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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2004年11月号

文学にみる障害者像

菊池寛著 『屋上の狂人』

高橋正雄

大正5年に菊池寛が発表した『屋上の狂人』1)には勝島義太郎という24歳の「狂人」と、彼に対する周囲の対応が描かれているため、明治期から大正初期にかけての精神障害観を考えるうえでも、興味深い作品である。

この作品の舞台は明治30年代の瀬戸内海の小島で、主人公の義太郎はこの島屈指の財産家勝島家の長男である。ところが、この義太郎には生まれついての病気があった。彼は、幼い頃からしきりに高い所へ登りたがる性癖があって、4~5歳頃は床の間や仏壇に登り、7~8歳になると木登りを覚えて、15~6歳の時には山の頂上に登って一日中降りてこないという。また、その頃から天狗や神様と話すような独り言も出現し、24歳になった今は、屋根に登って「金比羅さんの天狗さんの正念坊さんが雲の中で踊っとる(中略)わしに来い来い言うんや」と言うなど、幻視や対話性幻聴を思わせる症状も顕著になっている。義太郎は「勝島の天狗気狂」として、高松でも噂されるほどの有名人だったのである。

そんな義太郎は、普段は座敷牢に入れられていたが、さすがの父親もかわいそうに思って外へ出すと、たちまち屋根に登り、「五色の雲が来た」と言って、飛び降りて怪我をする。そのため父親は、「また何時かのやうに落ち崩るぞ。気違いの上にまた片輪にまでなりやがって、親に迷惑ばっかしかけやがる」と怒ったり、「親兄弟の恥になる」と嘆いて、竿で突いて屋根から降ろそうとするのだが、そこへ知人から紹介された一人の巫女が現れる。この巫女は義太郎を狐憑きとみなして、「樹の枝に吊して置いて青松葉で燻べてやれ」と命令するのである。

しかし、義太郎の母親が「なんぼ神さんの仰しゃることぢゃいうて、そななむごい事が出来るもんかいな」と躊躇していると、町の中学校に行っていた次男の末次郎が帰ってきて、「お父さん! またこんな馬鹿な事をするんですか」と言って、次のように巫女の対応を非難する。「松葉で燻べて何が癒るもんですかい。狐を追い出す言うて、人が聞いたら笑いますぜ。日本中の神さんが寄って来たとて風邪一つ癒るものじゃありません」。

そればかりか、学校の成績も良いこの次男は、「御医者さんが癒らん言うたら癒りゃせん。それに私が何遍も言うように、兄さんがこの病気で苦しんどるのなら、どなな事をしても癒して上げないかんけど、屋根へさえ上げといたら朝から晩まで喜びつづけに喜んどるんやもの」として、義太郎を治すということ自体の意味についても疑問を呈する。そして結局、『屋上の狂人』では、末次郎が巫女のインチキぶりを糾弾して追い払い、義太郎と次のような兄弟愛に満ちた会話を交わす場面で、終わるのである。

義太郎(狂人の心にも弟に対して特別の愛情がある如く);末やあ! 金比羅さんに聞いたら、あなな女子知らんいうとったぞ。

末次郎(微笑して)そうやろう。あなな巫女よりも兄さんの方に、神さんが乗り移っとんや。(中略)ええ夕日やな。(『屋上の狂人』)1)

以上が『屋上の狂人』の概要である。義太郎の病は、臨床的には精神遅滞に統合失調症的な要素が加わった病態に近いと考えられるが、この作品で注目される点を挙げると、次のようになる。

1)義太郎の病は先天性の病として捉えられているが、明治期に「白痴」の少年を描いた国木田独歩の『春の鳥』2)のように家族の異常や遺伝的な要因が強調されることはない。なお、『春の鳥』でも主人公の少年には城跡の石垣に登りたがるという属性が付与されており、鳥になったつもりで石垣から飛び降りたのではないかと推測されるなど、当時は、高い所に登るとか高い所から飛び降りるということが精神障害の代名詞のように考えられていたようである。

