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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2004年10月号

文学にみる障害者像

ジョゼ・サラマーゴ著 『白の闇』を読んで

竹村実

「もしも世の中の人が皆、ある日突然に目が見えなくなったとしたら…」という奇想天外な着想を小説にした作家がいる。ポルトガルのジョゼ・サラマーゴである。『白の闇』(雨沢泰訳 日本放送出版協会発行)と題するこの作品に1998年のノーベル文学賞が贈られた。その授賞理由について、スウェーデンの王立アカデミーは「想像力、憐れみ、アイロニーに支えられた寓話によって我々が捉えにくい現実を描いた」と述べている。極限状態における人間の理性と感情、個人の尊厳と公権力の冷酷さなど作者は余すところなく「人間」を描き切っているのである。

町の交差点に信号待ちしている車の列が続く。その最前列の車を運転する男が突然目が見えなくなり、パニックに陥るというところからこの物語は始まるのである。信号が青になっても車は動かない。後続車のドライバーたちが騒ぎ出す。一人の親切な男が失明した男に代わって車を運転し、男を家まで送り届ける。実はこの親切な男の正体は失明した男の車を乗り逃げしてしまう泥棒だったのだが…。

最初に失明した男は目の前に真っ白な霧の幕が立ちこめたように何も見えない。日頃、眼鏡などの世話にならないと自分の視力を自慢していた男だけに失明のショックは大きかった。

やがて、帰宅した妻が夫の異変に驚き、早速眼科医院に連れて行く。医院の待合室には黒い眼帯をした老人とサングラスをかけた娘と斜視の少年がいた。失明した男は直ちに眼科医の診察を受けるが、外見上からは全く異常が見つからない。しかし、その数時間後に眼科医も医院の受付も待合室にいた3人も車を盗んだ男も皆次々に失明してしまうのである。最初に失明した男の妻も含め彼と接触した人々に失明が伝染するという事態に、眼科医は医師の義務としてその情報を厚生省に伝えるのである。事の重大さに驚いた政府は、患者を強制的に隔離し空いている精神病院に収容することにした。ただ、眼科医の妻はなぜか失明を免れているのである。だが、彼女は目が見えないと嘘をついて、夫と共に隔離施設に収容されるのである。この医者の妻が物語の舞台回しを演じることになる。

収容施設の門前は軍隊が警備している。門から玄関までロープを渡して患者たちはそのロープを伝わって建物に入るように指示される。不用意に患者と接触すれば、失明が伝染する恐れがあるというので警備の兵隊達も戦々恐々なのである。患者たちが無断で逃げ出そうとすれば、銃殺も辞さない構えである。現に例の車泥棒は射殺されてしまうのだ。各病室に入った患者たちにスピーカーを通して政府の通告が行われる。少し長いが暗示的な意味が濃いので引用することにしよう。「政府としては緊急に権力を行使せざるを得ないことを遺憾に思う。今般、あらゆる情勢から判断して失明の伝染病と見られるものが発生した。この病気は暫定的に「白い病気」と呼ばれているものである。かかる焦眉の急に際し、我々はあらゆる手段を講じて全力で国民を保護することが責務と考えている。これ以上病気を蔓延させないために我々が伝染病と戦っていること、そして説明がつかない同時発生事件だと指を喰わえて見ているのではないことを国民の皆さんによく認識していただき、皆さんの公共心と協力を頼みとするものである。患者を1カ所に集め、少しでも患者と接触した感染者を隣接した場所に隔離するという方針は慎重な考慮無しには決定されなかった。政府はその責任を十分に認識しており、この放送を聞いている皆さんも同様に社会から孤立した現在の状況が個人的事情を超えて国中の市町村が結束した結果決定されたものであることに留意していただき、疑いなく高潔な国民として責任を認識されることを期待している。従って、以下の指示をしっかりと聞くように…」と言って15項目を上げたのである。そのうち政府の思惑が透けて見えるいくつかを列挙すると、(1)照明は常に点灯しておくこと、スイッチをいじっても無駄である、(2)許可なく建物から出た者は即刻死亡するものと心得よ、(6)1日3回食料の入ったコンテナが玄関ホールに運ばれる、(7)残り物は焼却すること、これには食物だけではなく可燃性のコンテナ、皿、ナイフ、スプーン、フォークなどが含まれる、(8)焼却は中庭若しくは運動場で行うこと、(9)患者は焼却の火を責任を持って始末すること、(10)偶然若しくは故意に火災が発生し消火不能になった場合も消防隊員は出動しない、(11)同じくいかなる病気が発生しても、あるいは施設内で争乱や暴動が起きても患者は外部の応援を当てにしてはならない、(12)いかなる原因であれ死者が出た場合、患者は儀式を行わずに中庭に埋めること。

