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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2004年9月号

文学にみる障害者像

松本清張著 『砂の器』とハンセン病

荒井裕樹

1 松本清張『砂の器』の問題点

『砂の器』は昭和35年6月から約1年にわたり読売新聞に連載された松本清張の代表作である。推理小説を要約することほど難しいことはないのだが、大体の筋だけ示しておこう。

将来を嘱望されている前衛音楽家和賀英良は、音楽界での成功ばかりでなく、大物政治家の愛娘との婚約も決まり、着実に名声を得つつあった。そんな折、彼の真の身元を知る元巡査、三木謙一が不意に現れる。実は和賀英良の正体はハンセン病者本浦千代吉の息子本浦秀夫であった。彼は戦後の混乱に紛れ身元を偽造し、現在の地位を手に入れたのだった。彼はその地位と名声を守るため三木謙一を殺害する。

この作品には「業病」という言葉が頻出する。かつてハンセン病(「癩病(らいびょう)」)は遺伝性のものと考えられ、「業病」や「天刑病」などと呼ばれ、前世の罪の報い、もしくは悪しき血筋による病との迷信があり、それを発病することは少なからぬ罪悪を犯すことと同義とされた。もし一人でも親族に発病者が出ると、その家は共同体の中で一切の関係性を断絶され、時には一家離散に追い込まれたという。そのような患者迫害が最も激しかった時期、それが昭和10年代の無癩県運動期であった。

本浦父子が放浪し、父千代吉が三木謙一巡査に保護され療養所に収容された昭和13年という時代はちょうどこの無癩県運動期に該当する。無癩県運動とは〈民族浄化〉を旗印に各府県警察の主導で患者狩りが広く展開された時代である。本浦父子もこの無癩県運動の被害者であったと言えよう。ハンセン病は〈一等国日本〉にとっては〈国恥病〉であり、その存在自体が〈国辱〉とされ、誤った伝染力の認識と相俟(あいま)って、国家を挙げて隔離撲滅が奨められた。ハンセン病は「業病」であり同時に凶悪な伝染病であるという、患者にとって極めて不都合な偏見が幾重にも重なり合っていた。そのような境遇に貶(おとし)められたハンセン病患者を父に持つ本浦秀夫は、戦後の混乱に乗じて自身の身元を偽造し、和賀英良に再生することに成功する。苦労して手に入れた現在の地位を守るために、自身の正体を知る三木謙一を殺害したのだ。しかしそのような嘘で作り上げた彼の栄光はもろくも崩れていく。まるで砂で作った器のように。

松本清張は『砂の器』の作品内時間を発表時期と同じ昭和35年前後に設定している。つまり彼はリアルタイムのこととして同作を書いたことになる。しかし昭和35年には、ハンセン病はすでに科学治療法が確立していたばかりか、患者たちは自分たちの権利獲得と境遇改善のための運動を広く展開していた。昭和34年には「癩病」から「ハンセン氏病」への改称の動きも出ている(『全患協運動史』参照)。そんな昭和35年当時に、松本清張がなんらの疑問を抱くことなく「業病」と言い切れるのはなぜなのか? 社会派と称された松本清張でも、ハンセン病問題に関しては見識が乏しかったとしか考えられない。彼が欲したのは作品の山場を作るに相応(ふさわ)しい〈社会的負性〉であった。その〈社会的負性〉に相応しいものとしてハンセン病=「業病」があったのだろう。とにかく、隠すべき〈社会的負性〉の象徴としてのハンセン病という偏見自体が、同作の中で全く疑われていないのは問題であろう。

2 映画版『砂の器』の問題点

映画版『砂の器』(監督野村芳太郎)は昭和49年に映画化され、同年の『キネマ旬報』の読者投票では一位に選ばれている。脚本を山田洋二と橋本忍が担当していることもあり、幾分ハンセン病問題に配慮した痕跡が窺(うかが)える。