2)父親は、かつて自分がこの島の猿を撃ち殺したために猿が憑いていると、自分の過去の罪悪との関連で息子の病を解釈している。

3)他人に危害を加えるわけでもないのに、普段は座敷牢に入れるなど、家の恥を隠そうとする意識の一方で、座敷牢に入れるのはかわいそうだという意識もうかがえる。

4)屋根に登った義太郎を、父親が怒ったり、竿で突くよう命令するのに対して、下男が「旦那さん、そんなに怒ったって、相手が若旦那やもの利くもんですか。それよりか、若旦那の好きなあぶらげを買うて来ましょうか」「若旦那は何も知らんのや。皆憑いている物がさせているんやけに」と反論するなど、強圧的な対応に対する批判や本人の特性を踏まえた対応の工夫、狐憑きとみなすことによる本人の免責といった視点が示されている。

5)松葉を燻べれられて苦しむ義太郎を見た巫女が、「燻べれられて苦しむのは憑いとる狐や。本人は何の苦痛も御座んせんな」「そのお方を苦しめている狐を、苦しめると思うてやらないきません」と語る言葉からは、古来、憑き物妄想に対する周囲の誤解が過酷な対応を招いていた様子がうかがえる。

6)巫女の呪術的な対応に対して、母親は人道的な立場から躊躇し、次男は「御医者さんが癒らんいうたら癒りやせん」と、合理的・医学的な立場から反対している。特に巫女については「詐欺師」「かたり」「金ばかり取ろうと思って」と口を極めて避難するなど、呪術的な対応の時代錯誤ぶりが強調されている。

7)次男は、兄が屋根に登っていさえすれば朝から晩まで喜んでいるのだから治療は不要だと言うなど、病気の治療や症状の軽減よりも、患者のQOLを優先させるべきだという視点が提示されている。

8)「今兄さんを癒して上げて正気の人になったとしたらどんなもんやろ。24にもなって何も知らんし、イロハのイの字も知らんし、ちっとも経験はなし、おまけに自分の片輪に気がつくし、日本中で恐らく一番不幸な人になりますぜ」と、なまじ病識を獲得するとかえって不幸になるという認識が示されている。

9)父親の「兄さんは一生お前の厄介やぜ」という言葉に対して、次男は「何が厄介なもんですか。僕は成功したら、鷹の城山の頂上へ高い高い塔を拵えて、そこへ兄さんを入れてあげるつもりや」と、本人の特性に沿いながら、一生自分が世話をするという覚悟を固め、義太郎の妄想的な言動に対してもいたずらに否定するのではなく、共感的に接するなど、愛情溢れる態度を示している。

10)「兄さんのように毎日喜んで居られる人が日本中に一人でもありますか」「あなな巫女よりも兄さんの方に、神さんが乗り移っとんや」と言う言葉に象徴されるように、精神障害者をいわゆる健常者よりも幸福で神に近い存在として聖化する意識がうかがえる。

このように、『屋上の狂人』には、精神障害に対する呪術的・抑圧的な文化に対する医学的・人道的な文化の勝利が描かれている。その意味では、『屋上の狂人』は、江戸時代に巫女に対する医師の勝利を描いた山片蟠桃の『夢の代』3)の系譜に連なる作品とも言えるのだが、もっとも、菊池寛特有の楽観主義ゆえか、そこではあまりに精神障害者の症状や状態が牧歌的に描かれているのも事実である。特に、「普通の人やったら、燻べられたらどなに怒るかも知れんけど、兄さんは忘れとる」という言葉があるように、『屋上の狂人』では、実際の精神障害者が抱いている障害ゆえの苦悩や理不尽な周囲の対応に対する心の痛みなどの認識には乏しいと言わざるを得ない。さらに、『屋上の狂人』では、あくまでも障害者は一方的に庇護されるだけの存在にとどまり、その発達や成長可能性、自立への意志やリハビリテーションの必要性などに対する認識も描かれていないという特徴を挙げることもできるであろう。

しかし、それはあくまで今日から見ればという限界であって、明確な医学的視点による精神障害者像を描いていることや、父親と子どもという世代間の障害者観の相克を描いていること、障害者のQOLを重視し、障害者なりの幸福感や地域で暮らす家族との肯定的な関係を描いていることなどの点において、『屋上の狂人』はわが国の精神医学史上も、注目に値する作品のように思われる。

(たかはしまさお 筑波大学心身障害学系)

【参考文献】

1)『日本文学全集28・菊池寛・廣津和郎』筑摩書房、1970

2)高橋正雄:国木田独歩の『春の鳥』、総合リハビリテーション27;1079、1999

3)高橋正雄:山片蟠桃と海保青陵の医学思想、日本医事新報4149;39~43、2003