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ラオス
NGOで働くラオスの障害者たち

滝沢彰子(当協会職員)

 今回私は、ダスキン・アジア太平洋障害者リーダー育成事業第5期生選出のためラオスを訪れた。そこで2人の候補生とのインタビューを行い、私が感じたことを中心にまとめてみたいと思う。

のどかな光景の首都

 ラオスは、周囲をベトナム、中国、ミャンマー、タイ、カンボジアの5か国に囲まれた内陸国で、国土の広さは23万6800平方キロメートル、日本の本州とほぼ同じ広さである。首都のビエンチャンに到着した時の第一印象は、「これが首都?」であった。中心部の道路は大部分が舗装され、整然とした印象を受けたが、とにかく人が少ない。機能している信号は数える程しかなく、その中で事故も起こさずに車とバイクとトゥクトゥクが併走しているのは、見事というしかない。また、絶対的な車の量が少ないので、中心部でもバンコクのような大渋滞はない。日頃、東京などの交通渋滞を見慣れている私にとって、何とものどかな光景であった。
 山地が国土の大部分を占めるラオスでは、交通インフラや通信インフラの整備が遅れているため、障害者に対する教育、健康、予防接種、リハビリテーションのサービスの提供に大きな影響を与えている。障害の70%は特別の理由に起因するのではなく、一般的な健康状態の悪化によるものであると言われており、また、他の原因としては、戦争による不発弾、事故、感染症、先天的原因が上げられる。

厳しい障害者の状況

 「ボーイフレンドは今までいたことがないし、将来結婚はできないと思う」。この言葉は、面接が終わった後、候補生と歩きながらたわいもない話をしていた時に、彼女が何気なく言ったことである。彼女は、大きな目が印象的で、笑顔が絶えない快活な女性だ。
 ラオスには国立大学が一校あるのみで、一般的にも大学の進学率は高くない。その中でも彼女はラオスの各郡からの推薦枠で入学した、学費免除および手当が支給されるというトップクラスの成績を修めた。そんな彼女も障害がある故に、さまざまなスティグマと闘ってきた。ラオスでは、障害者の地位は高くない。彼女が大学の先生に海外留学したいと相談したら「障害があるから」無理だと言われ、また求職中も「障害があるから」と面接を受けることさえ断られた。今まで勉学に励んで来たのは、向上心からであることは勿論だが、自分自身に対する劣等感を払拭したいとの思いもあったのではないだろうか。
 彼女は大学卒業後、日本のNGOのラオス事務所に会計担当として勤務している。このNGOは、国際協力事業団(JICA)の開発パートナーシップ事業(JICAがNGOに開発事業を委託)として、2000年12月からビエンチャンで車椅子製造指導支援事業をはじめた。ラオスでは車いすは高価であるため一般の障害者はなかなか購入できない。そのため価格が安く、入手しやすい値段での販売をめざしている。一方、貧困層にある障害者への救済手段として、スポンサーを探し、製造した車いすを買い上げてもらい、障害者に無償で提供しているという。今まで無償で提供した車いすは、275台に上る。
 現在の支援事業は、今年12月で終了するという。事業を継続させていくためには、現地スタッフの人材育成と少しでも車いすの販売収入をあげて、一人立ちできるようにしていくことが重要なことではないだろうか。
 次の日、もう1人の候補生の自宅を訪問した。彼も前述のNGOで働いており、車いすの配布記録や無償提供をする車いすを買いあげてくれるスポンサー探しを担当している。彼は、障害があることで農業で生計を立てている両親からは全く期待されていなかったそうだが、今は一家で一番収入のある大黒柱だ。現在、家族のために貯金したお金で家を新築(驚いたことに完成する前から住んでいる)している。そこで、私たちを歓迎するために、家族や村の人々がバーシーというラオスの伝統的儀式を行ってくれた。バーシーは、出生、新年、結婚、歓迎、死別、門出などの人生の節目に行われる儀式で、祈祷師や村の長の祈りと共に手首に白い糸を巻き付けて、健康や子孫繁栄を願う。祈りの後に祈祷師から糸を巻いてもらい、その後は入れ替わり立ち替わり、そしていろいろな人同士が相手の手首に糸を巻きあってお互いを祝福し合う。私たちも村の年寄りから小さい子どもたちまでいろいろな人に糸を巻いてもらい、またたく間に手首は白い糸でいっぱいになった。
 先日、第5期生の最終選考会が行われ、彼女が研修生の1人として選考された。電話で合格を伝えた時、彼女は今にも泣き出しそうなくらい喜んでいた。来日前には、私が経験したバーシーを家族や村の人と共に行うのだろう。そして、周囲の人々の思い、また自分自身が抱く期待や不安を、バーシーの糸と共に携えて来日する。あの大きな目に優しさをたたえた彼女と、ラオスの人々の思いの両方を、成田空港で迎える日を楽しみにしている。

【参考文献】

 国際協力事業団企画・評価部「国別障害関連情報 ラオス人民民主共和国」(2002年3月)