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文学に見る障害者像

岡本かの子著
『鶴は病みき』

―鋭利な観察で晩年の芥川龍之介を描く―

関義男

はじめに

 芥川龍之介の強度の神経衰弱は彼の人生に深刻な陰を落とすものであった。「氏の神経衰弱はほとんど痼疾であった」とは龍之介の主治医下島勲の診断である。痼疾とは〈凝りかたまった持病〉という意味である。今日的な理解の仕方では龍之介の精神は重い障害の状態にあったということになるが、いずれにしても彼はこの疾病に苦しみ、ついに自ら生命を絶つに至る。
 岡本かの子の『鶴は病みき』は病状が進行しつつあった時期の龍之介の隠れた日常を描いたモデル小説としてよく知られ、かの子の代表作のごとく扱われてきた作品である。発表当時からこの作品について賛否両論あるように、小説としてけっして出来のいい作品と言えなくても多くの人に読まれたのは、龍之介への関心と興味によってであろう。
 かの子は早くから歌人としてまた仏教研究家として定評のある人だったが小説家への嗜好が強く、すでに三十編前後の作品を書いてきたものの全く評価されずにいた。『鶴は病みき』はその話題性によって事実上の文壇デビュー作となったのである。

作品の概要

 大正12年7月、葉子一家は避暑のため鎌倉H屋の別荘の一棟を借りた。偶然にも廊下続きの隣の一棟が高名な麻川荘之助が借りていることを知ってはっと驚く。麻川荘之助と言えば、葉子にとってかなり眩しいような小説道の大家で、はっと胸にこたえるものがあったのは、葉子の内側に稚純な小説崇拝性が内在しているからであった。葉子には、かって習作小説を見て貰おうと氏に出した手紙が黙殺されてしまったことへの恨みがましい気持ちや、X婦人の美貌を激賞する氏の審美眼に不愉快を感じたことなどへのわだかまりがあった。
 しかしこのような前提は、いよいよとなると葉子の心から一掃されてしまう。
 ――葉子達より遅れて東京から越して来た麻川氏は、翌朝早くから着物も帯も痩躯長身にぴったり合った姿で部屋を出たり入ったりした。麻川氏のノドボトケの慄えを感じさせる太いバスの笑声が、隣の棟にまで響くが、葉子は、鋭敏な神経線を束ねて筏にしてぶん流す河のような声だと思うのだった。
 ある朝、洗面所で麻川氏に逢うと「僕、昨夜、向日葵の夢を見ました。…」と言う。夢の話をする氏の眼が少し血走っていた。
 時々、わあわあと大声をたてる赫子という若い女が麻川氏の部屋に遊びに来る。ある日、どたんばたんと相撲をとってはしゃいでいる時があった。麻川氏のはしゃぎ方には、氏の都会的な陽性を、底へ引き込む陰性なものがあった。
 麻川氏と葉子は日増しに語り合う機会が多くなっていくが、良き一面の氏とは似ても似つかない「幼稚とも意地悪とも、病的、盲者的、時としてはまた許しがたい無礼の徒とも云いきれない一面に逢」い、後々まで口惜しさがこみ上げてくる。
 ある日、炎天下で無帽の麻川氏がうづくまり、地べたを見つめていた。氏は、炎天の地下層に小人がうじゃうじゃ湧こうとしてるんじゃないかと言って笑う。氏が立ち去った足元に大粒の黒蟻が沢山(たくさん)殺されて居るのを見た葉子は、汗で長髪を額にねばり付かせけらけら笑っていた氏の姿に白昼の鬼気を感じて気味悪く思う。
 ある日、麻川氏と葉子は「女性美」について語り合うが、そこでも互いの意見がずれてきた。そのなりゆきから麻川氏は1枚の画像を持ってくる。葉子はたちまち画像に魅了されてしまう。葉子はその時の麻川氏の顔に「自己満足の創痍」を見、氏の性格の悲劇性をまざまざと感じるのだった。
 その後、葉子は麻川氏の奇異な行動や、気味悪いグロテスクな表情や、鼻の先から体がみるみる白骨化していくのではないかと思われる顔や姿を見ることが多くなる。
 葉子は麻川氏について無邪気な好人物なのだと好感を持つ一方で、神経質で執拗で意地悪な一面に逢って腹立てたり不愉快な思いをしたりすることも多くなっていく。
 互いに親密さを抱きながら反発して傷つけ合う2人の関係に終止符を打つべく葉子の良人は「あの人の神経には君が噛み切れないんだよ」と鎌倉からの引き上げを勧めた。
 それから5年後の昭和2年の早春、熱海へ行く途中の汽車の中で麻川氏に出逢った。氏の「額が禿げ上がり、老婆のように皺んだ頬を硬ばらせた奇貌」を見て、何という変わり方! と、葉子はこうまで氏をさいなみ果たした病魔の所業に驚かされるのだった。ある駅で降りて早春の外光の中に立つ氏の姿は傷ましくて思わず眼をそむけたくなる。
 「あ、おば○!」、不意の声をたてたのは反対側の車窓から氏を見た子ども。「すっかりやられたんだな」と葉子の良人の独言。葉子は暗然として息を呑んだ。
 その日の夕刻、熱海梅林に飼われている1羽の果無(はかな)げな鶴を見ているうちに麻川氏のことが想われ、「この鶴も、病んではかない運命の岸を辿るか」と感傷に引き入られて葉子は悄然とする。その年の7月、麻川氏は自殺した。

