますが、7万2000人のベッドを減らすとは書いていないので、8万人が入院することも結果あり得る。地域生活サービスのこの貧しさではあり得るわけです。退院させたけれど戻ったのは仕方ない、でもいいわけですね。また知的障害者の入所施設の目標値が出なかったので、かえって計算がむずかしくなっています。
 実は、入所施設は今年度も来年度も新規にたくさんオープンします。各都道府県が今後5年とか6年分の計画をつくっていますから、平成18年開所分についてすでに準備を始めた例もあります。国の新障害者プランができたので入所施設をつくらない方向へ確実に行くという保障はないのです。
 なぜ数値目標をつくらないのかの理由として、「地域の実情を踏まえて真に必要なもの」しかつくらないと明記されているのを見ると、前の障害者プランと理念では変わっていませんよね。本当にノーマライゼーションの実現をめざすのであれば、「障害者本人が行きたくないといったら、施設はつくらない」んですよ。地域の実情がまず中心になっているところが、広田さんが言った「本人の姿が見えない、ノーマライゼーションではない」ことだと思います。
 目標がないから、入所施設はできないと思っている人がいるとしたら、そこが国の巧妙さだということです。「懇談会をつくりました」「パブリックコメントを募集しました」としていますが、ほんとうに障害者の声が反映された形とは思えない。内容を見れば、それがよくわかると思います。

「社会的入院」「施設」から「地域」へは実現するか

植村 みなさんのご意見は、施設から地域へというスローガンは理解できるが、これを実施していくための数値目標などについては不十分、足りない点があるということだと思います。また、脱施設が達成できるのか、精神障害者7万2000人がほんとうに地域社会に出て、地域で生活する体制が取られるのか、数値目標が旧障害者プランよりも低いのではないかなどが問題として出されました。なお、この場合の施設とは、精神病院なども含んだ、拘束のある入所施設という意味で用いたいと思います。
 新障害者プランである「重点施策実施5か年計画」の中で、脱施設をどう取り組むのか、もう少し掘り下げたいと思います。

社会資源の整備を進めてこそ、脱施設につながる

太田 私も12年間、東京都の基準という職員配置基準の高い療護施設で暮らしていたのですが、施設関係で気になっている部分は、脱施設という理念が中身を伴わず、あまりにも表面的に先行しているきらいもあり、長年施設で生活している障害者が悪いかのような、落第だという烙印を押すような雰囲気が出てくるのではないかと心配です。
 入所している人たちは、ほんとうは施設を出たいという切実な思いがありますから、あの人は施設を出られてうらやましいとか、複雑な心理を持ちながら生活していると思います。理念だけが先行すると、ますます施設に居づらくなります。いままでも自分の意思にかかわりのないところで生活が規定されているのに、出ざるを得ないという状況で施設を出されるようなことがあったとしたら、たいへんな方向に行くのではないかと思います。
 脱施設、自立生活と声高に言われるところに、極端にいえばファシズム的な要素がないわけではないという気がして怖いんです。従来の“リハビリテーション”のように。本人の意思を尊重しないで、強制されたものが生まれることがないようにきちんと監視していきたいと思います。

植村 脱施設という風潮の中で、当事者の意向を無視して動くことがあってはいけないですね。

太田 具体的な受け入れ態勢のないところで、地域へ地域へという雰囲気がつくり出されていくことはよくないと思います。多様な社会資源の整備を具体的に進めていくことこそ、脱施設につながると思います。

柴田 知的障害者のグループホームは、いままでも毎年600か所ぐらいつくってほしいという要望が出ましたが、厚生省の予算が毎年400か所しかないので、200か所は我慢しなさいとなりました。
 平成12年度に厚生労働省が全国調査をして、知的障害者のニーズとして2万人がホームヘルプサービスを使いたいという結果が出ています。しかし実際に使っているのは数千人です。市町村の対応の遅れも原因の一つですが、居宅支援サービスの整備は極めて遅れています。これを進めることが、まず必要です。
 その一方で、身体障害者が入所している療護施設は、生活施設と位置づけられています。知的障害者の入所施設は訓練施設という位置づけですが、入所施設で30年間兄弟のように暮らしてきた人たちに、これからは地域の時代だから町の中にどんどん出ましょうといっても、出たくはないという人もいるのではないかという気がします。人生のいちばん大事な時期を施設で過ごして老後を迎えた人たちが、いままでの生活を続けたいと言ったとき、高齢化した集団を支える制度をつくりながら、元気で地域に帰りたいという人たちには地域に帰れるような支援ができればと思います。

