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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2004年2月号

ウオッチング支援費制度

支援費制度のこれからと自立生活センター・松江の取り組み

中村宏子

2002年9月、私は松江市に転居と同時に「自立生活センター・松江」を立ち上げ、ダンボールが散在している部屋の中でピア・カウンセリング中心の活動を始めた。その後11月には「介護派遣センターあくしゅ」を始動させて支援費居宅介護指定事業所の認可も得て、支援費制度導入に向かうための準備にとりかかった。松江における活動のスタートは、このような支援費制度移行を射程においた取り組みだった。

「施設から地域移行」、そして「措置」から「契約」へと導入された支援費制度だが、1年経とうとする現在、制度そのものの問題点検証の必要性に加えて、多くの障害当事者が経験したことのない「自分自身のために契約する」という意味を理解するに至るまでの困難さも浮き彫りになってきている。

1年前も現在も、この地域の障害者の仲間が直面している現実は、あまり変わっていない。入所施設や通所施設での長年にわたる指導はいつも「あなたはこうでしょ、だからこうしなさい」であった。その状況下で管理されてきた障害当事者たちは、その頃の屈辱的体験や苦悩を引きずりながら、新しく契約を結ぶプロセスの中でまだまだ戸惑いを隠せぬまま、時には制度の狭間に立ち止まってしまいそうになる。急に「契約を」と言われても、今まで言われるがままにするしかなかった自分の姿勢を、そう簡単に変えることはできないのだ。

この障害者施策の変遷期(支援費制度を含めた介護制度の転換期)にあたり、各地の自立生活センターも必死の取り組みを展開しているが、松江でも、こういった当事者主体の暮らしを実現するための取り組みが、ますます重要になってきたと自覚している。中でも、最も重要だと思っているのが「こうしたい、これがやりたい、という自分の気持ちをしっかり持つ」ことと、「自分の気持ちや状況を相手にきちんと伝える」こと。そのための自己主張トレーニングである。それは、長い間「こうしなさい」と言われ、「こうしないと、○○ができなくなってしまうよ」と言われてきた抑圧を、ピア・カウンセリングによる精神的サポート(対話)で解放し、何度となく傷ついた自分の気持ちを、再び、自らの意志で回復させ、阻害要因(管理的で自己表現・自己主張をさせない構造)を取り払いながら、自立した生活を実現させるという、壮大なプロジェクトといっても過言ではないだろう。

市福祉担当課や入所施設などの対応も、建前は「本人主体」ではあるが、実際に窓口で交わされる言葉といえば、「まあ、本人がしっかりしていればいいけど、保護者の許可がないとねえ」とか、「通すところを通さないと、あとで困る」というように、なかなか過去の措置制度時代の域を脱していない。保護者や施設管理者の許可がまず先決である、という考え方は、まだまだ専門家や担当者の意識を巣食っている。

これから、自立生活センターを担っていく私たちの課題は山積みである。変革すべきは、障害当事者の意識だけではなく、今まで地域の障害者福祉を先導してきた行政や各種福祉関係機関の持つ「障害当事者の体験よりも専門性を重視・優先する意識」であろう。当事者としての対等な対話からはじまるエンパワメント支援と、障害者福祉の専門性による管理的指導的な権威とは、明らかに違うのだから。

積極的社会参加と自立を促し、そのための最も有効な手法を知る支援者として、私たちの存在があると思っている。もはや「地域へ、自立した生活へ」という障害者福祉の流れは、だれにも止められないだろう。しかし、その方向性を一歩誤れば、旧来と同じく、「何かに管理され、何かを強制する“福祉”」に陥る危険性をいつもはらんでいるように思えてならない。頭が重くなる現実はいつもいつも目の前にあるけれど、自立生活を実現・維持していくために、社会資源をフルに活用したこの生活を“文化”として堂々と伝えていくために、もっともっとたくましくなろう、おおらかになろうと思っている。

(なかむらひろこ 自立生活センター・松江)