音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2004年12月号

1000字提言

「特別な配慮」と「差別」

田門浩

ADA(米国障害者法)における差別の概念が日本と著しく異なる。スロープを例に挙げよう。日本では、スロープを取り付けないことは差別に該当せず、これを取り付けることが「特別な配慮」として扱われる風潮がある。しかし、ADAでは、スロープを取り付けないことは原則として「差別」(discrimination)に該当する。このように米国と日本では「差別」の意味が著しく異なる。私はこの意味を詳しく知りたく、2003年7月に渡米していろいろ調べた。偶然のきっかけから、米国司法省の公民権局障害者部門の担当職員ロバート・メイザー氏から話しを伺う機会を得た。彼も私と同じく聴覚障害者であり、アメリカ手話でいろいろと教えていただいた。

キーワードは「アコモデーション」(accommodation。「配慮、便宜」と訳されている)。ロバート氏は次のように説明した。「工場の入り口に昇り階段があった。どうして階段がついているか。」私は答えた。「工場の床が高い所にあるため、階段がなければ社員は工場に入れないから。」ロバート氏は次のように説明した。「社員が工場に入れるように会社が階段を取り付けた。この場合、階段は『アコモデーション』に該当する。」

私は、はっと気付いた。「階段を取り付けるのもスロープを取り付けるのも同じくアコモデーションなのですね。」ロバート氏は答えた。「まさにそのとおり。同じアコモデーションなのに、階段を取り付けながらスロープを取り付けないのは差別である。」と。これが「リーズナブル・アコモデーション」(reasonable accommodation。通常、「合理的配慮」または「合理的便宜」と翻訳されている)の核心である、と教えていただいた。

人間が社会生活を送る際、あらゆる場面において何らかの形で「アコモデーション」(配慮、便宜)が必要不可欠である。これは健常者も障害者も同様である。健常者に対してはそれに見合った「配慮、便宜」を提供するのに、障害者に対してはそれに見合った「配慮、便宜」の提供をしないのは明らかに「差別」である。したがって、そもそも冒頭に掲げた「特別な配慮」という概念自体がおかしいのである。

この米国での体験をとおして私の中に「差別」の意味が一層明確な形となって現れてきたような感じがする。

(たもんひろし 弁護士)