危険な理念先行の動き

三田 太田さんや柴田さんの発言は、どういう視点に立つかによって、受け取られ方が違うと思います。脱施設には賛成ですが、脱施設の理念ばかりが先行すると、施設にいるだけでいたたまれないという思いが出てくるのはわかります。受け皿は必要ですから。しかし、敢えて言えば「まず受け皿をつくりましょうよ」というのは、これまでは地域に出したくない入所施設側の言い訳として使われてきたことも多かったのではないでしょうか。受け皿云々の前に、障害があってもなくても地域で暮らすのが当たり前なのに。
 理念は高くもつべきで、それは変えなくていいんです。高い理念を実行するための手段が何もないのが問題なので、実情に合わせて理念を下げるなんて本末転倒。社会的入所・入院している人たちのことを考えるときは、当事者主体で当事者と一緒にすべきだと思います。そしたら何が問題かわかります。
 近年、ノーマライゼーション、脱施設と言われ始めてから、問題のある知的障害者関係の入所施設のいくつかは批判を恐れ、大学生の実習すら受けなくなっています。問題のある施設はどんどん閉鎖的になり、密室化し、質がさらに低下して、入所者にはね返るという悪循環になっているという気がします。

植村 精神障害者の場合、社会的な整備、受け入れ環境という点ではどうですか。

広田 単に社会資源の受け皿ができるということではなくて、精神障害者が地域の中で安心して暮らせるような環境が必要です。私は夜は一見元気に見えますが、毎日薬を12錠飲んでいますので、その作用で午前中は寝ています。昼頃雨戸を開けると、「あの人はおかしい」と言われました。地元の警察署や交番が私のことを知っているので問題は起きませんが、知らなかったら、おかしな人がいるということで住めなくなります。どんな障害、どんな病気をもっても、社会の中で暮らせるという環境を整えることが第一です。
 新プランでは、この5年間で地域生活支援センターを470か所、ホームヘルパーを3300人増やすという計画ですが、47都道府県で割ったら1県あたり何人になりますか? 精神障害者本人の都合ではなくて退院先がなく、社会的入院者が7万2000人以上いるわけですよ。また、精神障害者の7割は自分の意思で入院していますが、その中の半数は鍵と鉄格子がある病棟です。32年間入院している女性が生活訓練施設(生活援護寮)を見て、「ここなら退院したい」と言いました。実際にこういう生活があると具体的に見せれば、出たいという気持ちになりますが、入院しているところで「どうですか」と聞いても、不安になるだけですから、見えるようなモデルが必要ですね。
 家族が当事者をなぜ引き取れないかというと、不安だからです。いまこの瞬間に33万人が入院していて、6時に起こされ、9時に寝かされ、1日ほとんど何もすることがない。すき焼きも焼き鳥も自由に食べられないで、携帯電話も知らない……、それでいいのかと、涙が出ます。
 精神障害者に対する社会の目は、昭和39年のライシャワー事件のときも池田小学校事件のときも時代背景はまったく同じで、精神障害者は怖いというイメージがあります。社会保障審議会障害者部会精神障害者分会の報告書がつくられたのは、精神障害者を7万2000人社会に出そうということだけではなく、精神障害者が重大な犯罪を犯したときにどうするかという、血と涙と肉をとられるような法律「心神喪失者等医療観察法案」をつくる国会の審議の中で出てきた「車の両輪」なのです。

植村 三田さんの「施設を出さない側の論理」という発言についてはいかがですか。

太田 そのとおりだと思います。私はたぶん三田さんより「脱施設派」だとは思うのですが、施設を守る立場の人は、“守る”という姿勢を明らかにすべきです。ある論点があると、どちらが多数派かを察して、自分もそちら側にすり寄ってしまうという傾向が日本人にはありがちです。施設をなぜ守るかという納得した説明がないので、極端から極端にいってしまいますが、施設をどうするかを正面から議論すべきだと思います。
 みんなが脱施設、自立生活だから、国連が提唱しているから自分もその立場に何となく立つとかがありますが、意見をきちんと出して正面から議論をしないから、行政は議論がないことを前提に収拾策を出してきて、「これでいいでしょうか」というふうになるのではないかと思います。

三田 脱施設、地域と言いながら、現場で議論をしていない、国も議論をしたかのように見せかけて議論していない。都道府県も県民福祉プランとかを出して、平成18年度開設予定だから、とりあえずつくろうかとなるのが問題ですね。「ノーマライゼーション」の言葉の意味を、わかっているのでしょうか?

