音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2005年6月号

知り隊おしえ隊

乗馬を楽しむ

角田京光

馬に魅せられて

私が乗馬を始めてみようと勇気を出したきっかけは、ある乗馬クラブで初めて馬のそばに立ち、馬の肌に手を触れ、大きな息づかいとおとなしい、人なつっこさでした。しかも人を軽々と背中に乗せて、人馬一体の勇姿に魅せられたからでした。これは視力にハンディをもつ人には最適ではないかと思ったからです。自動車やオートバイ、あるいはモーターボートやジェットスキーなどは乗り回したくても視力にハンディがある人には不可能です。その点、馬には大きな目があり、よく調教された馬であれば、ブラインドでも乗馬を楽しむことができます。

私は勇気を出して、早速乗馬にチャレンジしました。乗馬の最初は、体にハンディがあるなしにかかわらず、基本的には同じです。もちろん、初めから一人で馬を自由に操ることはできないので、マンツーマンかグループレッスンになります。私はマンツーマンのレッスンを基本にしているクラブに入会することにしました。

乗馬にはいくつかの楽しみがあります。代表的なのは、ウエスタン乗馬です。これはカウボーイが牛を捕まえるスポーツです。馬に乗って投げ縄を使って牛を捕まえるのです。もう一つは、障害物を飛び越える障害飛越というスポーツです。私が始めたのは、このいずれでもなく、馬に図形を歩かせるスポーツです。別名ドレッサージュと呼ばれるスポーツです。日本語では「馬場馬術」と言います。この種目は非常に奥が深く、馬の調教に数年かかります。最高レベルに調教された馬が最終的にオリンピックに出場できる資格が得られるのです。

体も心もリラクゼーション

初めて乗馬した時の感動は、とても言葉では表現できない、まるで別世界にいるような気分でした。馬の体は温かく、特に駆歩運動の時はまるで天にも昇ったかの如く、心地よい気分でした。私は毎週、休日には午前と午後の2回、馬とたわむれる日々を過ごしました。馬と一緒にいる時はいつも、体も心もリラクゼーションされていたような気がします。いつも馬に話しかけながら乗るのです。人の言葉は少し理解できるようです。それだけに、いつも乗せていただく馬だと、乗り手をちゃんと覚えているのです。やさしく接してやると馬もちゃんとそれに応えてくれるのです。それだけに、毎週、お気に入りの馬に逢えると思うと、仕事にも張り合いがでたものでした。それはまるで毎週、恋人に逢うような気持ちでした。馬にまたがると、日頃の嫌なことも一遍に忘れることができました。それゆえ、いつしか乗馬を始めてから、アッというまに20年の歳月が過ぎていました。

海外勢のレベルを知らされた初めての海外遠征

乗馬を始めてから13、4年経った頃から、ハンディキャップドの国内・国際大会に何度か参加しました。国内の全国大会は年に1度行われていましたが、日本ではまだ10年くらいの歴史しかありませんでした。イギリスやドイツでは20年以上も前から行われていたようです。縁あって、これまで国内大会3回、国際大会3回、世界大会2回を経験することができました。初めての海外遠征は、オーストラリアのブリスベンで行われた大会でした。この大会には、イギリス、ニュージーランド、オーストラリア国内7州、日本からは私一人でした。私は日本では、一般の乗馬クラブでトレーニングしていたので、最初ハンディキャップドの大会を甘く見ていました。ところがどっこい、オーストラリアをはじめ、海外勢の乗馬のレベルは、私の想像を絶するものでした。結果は言うまでもなく惨敗でした。海外勢の乗馬に対する姿勢とそれを支えるボランティアの人たちの熱意とサポートは私を感動させてくれました。おそらく一生記憶に残るでしょう。

2度目は初めての世界大会でした。この時は私にとって予期せぬ不運が起こりました。まず、ハンディキャップドの大会は、グレードから4つに区別されています。私はこの大会ではグレード3で参加しました。ところが、デンマークに着くと、私はグレード4で競技を行うよう、主催者側から指示されたのです。競技種目が全く違うので、この時も結果は惨敗でした。初めて日本が世界大会へ参加することで、日本の協会もルールにまだ熟知していなかったのかもしれません。

