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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2004年1月号

ウオッチング支援費制度

財源問題とケアマネジメントの必要性を考える

阿部るり子

長い措置制度が終わりを告げました。「措置から契約」へとサービスを自分で選べる支援費制度が導入されたのです。障害福祉に関わる者として、また親として、障害をもつ人たちが自分らしく生きられるための制度に、少しでも近づけばいいなとの願いを持ってその推移を見てきました。確かに今までサービスの無かった地域にも、居宅支援という考え方が導入されたことで、地域で暮らす障害をもつ人や家族の生活は大きな転換が図られました。今まで重症心身障害をもつ子どもの入浴などあらゆる介護を家族だけで続けてきた人たちにとって、たとえ週に1回でもその介護から解放されることは心身共に疲れた体にひとときの休息を与えることになりました。また自閉症の人が休日にガイドヘルパーと共に外出することで、本人はもちろん家族の大きな安心に繋がったのです。

しかし、支援費制度が掲げる自己選択や自己決定という理念とは裏腹に本人や家族の訴えが、市町村の支給決定に十分に生かされたかどうか疑問が残ったことは否めません。もちろん町村では今まで県任せで障害者のサービスについて考えることはあまりなかったわけですから、障害者問題自体に出会うことが初めてであり混乱もあったことと思いますが、「予算が無いから」とか「家族介護が基本なのだからガイドヘルパーは不必要」とか、「もっと障害の重い人も支援費を使っていないのに、あなたが使うのですか(A区分の人に対して)」など、市町村役場に申請に行った本人や家族からは申請を辞退する動きや声があったことも事実です。

また、全国的に見て同じ制度であるにも関わらず、地域格差があることも気がかりでなりません。自立した重度身体障害の人たちの1か月の支給量だけを比べても510時間だったり、380時間だったり、100時間以下だったりと地域や県でまちまちですし、一方家族と共に生活しているという理由で、全介助の方に1か月に10時間しかヘルパー派遣ができないケースもありました。当然のことでしょうが、財源がある程度確保されている地域と、支給量をコントロールしていかざるを得ないと考えている地域があるのも現実です。市町村によっては障害についての理解にも差があり、傾ける情熱にも温度差があることが支援費制度開始で浮き彫りになった形です。簡単に言ってしまえば行政にとっての問題は財源問題であり、利用者にとっての問題はだれがマネジメントをするのかに尽きるような気もします。どこでもだれにでも実現可能な制度の見直しが急がれます。

確かに財源問題は日本全体にとって深刻です。私たちもみんなで財源問題に対する議論を深めていかなければなりません。しかしその一方で、お金を負担する市町村が支給量を決定するという官のみによる采配という構造を変えていかなければ、支援費制度の良さをかえって曇らせていくのではないでしょうか。ケアマネジメントなどの手法を使いながら、声なき人々の声にも耳を澄ませ、本当に必要なサービスを、本当にサービスを必要としている人の元に届けていくべきだと考えます。同時に、市町村のみならず地域全体がもっと障害についての理解が深まらなければ、本当の意味で支援費制度が成熟してゆかないのではないでしょうか。

支援費制度がスタートして1年も経過していないにも関わらず、障害者も介護保険でという声が日増しに大きくなってきました。これはひとえに財源問題に起因するところなのでしょうが、いずれにしてもどのように制度が変わっても、目的は障害をもつ人たちが自分らしく、その人らしい暮らしができることであることを忘れてはなりません。

最後に、親は子どもたちの親亡き後のことを一番心配していると言われています。ですから、そのために自らが施設や小規模作業所などを作って親亡き後の安心を作ろうとしてきました。しかし、だれかの特別の努力がもしも実現したとして、その安心は数人かせいぜい数十人の親亡き後を細々と支えるものにしかならないのです。どんな地域に住んでいても、街の大きさや人口に関係なく、財政問題にも左右されず、施設にいても地域に暮らしていても、どんな状況においても障害をもつ人たちがその人らしく生きていける社会を作ってこそ、親亡き後の問題は解決すると言えるのではないでしょうか。そのためにも親はわが子だけに注いできた視点を超え、時には当事者の視点や社会の声に耳を傾けることも必要だと思います。そしてどこでも、だれにでも実現可能な制度の実現のために声を上げていかなければならないのではないでしょうか。どんなに重い障害をもっていても、親から自立した一人の人間として生きていける、そんな制度の誕生を支援費制度の成長の中に見守りたいと思っています。

(あべるりこ 熊本県・銀河ステーション)