広田 私は民間企業に長く勤めていました。カミングアウトして。いま地域でもカミングアウトして生きていますが、一般社会の人たちの見る目は変わってきていると実感しています。精神障害者をとりまく家族や福祉、医療、保健の関係者の固定観念、偏見のほうがはるかに大きいと思います。一人の人間である前に「精神障害者」なんです。精神障害者に正しい理解をと言っている側の自己改革こそ必要だと思います。「厚生労働省は『当事者委員を入れたい』と言っていたのに、当事者委員がこれまで出なかったのは、『だれが出てもつぶされてしまうから入れないほうがいい』と言ってきたから」と昨年業界関係者から言われていましたが、この言葉どおり私はたたかれています。

パブリックコメントの評価は?

植村 インターネットで平成14年11月7日から28日までみんなの意見(パブリックコメント)を募集したことについてはどう考えますか。

広田 インターネットを使いこなせない人がいるので、郵送方法も活用してほしかったと思います。

三田 パブリックコメントに一番反応したのは、福祉や医療などの業界関係者ではないかと思います。もっと一般の人たちが参加して、自分が障害者になったらどういうふうにしたいか、真剣に議論をしかけて意見を集めてくれたらよかったのですが、福祉関係でない人は知りませんでしたよね。一般の人たちを巻き込んだ議論をしなければいけないと思います。知的障害者はパブリックコメントとは何かを考えるだけで、3週間が過ぎてしまいました。もっと明るく楽しく情報提供して、一般の人たちに意見を聞いたらと思います。

植村 「障害者基本計画」の策定課程は、形式的手続きを踏んだだけで、基本的には論議されていないのではないかという意見が出ていましたが、どういうところが議論されていないのか、障害者団体の立場でどういう形だったら意見が反映されやすいと考えますか。

太田 各委員はそれぞれの立場で意見は言っていますし、意見に基づいて全体的にも発言していますが、一つのシナリオがあったと見ています。障害者団体の委員を中心に、差別禁止法や総合的な障害者福祉法等の制定、民法の扶養義務規定の見直し等について具体的に盛り込むべきと強く訴えましたが、「それは法制度の問題であり、この場には馴染まないもの」として、座長や事務局に退けられました。
 要するに懇談会はあってもなくても結果は同じで、政府とすれば当事者に委員をさせた、議論をしたというアリバイづくりが重要ではなかったかという気がします。
 パブリックコメントに関しては、広く意見を聞くという意味で重要です。日本人は、法律や政策は行政がつくるものと思っていますが、三権分立ですから、基本的には法律や政策は市民がつくるべきものです。市民の意識が変われば、行政も変えざるを得ない時代がくるでしょう。

三田 懇談会の内容がインターネットに出ていましたが、委員はいい意見を言っているのに、まとめでは文章が変わっていたと思います。初めに結論ありきで、発言が反映されていないまとめが出てくることに対して、委員はもっと怒ればいいと思います。懇談会という位置づけがあいまいですしね。

太田 団体の委員同士で話し合ったり、統一意見を出したりしましたが、壁がありました。

真にニーズをもった人が議論の場へ

広田 日本のいろいろな委員会はあまりに組織的にすぎるのではないですか。パブリックコメントを求めるくらいなら、団体の長ではなく、もっと本人の意見を求めるべきだと思います。精神障害者の団体を代表する人は元患者とか軽い人たちが多いですから、昼まで寝ているような重い人のニーズはわからない人もいます。重い人ほどニーズがあるので、生活のしづらさをもっている人の意見がいかに反映させられるかが大事です。ニーズをもった本人と家族としてのニーズをもった人が審議の場に出てこなければいけないと思います。

柴田 私は、東京都の障害者ケアマネジメントの検討委員をしていますが、都は身体障害者はもちろん、知的障害者の委員の参加を進めてきました。平成12年度には精神障害者の委員が1人で合同全体会では発言しにくそうでしたが、平成13年度には2人になり、当事者としての発言をしていました。知的障害者も、最初はケアマネジメントについて考えるのはむずかしかったのですが、参加していくうちに自分たちにいかに必要かがわかり、こうしてほしいという意見が出てきました。精神障害者も知的障害者も、当事者を委員会などに参加させてほしいと思います。かなり本質的な発言が出てきます。

