「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2004年12月号
認定する立場から
知的障害の場合
柴田長生
知的障害者更生相談所は、児童相談所とともに、「療育手帳制度」を通して知的障害児・者の障害程度を認定している。この業務を行っている公的相談機関の立場から、障害認定に関する現状と課題について少し述べる。
昭和48年に国の通知によって開始された「療育手帳制度」は、もうひとつの障害者手帳制度である「身体障害者手帳制度」と以下の点で異なっている。
まず、知的障害に関する公的な(法的な)定義がなされていない。また、この制度には判定基準や判定方法に関する定めがない。通知には重度を区分するための「知能指数がおおむね35以下…」という記述があるだけである。さらに、この制度の実施主体は都道府県市であり、いずれの都道府県市における実施も前記の通知に基づいているとはいえ、用いる検査、判定基準、再判定期間の設定、さらに手帳への等級記述法などもかなりまちまちな現状にある。
このために、判定機関などから国における法制化や判定基準の全国統一化などが繰り返し要望され、判定基準に関する試案作成への研究なども行われたが、今日に至るまで統一や法制化の動きは見られない。現実的には、都道府県を越えた転居や遠隔地の施設への入所などの場合に、制度不統一による混乱が生じることになる。
知的障害は、身体障害などと比べて、その概念や定義が随分曖昧(あいまい)であるという障害特性を有することが大きな障壁になっているのだろう。とはいえ、知的障害の判定実務を担当する公的相談機関では、継続的な意見交換・情報交換を行ってきた。また、社会の潮流としては、WHOなどの新しい障害概念が新たな社会規範として提示されてきた。現在では、アメリカ精神遅滞学会(AAMR)の精神遅滞の定義が、判定基準として一応のスタンダードになりつつある。
1 平均より有意に低い知的機能
2 同時に二つ以上の、1と関連する適応スキルの制約の存在
3 発症(状態の出現)は18歳以前
単に知能指数だけで区分するのではなく、障害の有無とその程度を総合的に評価する視点は重要であるが、社会生活能力等をどのように評価し、知的能力とどのようにクロスさせて総合評価するのが妥当なのかということが今日的な課題となっている。前記の1と2の内容は、ともに障害程度と深く関わるが、異なる次元のものであり、個々の障害者によってその様相はかなり異なる。そこのところを妥当に総合評価することが難しい。最近では、「支援費制度」における、要支援度を中心とする障害程度区分評価の視点も加わり、支給決定においては、必ずしも療育手帳の所持を必要条件としていない。
また、発達途上にある(それ故継時変化も大きく、時々の様相は不定であることも多い)児童期と、障害状況がある程度定まり、社会人としての生活を営まなければならない成人期とでは、評価の観点は当然異なってくる。しかし他方で、障害程度の判定を求められる療育手帳制度は単一なので、成人における加齢問題を含めて多様かつ一貫性のある評価指標を確立することが大きな課題となっている。認定機関相互のさらなる検討が望まれる。
福祉施策との連動も無視できない。現実的には、療育手帳「A」と「B」とでは、福祉的な恩典に大きな隔たりがある。「何とかAにしてほしい」と訴える家族の気持ちと、認定する側のギャップが常に問題となる。また、有期限で再判定を必要とする制度であるので、前回判定結果との差が生じる場合や、境界域にランクされた場合などでは、デリケートな問題が生じる。児童と成人とでは認定機関が異なるが、この間の落差も見られる。短期間に指数の変動が見られる場合には、背後にさまざまな要因が含まれる場合が多く、このことの識別には力量を要する。
近年注目を集めている知的能力の高い自閉症やADHDなどの「発達障害」に対して、療育手帳を出すべきかどうか(すなわち、知的障害として認定するかどうか)の議論がある。単純に知的障害の有無を言える問題ではないのだが、定義としてのIQの上限を逸脱しているから知的障害に該当せずということだけでは言い切れない。筆者の経験では、自閉症の診断があり、IQ値が逸脱しているが検査項目間でのバラツキが著しい方に知的障害に対する社会生活能力尺度を適用すると、「中度」と評価された事例に出会ったことがある。福祉的支援制度が未確立なこともあり、現実的には知的障害支援制度の利用ニーズも低くない。境界知能の方への評価も含めて、大きな課題が存在する。
知的障害と発達診断については、「発達第99号」(ミネルヴァ書房刊)に拙著を掲載しているので、併せてご一読いただければありがたい。
(しばたちょうせい 京都府知的障害者更生相談所)