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相談事業の一般財源化と
ホームヘルプの上限設定
―アブノーマライゼーション継続宣言!―

戸枝陽基

 サンタは良い子のもとには素敵なプレゼントを持って来る。暮れも押し迫り、街が電飾に彩られた頃、悪い子の僕のもとには、最悪のニュースがプレゼントとして届けられた。
 その最悪のプレゼントとは、重症心身障害児や知的障害児・者を対象にした、地域療育等支援事業と身体障害者を対象とした市町村障害者生活支援事業の両相談支援事業への国庫補助金が廃止され、一般財源化されるというニュース。国は、大切な事業だから各市町村が責任を持ってやってもらいたいというけれど、この財政事情の中では、無茶な話しだ。
 僕の周りにも、支援費制度の仕組みを理解しきれず、支給申請が上手にできないで右往左往している当事者や家族の方がたくさんいる。ケアマネージャーが制度化されず、唯一、福祉サイドで相談できる人的資源がいる事業を切られ、この人たちは、どうすればいいのか。
 そんな重苦しい気持ちで年を越したところで、今度は、ホームヘルプ事業の上限設定というとんだお年玉をいただくこととなった。支援費制度が始まると、ホームヘルプ事業の需要が増え、財源が不足する可能性があるため、一定の枠を設けたいとのこと。
 介護保険との併合をにらんでいるのか、その辺りはわからない。しかし、「老人介護にも上限があるのだし」という論理は、長期に渡る生活保障であり、社会参加活動保証でもあるという障害者ホームヘルプ事業の特性をまったく理解していないものの発想だと思う。
 その障害の特性に応じて、必要な介助量を受ける。みんな均一が平等ではない。そんな障害者支援の根本がわかっていない人たちが、彼らの生活の根幹にかかわる仕組み作りにかかわっているという事実に愕然とする。
 国家財政が苦しいだの、際限なく予算が増えた場合の対応はどうしたらいいのかだの、いろいろな話しが出ている。しかし、そんなことは、支援費制度の仕組みを見た関係者は、その瞬間からずっと、こんな大風呂敷を広げて大丈夫なのかと指摘してきた。障害者の地域生活が社会サービス基盤のなさから、いかに、ニーズを潜在化させられて来たのか。そのことを支援費制度を準備する者が理解していなかったということが、今回の事態を招いていると思う。そして、その事実をうやむやにするために、当事者や関係団体と何の話し合いもなく、方針転換したことが、抗議行動という混乱を招いたと感じる。
 日本は民主主義国家だ。社会主義でも、ましてや、封建制度でもない。結論はどうあれ、きちんとした情報公開と議論を。それなくして、支援費制度の円滑な実施は、あり得ない。

(とえだひろもと NPO法人ふわり理事長)