作品と障害者観

 『鶴は病みき』にはさまざまな人物が変名で登場する。読者には川端康成、谷崎潤一郎、石川せつ子(谷崎の義妹で『痴人の愛』のモデル)、秀しげ子、小穴隆一、菊地寛等々、文壇史でよく知られた実在の人物が容易に特定できるだろう。それだけに芥川龍之介の知られざる一面もまた事実であろうと想像されて生々しい印象を与える。
 本文中の「支那旅行から持ち越した病気が氏をなやませ続けている噂もまんざら嘘ではないらしい」「やはり支那旅行以来のものが執拗に氏から離れないものらしい」について言えば、龍之介は中国の悪場所に出入りして梅毒に罹り、自殺の原因の一つがこの病気の進行によるものだったとの風説があった。龍之介の神経衰弱を神経梅毒視する見方は、彼の主治医下島勲から、梅毒の徴候はなく、治療を受けた気配も形跡もないと否定されている。
 『鶴は病みき』は龍之介の欠点ばかり書いていると言う批判があった。たしかにこの作品には龍之介が絶対に人目にさらしたくないであろう不用意な姿―マイナス面が多く描かれているが、川端康成が「深い愛情によって書かれたものである」と書いているように、かの子は、作品本文の表現をかりれば「心性のある部分が澄明な白梅に似ている」龍之介への愛惜の情によって書いたのである。
 かの子の随筆『今夏の芥川氏』『芥川さん略描』では、彼女が龍之介に並々ならぬ敬愛と親密さを抱いていたらしいことが推察される。龍之介の親しい知人の隻脚の画家小穴隆一について、『鶴は病みき』では「麻川氏の屹々とした神経の先端を傷めないK氏の外郭形態の感触に安心して…」と分析的な書き方をしているが、随筆では「同室の足の不自由な小穴氏などにも行きとどいた優しい世話をして居られた」と素直な文で、龍之介の細やかな優しい姿を伝えている。
 亀井勝一郎はかの子の作品の特徴について、「病み衰えるいのちの奇しき光をみるや否や、大胆不敵な把握力をもって――一種異様な好奇心を働かせつつ貪婪に迫って行く。(中略)死に近く立つ人間、病み弱まった古い血統、さうゆふところに妖麗に燃えたつ生命をかの子氏は抱擁する」と解説する。
 かの子は自らの生命をもてあまして常識と言う物差しとは無縁の華美奔放な生き方をした。かの子を「狂い咲いた大輪の花のような…」と評する人がいる。しかし、みてくれの着飾った容姿からは想像もつかない懊悩を内側に抱いていた。また異常とも奇異とも思われる事柄への嗜好と、それらの事々を違和感なく受け止めて調和してしまう素質を持っていた。
 かの子の作品の多くに病的な執拗さをもった人物が出てくる。さらには、たとえば『豆腐買ひ』『狂童女の恋』『春』の精神障害、『汗』『みちのく』の知的障害、足の不自由な姉妹を描いた『老主の一時期』、歴史に題材をもとめた『上田秋成の晩年』等、精神的身体的ハンディのある人々を取り込んだ作品が多い。それは血が淀んでいるような旧家に生まれ育ったかの子が、活力を失った生活や頽廃の影に付きまとわれ、心身を病んで苦悶する人々を少なからず見てきたためかも知れない。
 かの子が障害者について直言した一文『不具者よ逞しく生きよ』では、「不具になったが為に世の中のことをよく考え、人情、世相を覚り、人生をはっきり認識し深く味わっている人が非常に多い」「周囲の健全な人達はこれ等の外観上不幸に見える人達に対してもその欠陥を補って餘りある美点を認めて励すならば、そこに美しい人間生活が生ずる…」等の意見を書いている。その書き方に『鶴は病みき』の末尾の部分と似た、ある共通の印象を受けるのは仏教研究家だったかの子の大乗仏教的素養であろう。
 かの子の人生は夫岡本一平の寛容と包容力がなければ、とうに人間存在としての形が破壊されていただろうと言われている。
 『鶴は病みき』でデビューして幕を閉じるまで、わずか5年の命だった。短い年月の間に奔流のように生み出す数多くの作品によって、かの子は豊麗な世界を展開してみせた。創作にそそぐ激しい燃焼は、ある種の障害の境界線上を彷徨(さまよ)う魂―――かの子自身の癒しの活動だったのだろう。

(せきよしお フリーライター)

【参考文献】

  1. 『今夏の芥川氏』(大正12年)
    『芥川さん略描』(昭和2年)
    〈冬樹社版『岡本かの子全集14』に所収〉
  2. 『不具者よ逞しく生きよ』(昭和10年または11年と推測されるが不明)
    〈冬樹社版『岡本かの子全集12』に所収〉
  3. 『「鶴は病みき」の作者』(昭和11年)
    〈新潮社版『川端康成全集29』に所収〉
  4. 『岡本かの子 鶴は病みき』(昭和14年)
    〈講談社版『亀井勝一郎全集補巻1』に所収〉
  5. 古屋照子著『岡本かの子』沖積舎(昭和59年)
  6. 山崎光夫著『藪の中の家(芥川自死の謎を解く)』文芸春秋(平成9年)