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ひろがれ!APネットワーク

ベトナム
静かに、激しく活動するベトナム、
ホーチミンの障害者たち

奥平真砂子(当協会職員)

観光地化が進むホーチミン

 聞くところによると、最近ベトナムのホーチミンへかわいい小物を買いに行くことが、若い女性の間で流行っているらしい…。2年ほど前にハノイに行ったときは、ハノイは若い女性が喜びそうなところはないように思えました。「ホーチミンはハノイと違うのかなぁ…?」などと考えながら、3月25日にホーチミンに向けて飛行機に乗りました。今回の目的は、ダスキン・アジア太平洋障害者リーダー育成事業の第5期候補者を面接することでした。
 ホーチミンの空港に着いたのは夜の11時過ぎだったので、ホテルにチェックインして早々に休みました。次の日、明るい日差しで目が覚め窓の外を見ると、高層ホテルが立ち並ぶ街並みでした。それも新しく建てられたものが多いようでした。また、朝食をとりにホテル1階のカフェテリアに行ったところ、いろいろな国から来ていると思われる人々でいっぱいでした。
 ベトナムは長い南北戦争の後、1976年6月にベトナム社会主義共和国として統一されましたが、それからの約10年間はカンボジアや中国との紛争、経済破綻などで暗い時代を過ごしました。しかし、1986年から実施された“ドイ・モイ政策”によって少しずつ好転してきたそうです。“ドイ”は変える、“モイ”は新しくするという意味です。この政策によって市場経済が導入され、個人の所有権が認められるなどして改革が進み、社会全体が活性化されてきたそうです。
 そのような社会変革の波に乗って、ホーチミンはアジアの新たな観光地として今、脚光を浴びているのです。

ホーチミンの障害者たち

 私たちが会ったカンさんは、昨年のDPI世界大会(於札幌市)の展示会場でこの事業のことを知り、応募したということでした。彼女は札幌に来ていたときは確か、車いすに乗っていたと記憶していたのですが、空港で出迎えてくれたときは、足にコルセットを装着し松葉杖をついていました。そのことを聞くと、「ベトナムで車いすを使うのは、とても難しいから…」という答えが返ってきました。「あぁ、この国もかぁ…」と、これが第一印象でした。たとえば、私たちの泊まったホテルは新しいものでしたが、1階のカフェテリアへ行くにも階段があったし、彼女の住むアパートの周りは狭い路地でデコボコしており、車いすでは到底歩けそうにありませんでした。
 彼女の所属する団体は「ホーチミン障害者青年協会(Disabled Youth Association of Ho Chi Min City[DYA])」といい、レクリエーションや教育プログラムを通じて、障害種別を超えた障害当事者の活動を展開しています。実際、代表はポリオの人でしたが、副代表の1人は弱視の障害をもつ人でした。ただ、草の根団体によくある財政難という問題をこの組織も抱えているらしく、事務所は狭く活動もお金のかからないものに限られているようでした。家族から経済的サポートを受けられる人が常駐していますが、他のメンバーは仕事を持っており、時間のあるときに活動しているとのことでした。
 滞在期間中に彼らの活動をいくつか見せてもらったので、ここで紹介したいと思います。

1.ろう児・者の夜間クラス

 最近設立されたろう者の団体が、キリスト教会の協力を得て、教育を受けていないろう児・者に週2、3回、夜間に読み書きや社会のマナー、ルールを教えています。そのクラスにDYAの人たちがサポートに入って、他の障害のことや社会の動きを彼らに伝えています。
 ベトナムではろう者の識字率が障害者の中で最も低く、職に就いている人の数も極端に低いそうです。そのような状況を改善するためにも、このような活動はとても意義のあることだと思います。

2.大学生への啓発クラス

 DYAの副代表が働いている大学の学生に障害者のことを知ってもらうために、隔週の土曜日に市の中心にある公園で、障害別の教育ワークショップを開いています。私たちが見学したときは、約100人の学生が3つのグループに分かれて、視覚、聴覚、肢体それぞれのリーダーに順番についていき、白状の使い方や手話、車いすの押し方などを学んでいました。残念だったのは、視覚と肢体のリーダーは当事者でしたが、聴覚はそうでなかったという点です。
 その他は、市主催のフェスティバルにブースを出したり、仲間で旅行したり、情報提供や職業訓練にもかかわっているそうです。

静かに、激しく

 ベトナムは社会主義国です。「社会主義や共産主義の国では政治について話したり、会合を開くことが難しいと聞くが、ベトナムではどうか?」とDYAのメンバーに聞いたところ、声を潜めて「自分の表情から読み取ってくれ」というようなことを言われました。そして、「できるところからやっていくしかないんだ」とも言っていました。そう言えば、啓発クラスのリーダーとして来ていたアメリカ人の女性と私が、公園で「戦争反対!」と大きな声で言っていたら、「そんなことを言えるのはあなたたちだけだよ」と言っていた人がいました。「障害者運動がやりづらいね」と私が言うと、DYAの人たちは「自分たちは静かに、でも激しく活動している」と力強く話してくれました。
 国の状況も環境も異なり、その方法も違うでしょうが、“社会変革”というめざす目的は同じなので、何らかの形で協力していけたらと心から思いました。同時に、世界のいろいろな国に力強い障害者リーダーがいることを改めて知ることができて、とても勇気づけられました。

(おくひらまさこ)