広田 参加させてほしいではなくて、その人たちが主役なのですから、主役を抜きにした議論に対して意見を言わなければならないと思います。ホームヘルパーについて議論するなら、ホームヘルプサービスを使う確率の高い人が議論に参画すべきで、○○団体の長という肩書きだけでサービスを使わない人が入っても当事者性がないと思います。

今後、新プランにどう対応していくか

早急な見直し、争点を明らかにして施策推進

植村 「障害者基本計画」や「重点施策実施5か年計画」に今後どう対応していきますか。

三田 障害者基本計画、新障害者プランにしばられずに、いまからでも議論をしていかなければならないと思っています。具体的に入所施設の数字がなく、本当にどれくらいつくられているのかわからないので、きちんとした数字を出しながら、脱施設にほんとうに向かっているのかを検証していくべきです。
 平成11年度末に知的障害者の全国入所施設実態調査を行いました。7割ぐらいから回答をいただきましたが、1年間に施設を出る人は1%に過ぎないことがわかりました。知的障害者の約3分の1が入所している施設に、国の予算の7割以上が投入されていますが、新障害者プランが出された後も、その割合がどう計算してももっと上がるんです。数値が出ていないので見えないのですが、入所施設をつくる計画が各県にたくさんあるので、お金の使い方というシビアな点で、ノーマライゼーションなのか、脱施設なのかを賢く追求していかなければならないと思います。

柴田 入所施設や通所施設の支援費は義務的な経費として、2分の1は国の負担です。しかし、居宅サービスは裁量的な経費で、国は2分の1を補助できるということで、しなくてもいいという制度になっています。裁量的な経費は、今年度予算でも削減の対象となりました。どうすれば在宅サービスの予算が増えるのかを真剣に議論しなければいけないと思います。
 障害者のケアマネジメント体制を整備するとありますが、相談支援事業を一般財源化することによって、整備の進捗はかなり遅れそうです。市町村が相談支援を行うことになっていますが、財源をどう確保するかがむずかしくなってしまいました。
 また施設のサービスについては、通所授産施設を7万3700人分整備するとありますが、前のプランでも問題になりましたが、重度の知的障害者が日中活動を行う場のしっかりした位置づけがありません。実際には通所更生施設に通っていますが、そこは授産施設よりも支援費が少なく、いままでは県や市が上乗せをしてきました。今回のプランでも、重度障害をもつ人たちの地域生活にどう取り組むかはあいまいです。唯一触れられているのが重度心身障害児(者)の通園事業です。
 「見直しありき」ということですので、すぐにでも見直しをして、国の年次予算で見ていくべきです。ニーズはたくさんあるのに、このプランがあるから増えないというようなしばりにならないかと心配しています。

広田 地方分権の時代ですから、厚生労働省主導というよりも、この数値目標は少ないと当事者が居住地で声を上げ、地方自治体に働きかけることが必要だと思います。日本では組織や団体が重視されますが、広田和子個人で厚生労働省の委員に入れる時代ですから、地方自治体も患者会などの組織の意見を聞きたがるのだけではなくて、一人でも声を上げたら、その人の声に耳を傾ける姿勢をとってほしいですね。当事者だから不安なので複数というのは、偏見です。精神障害者は意見が言えないという先入観は改めてほしいと思います。
 障害者プランでは、病床は数千床しか減りませんでした。入院の必要がない人が入院していることがおかしいのですから、病院関係者も病床を減らすことに努力してほしい。精神障害者だけが、なぜ社会的入院があるのかは根本的な問題です。地域でふつうに暮らせればいいんです。私は最近足を骨折しました。仲間が家に手伝いにきてくれましたが、ピアボランティアでお金のやりとりは一切ありませんでした。お互いが支えあい、自分たちでできる社会貢献をして、できないものは公にお願いする。こんな支援がほしいと、当事者が地域できちんと発信していく時代だと思います。
 新障害者プランの数値が出ましたが、これが着地点ではない思います。精神障害者の福祉ホームを約4000人分整備するとなっていますが、精神科病棟を福祉ホームに転換するとか、精神病院の敷地内に建物を建てることのないようにしなければなりません。医療と福祉は近いほうがいいと医療関係者は言いますが、救急車を使った24時間の精神科救急医療システムが整備されれば、距離的に遠くてもいいわけです。どこに住んでいても、ほかの病気と同じように医療を使えて地域で暮らせるために、多くの精神医療サバイバーが声を上げていきたいですね。一人ひとりニーズは異なりますから。