国際大会で初優勝

3度目はロサンゼルスで行われたアメリカ国内大会へのオープン参加でした。この大会に参加してよかったのは、大会主催者が私に割り当てた馬が、1985年のロサンゼルスオリンピックで、実際アメリカ代表で使われた馬だったのです。その名は「ショパン」。名馬を与えられた私は大変興奮しました。主催者側は私を競技会のフィナーレに出場させてくれ、私はこの時、たくさんの観客の声援と拍手を浴びることができ、乗馬をやってきて本当によかったと、つくづく思いました。それもこの大会へ連れて行ってくれたのは、協会ではなく、徳沢実さんでした。彼は今も私のボランティアマンとして最高の人です。徳沢さんは次の年も私を今度は、ニューヨークのロングアイランドへ参加の手続きをしてくれました。本来なら、徳沢さんのようなボランティアマンが協会組織のリーダーにいれば、参加もしやすく、ルールのミスも防げるはずですが、残念ながら日本の組織は理解に苦しむところがまだたくさんあります。2002年、ここで初めて視覚障害者だけの国際大会が行われたのです。参加国は、イギリス、ドイツ、カナダ、アメリカ、イスラエル、日本の6か国でした。アメリカ大会から私はグレード4で参加しました。日頃のトレーニングの成果もあり、初めて国際大会でグレード4の分野で初優勝することができました。

最後の世界大会は2003年ベルギーで行われました。この大会はアテネパラリンピックの出場権がかかっていたので、私も一生懸命、日本でトレーニングを積んで試合に臨みました。ところが、この大会も私には不運でした。私がベルギー世界大会で使う馬は、マゼルという名前の馬でした。オランダの乗馬学校から借りた馬で、健康な馬でした。練習試合はまあまあの成績で無事競技を終え、いよいよ次の日の本戦にかけていました。ところが、本戦の当日、突然、私の馬がドーピングで出場禁止処分を受け、私は競技の本戦に参加することができませんでした。理事長とコーチが私に謝罪にきたものの、私は一体何が起こったのかわかりませんでした。ドーピングは、試合の前に、人間のほうで、風邪薬などのチェックを受けていたのに、なぜこんなことになったのか私には理解できませんでした。ドーピングの問題は誠に恥ずかしい行為であり、それを日本が初めて行った事実は恥ずべきことでした。私はこの後、競技には参加していません。

乗馬を楽しむということ

振り返ってみると、後半の乗馬スタイルは、少し競技にこだわっていたような気がします。乗馬を本当に楽しむということは、決して競技を目的とするのではないということです。日頃の生活をいかに楽しいものにするかだと思います。馬に乗ることにより、健康が保たれ、充実した人生を送ることが、最も大切なことだとつくづく思っています。今は、天気の良い日はなるべく、馬と一緒にいるようにしています。自然体で、無心になれる時間を持てるからです。

初めに言ったように、乗馬する時の注意は健常者と同じです。インストラクターとよく意思の疎通を図ることです。乗馬クラブはどの乗馬クラブもだいたい同じなので、自分の身近なところのクラブが一番よいでしょう。連絡は、全国乗馬倶楽部振興協会に問い合わせて、自分を受け入れてくれるところを捜すことです。私の経験では、どこのクラブもこころよく引き受けてくれると思います。きっと、乗馬を始めると、新しい世界が発見できると思います。ぜひハンディをおもちの皆さん、勇気を出して、チャレンジしてはいかがですか?

(かくたきょうみつ 角田はり指圧院院長)

●(社団)全国乗馬倶楽部振興協会
TEL 03―3427―0117
●紅葉台木曽馬牧場(山梨県鳴沢村)
障害者の方の利用が多い。初心者向け。
TEL 0555―85―3138