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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2004年10月号

ワールドナウ

DPI世界サミット2004に参加して

降幡博亮

9月8日から10日までの3日間、DPI世界サミットがDPIの本部が置かれるカナダのマニトバ州の州都、ウイニペグ市で開催されました。ウイニペグ市の空港に到着してまず気が付いたのは、サミットの開催を歓迎する垂れ幕がいくつも飾られていたことでした。玄関である空港からサミットを知らせる表示があることに、さすがDPI本部のある所だと思うのと同時に、市のサミットへの期待の高さも感じました。街中に少し出てみると、多くの民族が共に暮らすウイニペグ市では人が異なるのはごく当たり前のようで、日本から来た私も問題なく街の雰囲気に溶け込むことができました。

この多様性の街で開かれたサミットも、そのテーマ「内なる多様性」に示されるように、障害者の中にあるさまざまな立場、考え、そして時として聞かれることのなかった声を大切にしていこうというものです。同じ障害者でありながら、その立場ゆえに障害者運動の周縁に置かれてきた、たとえば障害をもつ女性、若者、先住民族、アラブ民族などの人々。開幕のスピーチで、DPI議長のビーナス・イラガン氏が強調したように、その人たちの意見を積極的に取り入れて障害者運動に反映し、未来に向けて共に活動していく基礎を築いていくことがこのサミットのテーマでした。

サミットの開幕

世界137か国から参加者を集めたサミットは、カナダ先住民族の太鼓と歌で厳かに開幕しました。開幕式ではマニトバ州首相やウイニペグ市市長のスピーチとともに、カナダの先住民族であるフィル・フォンテイン氏や、ムスリムの女性であり障害についての国連特別報告者であるシエカ・ヘッサ・アルサニ氏が、それぞれの立場からサミットへの期待を述べました。とりわけ、これまでの障害者運動における先住民族のかかわりと、さまざまな違いを含めて共に運動を進めていこうというメッセージを、自らの民族の言葉を交えて話したフォンテイン氏のスピーチは感動的で印象深いものでした。

国連障害者権利条約についての大使フォーラム

サミットの2日目に、国連大使を招いた国連障害者権利条約についてのフォーラムが開かれました。8月23日からサミット直前の9月3日まで、ニューヨークの国連本部では第4回国連障害者権利条約に関する特別委員会が行われていたのですが、その経緯についてカナダ、メキシコ、そしてニュージーランドの国連大使が報告しました。

この報告の中では、まず権利条約が国連加盟国以外のNGOなども形成プロセスにかかわった画期的なものであることが述べられました。これは、各国の政府の事情をはさむことなく直接障害者自身の声が反映されようとしているということで、条約への期待を膨らませるものでした。続いて、この権利条約を2005年の9月までに成立させたいという希望が述べられました。それは2005年が設立60周年という国連にとっての節目の年であり、この年に成立することで大きな注目を集めることが期待されるからだそうです。

また講演の中で強調されたことは、この権利条約が加盟国に受け入れられるためには、その内容が実現可能なものでなければならないということでした。国際条約は成立しても、加盟国により批准されなければ効力を発揮しません。ですから、批准されるためには実施可能な内容でなければならないのです。そのため今後の特別委員会では、各加盟国が納得でき実現可能な落としどころを探っていくことが重要となるそうです。

この大使による講演に対して会場からは、「女性のメインストリーム化に触れられていないのはなぜか」、「NGOの声はどこまで反映されるのか」、「条約を実施するうえで、開発途上国は開発国からの支援を受けられることが必要」などの質問や要望が出されました。これらの質問・要望は、NGOや加盟国からすでに特別委員会に出されており検討中との答えでしたが、条約成立の目標である2005年まであとわずかしかないことから、これらの声を取り入れつつ加盟国が納得できる形にどこまで条約をまとめていけるのだろうか、という疑問も感じました。

緊張感あふれる分科会

サミットの2、3日目を通じて「先住民」「女性」「若者」「アラブ」の障害者、「情報技術へのアクセス」といった分野で、30以上の分科会が開かれました。私はこの中で女性障害者と情報技術へのアクセスに関する分野の分科会を見たのですが、女性障害者の「性と生殖に関する権利と生命倫理」の分科会は、障害者の人権と女性としての権利の問題がぶつかり、緊張感あふれるものとなりました。それぞれの分科会では、サミットの最終日に報告する決議案を採択することになっていたのですが、この分科会で出生前診断の禁止を求める決議を採択しようとしたところ、「女性の出産に関する選択の権利をせばめはしないか」という声が上がりました。このことを巡って議論が広がり、分科会の時間を大幅に越えても決議の採択には至りませんでした。結局翌日の分科会の時間を使って、決議を採択したのですが、この分科会での出来事は意見をまとめていくことの難しさを感じさせるものでした。しかしその一方で、さまざまな意見を入れることにより議論がより活発化していくことを示す一幕でもありました。

グローバル・ディスアビリティ・ビレッジ

全体会、分科会と平行してサミットの会場では「世界障害村(グローバル・ディスアビリティ・ビレッジ)」が開かれました。そこでは個人、NGO、大学研究所、政府系機関などのブースや、アクセス可能なインターネット・カフェが設けられ、展示やイベントなどが行われていました。また障害村の壁となるパネルには絵が何枚も飾られ、緊張感ただよう全体会や分科会とはうってかわった、ゆったりとした雰囲気を醸し出していました。障害村のイベントでは飛び入りで突然音楽を演奏する参加者もいて、そのような場所にはいくつもの人の輪ができていました。また障害村は分科会の合間や昼食の時間などにぶらつくのにちょうど良く、ブースでの情報収集や参加者の活発な交流が行われていました。私も障害村でフィリピンの障害者リーダーとばったりと再会し、新しい連絡先を交換するなどして歓談するひと時をもつことができました。

サミット全体を通じて

大使フォーラムでのさまざまな立場からの障害者権利条約に対する要請と、女性分科会での障害者と女性の権利をめぐる議論は、このサミットのテーマである「内なる多様性」を象徴するとともに、その多様性を含んでいくことの大切さを感じさせるものでした。障害者といってもそのニーズは一つではなく、人によってさまざまです。そして時としてニーズの間で摩擦が起こります。しかし摩擦をそのままにしておいては、人々の間に亀裂が入り、障害者運動も一緒に強い活動をすることが難しくなってしまうかもしれません。この摩擦を越えていくためには、やはり違いを尊重し、対話し、交渉し、互いに納得できる点を探していくことが重要ではないでしょうか。そして納得できる点を見出し、多様なニーズ・意見を含んでいくことができれば、障害者運動がすべての障害者にとって素晴らしいものになるのではないか。このようなことを考え、そして違いを持ちつつも未来に向けて共に活動していくことのできる可能性を感じたサミットでした。

(ふりはたひろあき 中央大学総合政策大学院)