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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2005年2月号

民間からの評価

グランドデザイン案について

西本晃一郎

まず、グランドデザイン案では、精神障害者の就労ということが、強調されていますが、いくら法定雇用率にカウントされ(このこと自体は良いことですが)いきなり一般社会に飛び出していっても、そこでどれだけの人が生き残れるでしょうか? たとえサバイバルしても、そのことだけで、めでたしめでたし、というハッピーエンドに終わっていいものでしょうか? どれだけ多くの精神障害者が、一昔前の、就職できれば万々歳という時代の苦渋を、筆舌に尽くしがたい苦汁をなめさせられてしまうのか? 気がかりなのです。パート的就労が実現しても、それで人並みの生活ができる給料が得られなければ、単なる小遣いかせぎで終わってしまうのではないか? それならば、わざわざ働かなくとも、生活保護を受けてマイペースで、つつましく生活してゆくという選択肢があってもいいのではないか?

そこで要望があります。第一に、もし働くとしたら、3~5人のグループで就労し、ジョブコーチもつけ、しかも短時間の勤務で、年金と合わせて、生活保護並みの生活が保障されるような賃金を得られるようにしてほしいです。でも、どう考えても、率直な感じ、“お前らも国民の一員なのだから、税金ばかり使っていないで、働け!! 社会に貢献しろ”と馬のように尻をひっぱたかれているような感じしかしないのです。「働かざる者は食うべからず。」有名な聖書(パウロ)の言葉ですが、我々精神障害者には、「働かなくても食す」権利があるのです。その権利を奪わないでください。

第二に、三障害区別のない総合的福祉をつくる、ということですが、ここでお願いしたいのは、せっかくできた“精神保健福祉法”という良い法律から、福祉の二字を削らないでほしいということです。また、再び、“精神保健法”に帰るというのは、時代の流れと逆行するものであり、おぞましいものですらあります。

また、三障害合わせての運動という点から考えても、精神障害にだけ医療モデルがあり、他の二障害には、医療モデルがないため、身体障害、知的障害の側から、精神障害といっしょに運動してゆく際の手かせ足かせになり、精神障害が敬遠されてゆくのではないか? との危惧もあります。

いろいろとかっこいい言葉で飾っても、国の負担を減らしたい、というのが国の本音です。

(にしもとこういちろう 札幌すみれ会)