原作から映画への最大の変更点は、刑事今西栄太郎による和賀英良の正体暴露の場面である。捜査本部の刑事たちを前にして、三木謙一殺害事件の真相を語る今西は、今まで隠されてきた本浦父子の境遇について言及する。原作ではわずか約6ページにすぎないこの箇所は、映画では約45分弱と全体の大半を占めることになる。「親知らず」の浜を夕陽に照らされながら父子の歩む美しい映像や、秀夫を苛める悪童たちを追い払う千代吉の姿など、悲惨な境遇に陥った親子の愛情を感傷的に描き出し、涙を誘う仕掛けがなされている。そのような感傷的なシーンとクロスして今西刑事の調査報告が差し挟まれ、和賀英良が三木謙一を殺害するに及んだ経緯が詳細に説明される。原作では和賀英良が正体を隠すことは殺人の単なる動機として描かれているのだが、ここではやむを得ない事情に換えられていると言えよう。原作ではすでに死亡したことになっている本浦千代吉が映画版では生存し、和賀英良の写真を差し出す今西刑事に向かって涙ながらに「知らん男だ」と叫ぶ場面は、息子の幸福を願い、親子の関係を自ら否定する父親の悲しい愛情という映画独自の脚色である。しかし、やはりここでも隠すべき〈社会的負性〉としてのハンセン病という偏見は相対化されていない。

映画が製作された昭和49年には、すでに他ならぬハンセン病回復者自身によって隔離政策への歴史的再考がなされていた。そのような時代に、無癩県運動によって隔離される本浦父子を感傷的に描くばかりで、ハンセン病=〈社会的負性〉という偏見を相対化する視点がなかったのは残念である。

さて、映画は当然のことながら映像を表現の手段とする。そのため不可避的にハンセン病患者を映像化する必要が生じる。『砂の器』はハンセン病患者を、シミのある土気色のメイク、ボロボロの衣裳、ずらしてはめられた軍手(歪んだ手)という形で表現したが、実はこれらの映像表現は、『小島の春』(昭和15年)、『ここに泉あり』(昭和30年)、『愛する』(平成9年)にも共通するハンセン病患者を映像化するための紋切型なのである。そしてこのように表現された患者たちはいずれも重く沈痛な表情をしている。いわば悲しげな表情もメイクの一部となっているのだ。もちろんこのような者もかつてはいただろう。しかし映像化される患者がことごとく同様の紋切型で描かれ、いつも泣いているものだと思われては、描かれる側としてはたまったものではないだろう。

3 ドラマ『砂の器』

2004年にTBS系列で放映された『砂の器』(中居正広主演)では、すでに原作の持っていた推理小説の要素は完全に消失している。このドラマの主眼は、それまで刑事視点から描かれてきた『砂の器』を和賀英良の視点から描きなおし、そこに単なる推理小説に収まらない人間性を描こうとしたことにあったのではないだろうか。

このドラマ版『砂の器』に言及するに際して最も強調しておきたいのは、作品の核ともいうべき本浦千代吉の設定が、ドラマ開始以前にすでに予想できたということだ。実はこれより先、某テレビ局により、本浦千代吉を精神障害者という設定でリメイクした『砂の器』が放映されたことがある。ハンセン病、精神障害者等がすでに人権問題で使えなくなっている現在、公共のテレビ番組で〈社会的負性〉として描けるのは、比較的人権擁護意識の高まっていない犯罪者、それも窃盗や強盗程度ではなく、確実に殺人を含む重大犯罪者だろうと思っていた。

しかしドラマが始まってみて、本浦千代吉が「31人殺し」の犯罪者として設定されていたのには正直驚いた。治安悪化が叫ばれる現在では、1人2人の殺人では〈社会的負性〉としてはインパクトが弱いとでも判断されたのだろうか? そもそも『砂の器』のメインになるのは、本浦秀夫から和賀英良への「すり替え」と、和賀英良のあまりにもショッキングな正体による。そしてそのショッキングさを担保していたのが、ハンセン病や精神障害者の父の存在であった。つまり『砂の器』という作品が作品として成立するためには、リメイクされる時代時代の〈社会的負性〉を必要とするのである。そして描かれる〈社会的負性〉が時代によって変遷をたどるということは、その時々の人権意識によって浸蝕される作品でもあるということだ。

今回のドラマも大変な好評を得たというから、『砂の器』はいずれまたリメイクされることだろう。その際、本浦千代吉はいかなる設定になるのだろうか? おそらくこの本浦千代吉は戦後文学・映画・ドラマ史上、もっとも不幸な役割を負わされた人物かもしれない。

(あらいゆうき 東京大学大学院生)