恐ろしい伝染病から国民を守るという大義名分を振りかざして患者たちを強制隔離し、その基本的人権を奪ってしまう国家権力の残酷さは、日本のハンセン病患者たちへの不当な隔離政策を彷彿とさせるものがある。

次々に送り込まれる患者たちによって病室のベッドは満杯になり、廊下などに溢れた患者らによって施設の衛生環境は最悪となっていく。そんな折に患者の中からピストルと棍棒で武装した暴力グループが出現し、施設内の権力を握る。

悪党の親分が天井に向かってピストルをぶっぱなし、手下どもが患者たちの食料を強奪する。目の見えない者がピストルを扱うとは考えにくい話だが、見えていた頃に扱い慣れていれば不可能なことではない。恐ろしい話ではあるが…。

悪党たちは食料分配を餌に患者たちの財産を没収する。するとなぜか悪党の仲間に元々の盲人が1人混じっていた。その男が患者たちから奪った品物のリストを点字で記録する会計係を務めるのである。しかもこの男がまたすこぶる付きの悪漢なのである。作者がどんな狙いからこんな男を登場させたのか興味深い。

サラマーゴは「盲人として長く生きた人間は別格であり、その価値は黄金にも匹敵する。点字で記録できる会計係の役割を演じるだけでなく、案内係としても使えるのだから…」と書いている。だとすれば、この盲人を善意の人物として活躍させることもできたのではないかと思うのである(余談ではあるが洋の東西を問わず、「盲人」が悪人として描かれる文学作品が多いような気がしてならない)。

話を戻そう。政府から約束された食料の配給も滞りがちとなり、患者たちは飢えに苦しむようになる。だが、悪党たちは鱈腹食っている。そしてついに、彼らは女たちを次々と集団レイプするという悲惨な状況になっていく。その犠牲者の中に目の見える医者の妻も入っていた。やがて、彼女の決断で事態は劇的な展開を見せることになる。

サラマーゴは作中二度に渡って「…地獄における苦しみの最たるものはそのすさまじい悪臭である」という意味のことを書いている。目の見えない者にとって、音と臭いは大切な感覚である。建物全体を覆う糞便や死体の腐敗臭、それが町中に広がる地獄図絵の中で、目の見えない人々が手探り足探りで食物を求めて彷徨(さまよ)い歩く姿は何とも耐え難く悲しい。

一般に文学では排泄の場面を描くことは希である。だが、サラマーゴはこの『白の闇』の中で繰り返し排泄の情景を書いている。その意味でも珍しい作品だと思う。

とは言うものの365頁に及ぶこの『白の闇』は、読者の心を捉えて離さない傑作であることは間違いない。

訳者の雨沢泰は「この作品は奇抜な着想でありながら、とても整然と論理的に組み立てられた小説である。ここでの世界全体の盲目という設定は、明らかに比喩に過ぎない。言わば人間の精神が裸にされ、理性や感情が極限まで追いつめられるという部分に意味がある」と言い、「精神の深い成熟を感じさせる物語でもある」と述べている。

『白の闇』は1922年生まれのサラマーゴが70代に入ってからの作品であることを思えば、作者の強靱な創作力に感嘆せざるを得ないのである。

(たけむらみのる 元東京都立文京盲学校教諭)