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家族支援の望めない人たちは?

小西早苗

相談事例・Aさん

 知的障害者の相談員制度は、昭和43年に発足いたしました。よもや私自身が障害をもつ子の母になるなど夢にも思わない頃のことです。
 時代背景的にも障害児・者の存在がまだ認知されにくく、家庭の中ですら否定的なものとして受けとめられ、家族の、特に母親の孤立感は絶望的ですらあったかもしれません。
 何もかも未整備な中を、子どもたちの成長に伴って必要とされる保育・教育・卒後の通所等々、関係機関に働きかけ親同士がスクラムを組み、今を築き上げてこられたのだと思います。感謝を忘れてはいけません。
 私が相談員の仕事を拝命しましたのは、かれこれ12、3年も前のことだったように思います。すでに保育園や幼稚園でも障害児の受け入れが盛んになり、養護学校も全員入学できるようになり、ともあれ高等部までは保障されるようになっていました。福祉事務所の窓口もかなり訪れやすくなり、気軽に相談に行けるようになっていました。窓口で対応してくださる方も公務員としての守秘義務を守ってくださるであろう安心感もあります。今の時代に地域での相談員の役割は本当のところ何だろうと悩んだのも事実でした。何やら形骸化した制度のようにも思えて再任の打診を受けた時、辞退を申し入れたこともありました。
 しかし私は相談員の職務でということではなく、周辺の知的障害をもつ人たちが少しでも幸せな人生を送れるように、少しでもお役に立てればというやむにやまれぬ思いでお手伝いをしてきました。
 さて、平成7年に知的障害者の就労の場の拡大と就労前訓練を目的とした喫茶店を板橋区の依頼で新設の区の建物の中に開設しました。今年で9年目に入りました。「こすもす」と言いますが、ここを卒業していった人たちは100人を超えます。こすもすで働く対象となる人は、企業就労していてリストラにあった人、就労が長続きせず在宅の人、生活のリズムを立て直したい人等々多様な問題を抱えつつたどりつきます。

 伸びた髪とひげ、生気のまったく失せた表情で母親と見学に訪れました。12年あまり小さな製本会社で働いていたそうです。精も根も尽き果てるほどがんばって、当初は何という社長さんなのかしらと思いました。こすもすでお引き受けするようになって見違えるように元気にはなったものの、彼の本当の実力がだんだん明らかになってきました。これまで社長さんの忍耐のうえに、彼の就労が保証されていたこと、家族の評価と職場での評価のギャップが判明し、やはり就労というハードルは彼にとって高すぎるものがありました。きちんと会話が成立し、字が書けて、ルックスもよいということで企業就労を進路に選んだのでしょうが、無理を強いると心が壊れてしまいます。人間の心は一度壊れてしまうと修復が困難で、廃人同様となった人を何人か知っています。
 ご両親に現状をお話しし説得するのに、かなりのエネルギーを使いました。障害基礎年金の申請をすすめ、年金が受給できるようになって、福祉作業所に入所しました。今では休まず元気に通って、生活寮に体験入寮もしたりして明るく暮らしています。

相談事例・Bさん

 30過ぎの大柄できれいな人でした。母親は早くに亡くなり、長女の彼女が妹たちの世話をしていました。よく気がつき、よく動き、性格も良い人ですが、他人との比較や、人の言葉に敏感に反応して気持ちを高ぶらせることもありました。恋愛や結婚への願望も強く、彼女に合いそうな人を紹介したこともありましたが、気が合わなかったようでした。ある時、彼に会ってほしいと連れてきました。なかなかハンサムな普通の人でした。私は彼女が小さなアパートを所有していることも気になって、彼女の眼の前で本気で結婚する気があるかどうか、彼女の了解をとって、こんなにできないことがいっぱいあるけれどいいのかしら、と全部話しました。結婚して間もなく子どもが生まれました。幸か不幸か障害をもって生まれ、都立の病院で乳児期の難しい時期を過ごしました。今、幼児通園の施設に通っていますが、知的障害をもち、障害児の母になった彼女は、同じ立場の通園施設の母親たちの心ない視線が一番辛いようです。彼女は、毎年母の日に小さな花鉢を贈ってくれます。たびたび、鉢替えをして、今年もバラがたくさん咲きとても良い香りでした。「きっと歩けるようになるよ、私の子だって6歳半で歩いたんだから…」と願わずにはいられません。

 相談内容は実にさまざまで、家庭が崩壊して母親が精神障害で入退院を繰り返している人、父親の無関心、母親がボーダーライン(IQが)の人、ああこの人は健全な家庭に生まれていたら、もう少し違った人生になっただろうにとよく思います。家族の支援がしっかりしていたら、就労はかなり継続できますが、家族支援の望めない人への援助をどうするか、解決策はすぐには見つかりませんが、こすもすの活動を通じ、これからも知的障害のある人たちの支援をしていきたいと思っています。

(こにしさなえ 板橋区手をつなぐ親の会会長、はすね福祉作業所所長)