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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2004年11月号

提言

医療と福祉の分離を展望しながら

きょうされん

■あるべき法律の姿

現行の精神保健福祉法であるが、眺めれば眺めるほど奇妙な法律である。奇妙さぶりを二つの点から考えてみたい。その第一は、三つの要素の混在法であることからくる矛盾が少なくないということである。三つの要素とは、医療、社会福祉、社会防衛の諸要素であり、結局焦点が定まらない中途半端な法律となっている。

第二は、医療の色彩があまりに濃厚過ぎるということである。混在法ではあるが、全体の構成からすれば医療中心主義のイメージは拭えない。「精神医療法」と呼称しても差し支えなかろう。逆に言えば、真の意味での社会福祉施策の根拠法令にはなりにくいのである。このことは、条項の構成比からもはっきりと窺(うかが)える。全部で57条項から成るこの法律であるが、社会福祉関連の条項は4箇条に過ぎない。

さて、それでは精神保健福祉法をどう改めていくかということである。基本的な考え方は極めて明解である。医療分野と社会福祉分野とを分離することであり、特別立法の形をとっている現行法の解体的改正を図っていくことである。

具体的には、社会福祉分野でいうならば他障害の福祉法との統合を図り、障害種別を越えた総合的な社会福祉政策に関する根拠法令を打ち立てていくことである。法律名称としては「障害者福祉法」、またはもう少し発展させて欧州などで見られる「障害者地域生活支援法」、「社会サービス法」などということになろう。他方、医療分野については、医療関連法に位置付けていくべきである。すなわち、特殊な医療政策ではなく一般の医療政策として扱うということである。これによって、事実上固定化の様相にある「精神科特例」などといった差別的な医療施策についても解消の道が開かれるに違いない。

■次期改正への具体的な提言

精神保健福祉法において医療と社会福祉との位置付けと関係をどう捉えるべきか、さらにはこれらの分離をどう実現していくか、次期改正作業に当たっては、まずはこのことが厳格に問われなければならない。しかし、本格的な分離となると相当な準備を要することとなろう。時間があまりになさ過ぎる。そこで、当面どうしても改めなければならない事柄について以下に掲げておきたい。当面とはいうもののいずれも抜本的な改正への内実を形成していくものであり、抜本改正への足場固めを成すものである。

その第一は、「精神障害者の定義」(第五条)である。定義は法全体にかかる基幹条項であり、それだけに本条がもたらす問題は少なくない。現行法によれば、「精神障害者」=「病気にある者」というのである。障害と疾病を同一視するような視点は、精神保健福祉法の上位法である障害者基本法の「障害者の定義」(第二条)とも相容れず、国際的な潮流からいっても笑いものとなろう。「病気にある者」という捉え方からは、医療施策の温床とはなっても、社会福祉施策の根拠とはなり得ないのである。

第二は、「保護者規定」(第二十条~第二十二条)である。これは、以前は「保護義務者」と呼称されていたもので、1993(平成5)年の改正で「保護者」と改称された。保護者とは事実上家族である。この規定は、家族に筆舌に尽くし難い負担感を課すだけではなく、本人の自立意欲の減衰(どうせ自分は家族の庇護の下でしか生きていけないのでは、といった感覚の増長)、さらには最終的には家族で、まずは家族の責任で、といった公的責任後退の拠りどころにもなり得るのである。

第三は、市町村の支援責任を明定することである。いわゆる「援護の実施者」と言われるもので、身体障害者ならびに知的障害者についてはこれがはっきりしている。これに対して、精神障害者の市町村責任の実施規定はない。市町村が実施できる事業として、わずかに「精神障害者居宅生活支援事業」(第五十条の三)が規定されているくらいである。

第四は、社会復帰施設制度(第五十条~第五十条の二の五)である。まずは、呼称の改訂を求めたい。社会復帰施設となると、一般的に考えてその利用者の主層は「未社会復帰者」ということになろう。しかし、福祉工場や授産施設、福祉ホームなどの利用者の多くは、社会に身を置く消費者であり生活者である。立派な「社会復帰者」なのである。誤った利用者観、障害者観につながりかねない「社会復帰施設」を改め、他障害と同様に「社会福祉施設」とすべきである。また、改正時のたびに言われている現行の第二種社会福祉事業から第一種へ転換させていくことである。他障害との間での諸格差は、このことによって解消されることになろう。

(藤井克徳(ふじいかつのり) きょうされん常務理事、日本障害者協議会常務理事)