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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2005年6月号

列島縦断ネットワーキング

島根 まるべりー再構築への取り組み

武田牧子

はじめに

精神病院で患者さんたちは「退院したら働きたい。行き場がほしい」と、病気をする前に描いていた夢を語っていました。日々彼らの話を聞くうちに、「いつかそんな場所を作りたい」と私の夢になっていきました。

まるべりーは昭和63年宍道湖のほとりで、作業所としても認められないただの喫茶店としてスタートしました。補助金は1円もありませんから、経営感覚を身につけなければつぶれてしまいます。結果的にはそれが功を奏したと今では感じています。でもやりたいことは喫茶店の経営ではなく、精神障害者の「働きたい」という思いを実現することでした。利潤追求と一人ひとりのペースに合わせたリハビリはあたかも相反する事柄です。

今になって気がつくことがあります。若かりし頃、骨折、脱臼しギブスで3か月間固定された肘関節は固まり、指もほんの少し動くだけでした。理学療法の先生は、「痛いからやめてください」と声を出す寸前まで、容赦しないかのように彼の両手で関節や指を動かそうとしました。あのぎりぎりのタイミングは絶妙でした。身体と心は回復過程が違うとお叱りを受けるかもしれませんが、私には、その人の回復を信じて、その人の状況を見極め、押したり引いたりしながら就労支援を行うことは、基本的に同じように思えるのです。

無認可作業所から精神障害者社会復帰施設へ―資源の拡大

私の夢と作業所を利用する人の利害は一致していました。私は「より高い工賃を出し、一人でも多く就労につなげたい」、利用者は「少しでも高い工賃をもらいながら、就労したい」でした。その夢に付き合ってくださる地域の方やスタッフが徐々に増えてきました。増えると同時に、さまざまな利用者ニーズは拡大しました。

無認可の時代は、精神障害者の利用できる資源も制度もほとんどありませんでしたが、まだ日本経済も下降気味とはいえ、経済成長率はプラスであり、一般企業への就労はそれほど厳しいことではありませんでした。しかし、法人化と同時期のバブル崩壊で日本経済は失速し、企業就労は厳しくなる一方で、利用者増と反比例するようになりました。そこで、一般企業雇用への働きかけと同時に、法人経営の収益事業で雇用事業所を立ち上げました。また、施設内での就労支援では限界があり、地域の仕事を積極的に受託し、グループ就労にもチャレンジしました。

平成13年、その人に相応しい制度を活用することで就労支援を行うことが求められ、専任の部署として、無認可の就労支援センターを開設しました。これにより就労支援の位置づけが明確になり、就労支援を求める利用者の意識が徐々に変化し始めました。制度も変遷を辿りながら、ジョブコーチや高等職業訓練校を活用した委託訓練事業など、現場で使いやすい制度ができはじめたことも就労支援の大きな後押しとなっています。

一方で、車の両輪のように、就労支援をベースで支える生活支援をどう組み合わせるかも課題でした。平成9年に生活支援センターの事業を開始してからは、地域での生活をどのように支えていくのか、どのように地域につなげていくのかなどを手探り状態で考えています。思うようにシステムとして確立しませんが、利用者と向き合いながら一人ひとりの生活を豊かにする方法を考えています。

まるべりー松江での事業開始―再構築への挑戦

活動の出発点だった第一作業所は、老朽化がひどく移転を迫られました。そこで、利用者アンケートで最も多かった「松江で働きたい」という願いを実現しようと、松江市街地に移転新築しました。第一作業所で取り組んでいた製菓のほかに、レストランとしてオープンしました。連日たくさんのお客様に来ていただいていますし、地域の方たちが街づくりの企画に参加し、いろいろな場面で一緒に取り組んでいます。写真は、毎月25日に開催される天神市の様子です。弁当の注文も日を追うごとに増えています。松江市内でも最も高齢化した地区であり、昼間は単身の高齢者が多い街です。宅配など地域住民が必要とするサービスを、仕事に繋げることができないかの検討も始めています。また、クロネコメール便の配達にも事業化できるかチャレンジしています。

活動が宍道から斐川に、そして松江に広がり、就労支援方法の拡充が図れる環境が整い始めました。松江の通所授産施設事業開始と同時に、タイムリーなことに、障害者就業・生活支援センターの委託も受けました。桑友&まるべりーの利用者だけでなく、市内の障害者施設や事業所との連携が一段と求められます。まるべりー松江は、知的障害者の相互利用も始めたので、これまで以上に養護学校との連携も求められるようになりました。

がむしゃらに走り続けた結果、立ち止まってみると、人様から見れば小さな小さな法人ですが、18年前から思えば化け物のような「組織」になっています。今年度の理事会監査報告で監事から「必要に迫られて事業拡大を行い、それを理事会は支持してきた。法人設立して12年、ハードの整備を一通り終えた今、ここで一旦立ち止まり、より良い地域支援に向けたソフトの充実に努められたい」とご指摘いただきました。理事会と思いは同じです。地域支援、就労支援の再構築に向けて、6月から新しい体制を図っています(■図1■)。

障害者自立支援法と将来への課題

今議論されている障害者自立支援法は、精神障害者地域生活支援のあり方を根本から問い直すものです。大げさに言えば、江戸幕府から明治政府となり、新しい国家体制を模索しているくらいの状況ではないでしょうか。

精神障害者福祉は、平成5年障害者基本法の改正を受けて、平成7年「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」と名称を変えましたが、「地域福祉」とは名ばかりの色合いが濃く、掛け声は「医療と福祉の連携」と言われつつ、医療の傘下に置かれているのが現状です。新しい法律は、精神障害者が同じ法の枠組みに入るという画期的なものであると同時に、利用者負担という受け入れがたい痛みを伴う法律です。しかし、私は代替案の無い現状では、走りながら考えていくしかないと思っています。今私たちが、利用者のニーズを把握し、真に必要な地域での支援を提供できる力量を持っているのか、医療とのパートナーシップを持つだけの力量があるのかどうかが問われます。

また、施設(箱物)単位の支援から、個別支援への変更は、経営的にも不安を感じています。だからこそ、利用者が自分の人生を自分で選択し、契約するために、どうすれば良くなるか、利用者に負担増を強いない方法がほかにあるのか、所得保障には国家の補償以外ないのか、大きな大きな課題ですが、実践を通じて考え、提言していくしかないと思っています。

(たけだまきこ 社会福祉法人桑友常任理事)