当事者・関係者が声を上げる

植村 障害者基本計画を具体的に推進して行くためには、当事者の意見参加が不可欠です。また、当事者が参加して提言できる体制、プロセスが必要ですね。

三田 身体障害者の方たちがこの1月に厚生労働省に抗議している様子を見て、知的な障害をもっている人たちも自分たちの意見をまとめて2月に記者会見をしたら、マスコミの人たちが真剣に耳を傾けてくれました。彼らなりの考えも発表方法もあるのです。「国はお金の使い方を間違っています!」とか。すごく説得力がありますよ。
 また、私も少しお手伝いをしていますが、長野県ではグループホーム建築予算の半分を県が持つなど、独自の地域移行推進サービスをつくっています。宮城県では、施設解体宣言をして動き出そうとしています。なぜ宮城では施設の解体が実現して、愛知では入所施設が増えていくのだろうということを、随時情報収集・提供して、納税者である県民・市民を教育することが必要です。
 それと、施設か地域か、国のプランの数字を議論するだけでなく、障害をもっている人の地域生活支援について議論をしていないのが問題です。地域サービスをつくるとはどういうことなのかを議論していないから、精神病院の敷地中にホームをつくってみようとか、入所施設の隣に支援センターをつくってみようとかいう話になるのです。職員は家賃を払ってまでそんなところに住まおうと思うのか、「ふつうの暮らし」を問い直す「物差し」を持たずにはノーマライゼーションも日本限定の狭いものになるでしょう。
 自信をもって、地域生活支援の重要性をみんなで言えることができたら変わるのではないかと思います。もちろん障害者本人の声を中心に、です。

太田 小泉総理が構造改革と言っていますが、私たち障害者団体も大きな視点で構造的改革を進めていかなければならないと思います。
 福祉施策、障害者施策は、国民全体にとっても経済にとってもマイナスではないと思います。そういう施策を進めることによって経済成長もできるし、公共事業に変わる新たな職場を生み出せることで、人々が安心して生活ができるようになればいいのではないかと考えます。障害者団体が障害者施策にとって構造的な改革は何かをきちんと提起をして、改革を進める運動を政策的にしていかなければならないと思います。
 病院の経営や施設の問題は、医療法人や社会福祉法人が厳然としてある以上つぶせないと思いますが、基本的なメスを入れていく必要があると思います。施設から地域へと言うだけではだめで、社会福祉法人や医療法人をどう変えていくのかという具体的な施策がないと、絵に描いた餅になってしまいます。
 私も社会福祉法人の理事をしていますが、いろいろな法律のしばりがあり、定款さえも自由に変えられません。表向きは施設から地域へと言いながら、本音では厚生労働省は法人の存続を望んでいるようにしか思えません。法制度の面から法人の改革をしていかないと、ノーマライゼーションというか、患者や障害者が当たり前に生活していくことは達成できないと思います。
 障害者団体が大きな視野を持って、厚生労働省の施策を見つめながら、障害者団体や市民としての政策的なアプローチが必要なのではないかと思います。観念論に陥らずに、具体的な争点を明らかにしていく。そういうぶつかりあいを通して、構造的な改革が実現すると思っています。

植村 障害者施策に関する長期計画やその実施計画の策定は、障害者施策に計画性を持たせる、長期的視点で施策を整理し論議するなど意義があり、重要な役割を果たしていると思います。しかし、計画も3期目を迎え、具体的な成果が求められるようになって来ています。目標やスローガンだけではなく、各論で具体的に結果を出していくことが求められていると思います。
 長期計画やその実施計画の策定は、策定することに目的があるのではなくて、障害者が地域で質の高い有意義な生活できるように具体的に推進していくためのものです。きちんと論議を尽くして、政策立案や計画の実施に反映させていくことが必要です。今後、具体的にアプローチをしていかないと、計画が実質的に進まないのではないかと思います。皆様方がそれぞれの立場で発言され、活躍されることを期待いたします。
 今回は、長時間にわたり、ありがとうございました。