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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2004年10月号

行政・学校・地域に要望し期待すること

すべての障害児(者)の生命(いのち)の尊厳を訴えて

全国聴覚障害者親の会連合会

はじめに(自己紹介)

私は幼年期に麻疹(はしか)で視力を失い、何とか左眼だけを弱視で取り戻したものの、少年期に、その弱視が原因で高圧電流を右腕から右膝に貫通させるという大きな感電事故を起こしてしまいました。電流が放出した辺りは、入り口の数倍の被害を肉体に与えていました。右腕と右膝の両方とも、辺りの肉は白く焼き尽くされましたが、出口に当たる膝関節と丸い骨は、皮膜とともに焼き砕かれていました。骨は変形し、脆くて修正も無理でした。やがて辺りの肉が崩れるように腐敗し始めると、大量の蛆が発生してきたのです。私は、否応なく生きている自分の身体の中で、生と死を向き合わされ、絶望的に落ち込もうとする自分を、強い死臭の中で耐え抜かされました。

その後の、半世紀もの長いリハビリも、組織がボロボロに破壊された骨の痛みと、どう付き合っていくのか、生命(いのち)ある者が故の、必死な闘いだったのです。

障害児(者)との交流で学んだこと

世の中には、いろいろな種別の、さまざまな障害者が生活しています。そして連帯することで勇気を出し、団体を構成し、背負っている荷物が重ければ重いほど、真剣な運動として表れています。また、運動したくても動きがとれないほど追い込まれてしまっている団体もあります。

私たちの聴覚障害関係だけでも、知恵遅れや重複障害を併せもつ方や、中途失聴や難聴、病弱の方たちなど、その悩みは一様ではありません。しかし障害を乗り越えようとする逞しさだけは、共通して見受けられます。

私は、ある時、種別が違う障害児の集会に参加し、不思議な光景を目にしました。目が見えない子は、耳の聞こえない子を気の毒に思い、耳が聞こえない子は、目の見えない子がどんなに不自由で大変だろうと、お互いが相手を気遣い、自分の幸せを噛みしめていたのです。彼らはすでに、自分に与えられている障害を乗り越えていることが、私には分かりました。そして自分の障害を出発点にして逞しく生きていることに感動しました。

全国での自殺者の統計数が、年間で3万人を突破し、それが5年以上も続いているというから驚きです。しかし私の知る限りでは、私たち障害者仲間からの自殺者はでておりません。どんな境遇に立たされても、生きる道を全力で模索し、すべての能力を総動員させ、あるいは代行させ、必死に、生きる知恵を創造しているからだと思います。皆さんが何気なく鑑賞されている生け花とか華道にしても、いのちを源から切断された限られた生命が、見事に残されたいのちを昇華させている芸術だと思うのです。ましてひとの生命に、幕を閉じるまで差別は許されません。

過去の一時期ではありましたが、一部の障害児者たちが、社会の中で厄介者のお荷物のように扱われたり、病弱や知恵遅れの児童を支援する立場の担当者までが、これらの支援を社会的に意味のない無駄なことだと疑問視されたこともありました。しかし私は訴えたいのです。彼らが懸命に生きる姿は、それだけで、すべての人たちにとっての感動であり、励ましの存在だということを、ぜひ認めてほしいのです。

制度的な展望について

第一に、盲・ろう・養護学校の垣根を越えた教育現場の構築こそが、今後予想される限られた予算の効率化から見ても、さらにまた障害者同士が、お互いに生きる力を発揮し合うような、切磋琢磨する「生きる力」の結集する広場の実現が必要かと考えます。これは、種別の異なる障害学級の増減を、総合校舎の中で、時のニーズに合わせた編成を可能にさせるばかりか、垣根を越えた教員の研修とか、総合免許の取得などにも効果的な仕組みになると考えます。当然ですが、各障害に最も適した質の高い専門性は、常に追求され続けなければなりません。そして本当の意味でのノーマライゼーションになるような、国民の意識の道標になれば、と祈念してやみません。

第二に、6・3制の枠内で、各自治体に柔軟な運用を委ねるにしても、義務教育の財源だけは、等しく国が責任を持たなければ、国の教育水準が維持できません。確かに、登校拒否の問題とか、一部教員の取り扱いなど難しい面もありますが、それは各学校における運営委員会での、良識ある権限に委ねるのも一つの方策かと考えます。いずれにせよ、義務教育で、国が責任を放棄するようなことだけは、何としても避けなければなりません。

(折山精(おりやませい) 全国聴覚障害者親の会連合会会長)