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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2005年2月号

民間からの評価

基本理念に立ち返り、改革見直しを

叶義文

昨年10月に改革のグランドデザイン案が出され、早数か月が経とうとしている。突然の提案で戸惑いはしたものの、「障害保健福祉の総合化」「制度の持続可能性の確保」「自立支援型システムへの転換」と理念的には理解できると、私なりに納得していたのだが、少しずつ具体的内容が明らかにされていくにつれて、今回の改革がどこを向いているのか、首を傾けざるを得ない。「人権」「ノーマライゼーション」を基本に置いた改革とは到底思えないからである。

「障害があっても地域社会の中で、その人らしくあたり前に暮らすことのできる社会」それが、私たちが求め続けてきた基本理念であったはずである。そのためにお金が足りないのであれば、財源をどうするのかということを、国民的課題として考えていくべきことである。それなのに、その基本問題の解決なしに目先の改革(財源改革)だけにとらわれているような気がしてならない。

今回の改革では「所得保障」問題が解決されないままに、負担(応益負担)だけが大幅に増やされようとしている。さらに、居宅事業を義務的経費化するのはいいのだが、必要な人に必要な時間数の介護が保障されるかどうか。また、地域生活の基本となる移動介護も国の事業からはずされたのである。

さらに、日中活動の場の大幅利用料アップは、本人や家族の負担の大きさ故に、施設利用をやめ、以前のように家の中に閉じこもってしまう人たちを多くつくりださないか心配である。

施設入所者も同様である。たとえば、身障入所の授産施設の場合、月3万円程度の利用料を払っていた人たちが、食費・光熱水費の5万8000円と定率負担等を施設に支払わなければならない。軽減措置・補足給付はあるものの、手元に残るお金は2万円程度。そんなわずかなお金で、小づかい、衣服、電気製品、レジャー等々に充てていかねばならないのである。国の財源不足のしわ寄せが一番経済的に厳しい人たちに向けられたのである。

だれもがいつ障害をもつかわからない。自分の子どもや親もそうである。さらに、人は歳をとると何らかの「障害」がでてくるものである。そう考えると「障害」問題は、まさに私たち一人ひとりの問題である。その時に本当に「自分が自分らしく生きていける社会」であるために、もう一度基本理念に立ち返り、今回の改革を見直していきたいものである。

(かのうよしふみ 大牟田恵愛園施設長)