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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2005年2月号

文学にみる障害者像

ロマン・ローラン著 『ジャン・クリストフ』

大津留直

『ジャン・クリストフ』1)はロマン・ローランによって1904~1912年にかけて発表された一人の作曲家の一生の遍歴を描いた壮大なるロマンである。ジャン・クリストフの人物像は、ベートーヴェンから霊感を得て形作られている。作者はベートーヴェンに心酔し、評伝『ベートーヴェンの生涯』を1902年、つまり、この小説を発表し始める2年前に発表している。後に書かれたその評伝の序には「雨しげき4月の灰いろの日々に、霧に包まれたラインの川岸で、ただベートーヴェンとだけ、心の中で語り合い、彼に自分の思いを告白し、彼の悲しみと彼の雄雄しさと、彼の悩み(ライデン)と彼の歓喜(フロイデ)とによってまったく心を浸され、ひざまずいている心は、彼の強い手によって再び立ちあがらされた。彼の強い手、それは、生まれたばかりの幼な児、私のジャン・クリストフを祝福し、この子に洗礼を与えてくれた」2)と語られている。

しかし、『ジャン・クリストフ』の時代背景は作者自身が生きた19世紀後半から20世紀初頭へと移し替えられており、また、クリストフは、ベートーヴェンがそうであったように難聴という障害を負った人間としては描かれていない。

ドイツのライン川の河畔にある小都市にクリストフは、ある宮廷音楽家の家系の長男として生まれた。父の酒乱のため、家は落ちぶれてゆくが、貧しい女中であった母は、それに耐えながら、3人の子どもたちを育てる。父によってピアノ演奏の才能を発見されたクリストフは、宮廷での見世物にしようという目論見で、幼い頃から強制的に練習をさせられる。父や祖父の薫陶を受けながら、彼は宮廷でピアノの演奏やオーケストラの指揮をして一家を養わなければならなかった。その父や祖父からは、立派な音楽を作曲して名声を得たいという願望を受け継ぐ一方、貧しくても信仰深い母方の叔父ゴットフリートからは、神と自然に耳を傾け、それに和合した生活からのみ本当に人々の心に沁みる音楽は生まれるものであることを彼は学んでゆく。人生と音楽に対する態度のこの根本的な矛盾がクリストフを苦しめると同時に、彼を大きく成長させてゆく。

この孤独な魂は、真実の友と理想の恋人を求めて出会いと別離の遍歴を重ねてゆく。それを重ねるごとに彼の音楽は輝きを増してゆき、封建主義社会の崩壊と市民社会の台頭という転換期のヨーロッパ社会に生きる人々の心を徐々に捉えていった。彼の真の自由を求めてやまない生き様と音楽は、いまだに因習的な封建的身分制度が残っているライン河畔の小都市の領主・貴族などの支配階級の反感を呼び、彼はパリへと逃亡せざるを得なくなる。

その逃亡の直前に起こった出来事として、ある農村に住む盲目の娘モデスタとの出会いが、一つの美しくも悲しい挿話として描かれている。この娘は、ある事故で失明したのだが、その後、自棄になっていたのを、たまたまそこを行商で通りがかっていたクリストフの叔父ゴットフリートによって慰められ、魂の安寧を得たのであった。その後、ゴットフリートはこの村をたびたび訪れ、最後にこの村で亡くなったのであった。その娘から叔父の最後の様子を聞いたクリストフは、その娘に並々ならぬ因縁を感じる。しかし、叔父の深い信仰に裏付けられた「理想主義」によって自分の障害を受け入れたこの娘が、自分が閉じこめられている闇の世界を「幸福」だと言いきり、彼との出会いに一瞬のときめきを示しながらも、恋愛関係の始まりを認めようとしない頑なさに、彼は高貴な「嘘」を発見する。彼はその古い信仰世界は彼が求めているものとは異なることを確信する。

この短いエピソードはこの長編の全体に対して目立たないが、重要な意味を持っている。それは、作者ロマン・ローランがクリストフに伝統的な狭い意味でのキリスト教信仰から脱して、諸宗派・諸宗教の差異と対立を超えた全人類的・宇宙的な神との出会いを、音楽を通して遂げさせようとしているという意味である。彼はクリストフに「芸術は幻影たるべきではない。真理だ! 真理! 両眼を大きく見開き、全身の気孔から生命の強烈な気を吸い込み、事実をあるがままにながめ、不幸をも正視し―そして笑ってやることだ。」3)と叫ばせている。

