「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2005年6月号
民間における実践
剣渕西原学園における地域生活移行支援
渡辺祐一
はじめに
剣渕町は北海道旭川より北へ50キロメートルに位置する稲作と畑作を中心とする典型的な農業の町である。戸数約1450戸のうち農家戸数は約419戸であり、西原学園が開園した1980年時には人口5500人を数えたが、現在の人口は3974人に落ち込み、過疎化が進んでいる。知的障がいをもつ人が働けるような事業所はほとんどない。
剣渕町の中心から6キロメートルほど西に位置する西原地区の中心であった西原小中学校が閉校になったのが1978年である。地域住民の閉校反対の見返りとして福祉施設の設置が町理事者より提案され、また、北海道の行政上、上川支庁北部管内に知的障がい者の施設がまったく設置されていなかったことから、2年後の1980年に知的障がい者更生施設「剣渕西原学園」が定員50名にて設置された。
地域生活移行への取り組み
剣渕西原学園は、開園当初から障がいをもつ人たちの地域生活実現を基本理念としてきた。昭和59年(1984)以降、国の施策として地域生活推進や制度がない時代から無認可の生活寮や地域内自立寮、借家を利用しての地域生活移行に向けての支援を実践してきた。
現在まで認可のグループホームが5か所、結婚による公営住宅居住が2世帯(子育て支援を含む)、法人独身寮に7人、他民間アパート、自立訓練のための実習寮等を利用して地域生活移行支援を進めてきた。
以下、これまでの地域生活移行への取り組みの経緯を紹介する。
- 【1984年】
- 士別市内で民間住居を借りて、無認可の生活寮「あけぼの荘」を開設する。
- 【1985年】
- 生活寮「あけぼの荘」は北海道の認可を得て剣渕町内で正式に「生活寮」として定員4名で開設する。
- 【1989年】
- グループホーム「あかつき寮」定員4名で開設する。
- 【1990年】
- グループホーム「いずみ寮」定員4名で開設する。
- 【1992年】
- グループホーム「とも2ホーム」定員4名で開設する。
- 退園者結婚による公営住宅居住。自立訓練のための「生活実習寮」を開設する。
- 【2004年】
- グループホーム「杜舎荘」定員4名で開設する。
- 【2005年】
- 西原学園入所定員を1名減の49名に変更する。
施設づくりは町づくり
地域生活移行を進める中で、剣渕町のように過疎が進み、商工業の衰退、農業情勢の低迷や農業後継者の問題などがある中、障がい者福祉だけを展開できるわけではない。私たちの施設の建物や設備が充実するとともに、この地域が豊かにならなくては地域福祉を推進することが難しいことから地域の文化や経済の振興に寄与できる施設づくりをめざした。
そして、私たちは施設とともに進める「町おこし」の取り組みを積極的に実践することにした。
◆「けんぶち絵本の里を創ろう会」
88年6月に、「絵本の里を創ろう会」を発足。90年には剣渕町も「絵本の里を創ろう会」の活動に呼応して、ふるさと創生資金の半額を充当して旧役場庁舎を改修し、1万冊の絵本を購入して「絵本の館」を開館した。この時、「絵本の里を創ろう会」の役員が町に要望し、この建物の一角に西原学園の利用者が働く場となる店舗を兼ねた喫茶店「らくがき」が設置されることとなった。
2004年「絵本の館」の老朽化に伴い、剣渕町錦町に新築移転する。
◆「剣渕・生命を育てる大地の会」
絵本の里創りがスタートした当時、早くから低農薬、無農薬農業を実践していた私たちは、絵本の里創りに参加する農業者に呼び掛け「絵本の里」にふさわしい無農薬農業を推進する「剣渕・生命を育てる大地の会」を92年に発足させた。
おわりに
地域生活移行を進める中で、グループホーム等を利用する人たちは、1人から4人の生活であるが、施設本体の人数は50人という大きな集団生活の現状がある。施設が障がいをもつ人の地域生活を進めるのと同時に施設本体の、より家庭的な環境を提供するためには入所定員の減員を進めることが必要である。
西原学園では、中期5か年計画の中で入所定員を10名減員する計画である。経済の低迷や国が進める構造改革等、福祉を取り巻く環境は今後ますます厳しい状況になるだろう。ただ、私たちは障がいをもつ人たちが「より家庭的な環境の中で普通に地域で暮らす」ことと、それを支える地域づくり(地域を耕す)を同時に進めていくことが必要であると考えている。
(わたなべゆういち 剣渕西原学園施設長)