音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2005年3月号

ユニバーサルデザインの広場

ひとの温もりとユニバーサル・デザイン

藤原ひろ子

私は今から30年前に交通事故で失明しました。失明以後の私の視力は朝と夜の区別ができる程度です。このたび、友人から「ユニバーサル・デザイン」について書いてほしいと依頼をされました。「ユニバーサル・デザイン」とは「最大限可能な限り、全ての人々に利用しやすい環境と製品とデザイン(by Ron Mace)」という意味で使われているそうです。その言葉の意味を考えつつ、私が失明以降どういう状況に困り、その経験からこうであってほしいと考えることを書いていきたいと思います。

視覚障害者である私は、外を歩く時は白杖を持ち、誘導ブロックを頼りに歩きます。見えなくなった当初は、白杖を持つことへの抵抗もあり、私たちの生命を守り、前方の情報を知り得る大切な用具であるというところにいきつくのに、かなりの年月がかかりました。

今ではほとんどの駅や幹線道路に誘導ブロックが敷設されています。以前よく利用していた駅員の方は「ブロックはここにありますから」とブロックの上まで案内してくださることがありました。私たちは「進め」を意味するブロックと「危険・止まれ」と意味するブロックを杖で識別しながら歩きます。確かに歩き慣れた駅や道路では、その誘導ブロックが大きな助けとなります。しかし、電車を降りて、どちら側に行けば自分の行きたい方向に出るのか分からない場合、誘導ブロックはあまり意味を持たなくなります。また道路のブロック上に並ぶ自転車などの障害物や私たちが情報を知り得ないまま始まる道路工事によって、誘導ブロックのある道が「進めない道」となるのです。

もう一つ身近な物として、点字や凸凹のある印が挙げられます。技術の発達や他者に対する思いやりから電化製品に点字シールが貼られたり、シャンプーやリンスの区別として容器の側面に指で触ると分かる印がつけられています。数十年前に比べたら、本当にありがたいことです。しかし、たとえば洗濯機に点字で「メニュー」と書かれていても何回押したら、乾燥まで設定できるのか、毛布を洗えるのか等の情報はありません。ごくごく簡単な点字の補足がどこかにあればいいのにと思います。また、シャンプーやリンスも詰め替えタイプが増えてきて、全く同じパックであるために区別がつきません。全社共通しただれにも分かりやすいデザインであればなと、希望を言えばきりがありません。

ハードのデザインももちろん大切です。しかし、それらがどんなに工夫されていても、それを伝え、サポートするマンパワーが必要ではないでしょうか。周りが手を差し伸べてくれるという人の温もりこそが「ユニバーサル・デザイン」をより有効的に生かすものだと思います。

(ふじわらひろこ 鍼灸師)