クリストフの長い道程の最後に近い部分においてもある障害者との出会いが、もう一度重要な意味を担ってくる。それは青年エマニュエルとの再会であった。

普仏戦争(1870~1871)での敗北によってもたらされた社会的対立が激化した結果、パリで起こった暴動に巻き込まれ、危険な状態に陥った足萎えの少年エマニュエルを助けようとして殺されたのは、クリストフがパリで最も深い友情で結ばれていたオリヴィエであった。彼が助けたこの足萎えの少年がやがて無神論的ヒューマニズムの詩人に成長し、クリストフと再会する。彼はその青年の詩に曲を付ける形で一緒に仕事をするようになる。クリストフは狭い意味でのキリスト教信仰は捨てていたものの、晩年になるにつれて、自分の音楽はあの全人類的な神によって導かれていることをますます強く自覚するようになっている。

しかし、それは決して無神論的ヒューマニストであるエマニュエルとの共同作業を妨げはせず、むしろ、当時先鋭化しつつあった社会運動を危惧しつつ、同じ社会的理想の実現のために働くための刺激となって2人の仕事を活性化するのである。その場合、今は亡き共通の友オリヴィエへの思い出とともに、障害を負うがゆえに社会的弱者に対して強い連帯感をもって詩を書く若き友エマニュエルの創作態度がクリストフに深い共感を呼び起こすのである。

『ジャン・クリストフ』という偉大な作品を、そこに登場する障害者というごく限定された観点から読み解いてきたのであるが、ここに現れた作者ロマン・ローランの障害者観とはいかなものであるか。

まず、障害者が自らの障害を受け入れる仕方には、多くの場合、伝統的宗教と深く結びついた諦念、つまり、この世における幸福を諦める代償としてあの世における幸福が保証されるという信念が作用していることが多くの場合認められる。そこに宗教的には深い意義があることを認めつつも、そのことによって障害者が置かれている社会的連関が当事者自身によって見て見ぬふりをされる傾向があることをロマン・ローランはすでに見て取っているのである。このことは、作者が示しているように、まずは恋愛に対する消極性、あるいは、諦めとして現れる。これは、もちろん、障害者には恋愛や結婚など認められるはずがないという日本にもいまだに強く残っており、当時のヨーロッパにも残っていた一般社会の差別意識の反映である。もちろん、一概には言えないであろうが、障害者の恋愛に対する消極性は、一般に社会参加に対する消極性を象徴していると言えるであろう。

このような障害者に対する一般社会の差別意識と、それを反映する障害者自身における諦念に対してロマン・ローランは高いヒューマニズムの立場から筆による戦いを挑んでいると言えるであろう。クリストフの今わの際に彼にえもいわれぬ音楽とともに語りかける神の前では、障害者を含めたすべての人間はかけがえのない「いのち」として平等である。この神による永遠の音楽は、しかし、われわれ凡人にはたいていの場合、聞こうとしても聞こえない。それをこの世で少しでも聞こえるようにすることが自分に与えられた使命であったことを悟りつつ、クリストフは一人安らかに死んでゆく。

このような音楽においては、障害をはじめとするあらゆる不幸や苦しみは、最終的には、その音楽の輝きを不朽のものへと高める不協和音なのであり、そのような不協和音があるからこそ、その音楽は独特の深さを持って響くのである。この思想は、決してこの世にある差別や不正を容認するのでも、仕方がないと諦めるのでもない。目指されているのは、差別や不正を厳しく見据え、できる限り是正しながら、しかも全体としては、その不協和音によって輝きを増す音楽に驚きをもって聴き入り、自らその演奏に参加することである。

(おおつるただし 大阪大学・関西学院大学非常勤講師)

1)ロマン・ローラン『ジャン・クリストフ』豊島与志雄訳、岩波文庫1986年、全4冊。

2)ロマン・ロラン『ベートーヴェンの生涯』片山俊彦訳、岩波文庫1938年、11頁

3)『ジャン・クリストフ』(2)313頁