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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2005年7月号

報告 災害を体験して

台風23号の体験をとおして

山田智子

わが家は7人家族、私たち夫婦と子ども3人、隣の家に祖父母が住んでいます。長女の梓(あずさ)は、ウエルドニッヒ・ホフマン病という全身の筋力が衰えていくという難病で、24時間在宅用人口呼吸器を着けて生活している12歳の女の子です。毎日養護学校にも通学して、いろんなことに興味があり、何にでもチャレンジしたい活発な子どもです。

10月20日、その日は雨のよく降る日でした。その日の夕方いつも水などほとんどない小さな溝があふれ、みるみるうちに道路が川のようになっていきます。非難指示が出たため、主人に頼んで消防の人の手を借りられるように頼み、バタバタと荷物を用意している間に家の中が真っ暗闇になりました。不安そうな子どもたちが「お母さんどこ?」と叫んでいます。「ここにいるよ!」と声をかけながら着替えなどの用意をしている間に、梓が「床が動いている!」と言うのでよく見ると、浸水した水で畳が持ち上がって波打っているのです。

真っ暗な中で子どもたちと固まって主人の来るのを待っていました。消防団の人2人と主人が来てくれ、梓を主人が抱っこして消防団の人にアンビューバック(手動で呼吸を助ける物)を持ってもらい、もう一人の人に吸引器その他の物を運んでもらい、私は胸の下まで水に浸かりながら呼吸器を濡らさないように避難場所まで運び、梓を探し出し、呼吸器を着けました。濡れてブルブル震え、寒がっている梓の服を着替えさせてホッとしているところに「ここも水に浸かりそうです。小学校に非難します」の声…。消防団の方が、「一番先に消防車で運びます」と言ってくださり安心しました。

避難所になった小学校は梓が、1年生の時から週に1日交流をさせてもらっている小学校で、校長先生や教頭先生が待ってくださっていました。布団を梓のために貸していただき、次々と避難して来られる人たちを見ながら、しばらく呆然としていました。

緊急時には呼吸器の電源確保と体調管理のために病院へ避難するように決めてあったので、かかりつけの病院へ電話をしましたが全く繋がりません。徐々にいろんな場所の情報が入ってきて、病院自体が浸水し孤立状態にあることがわかり、連絡することをあきらめました。真夜中には、水が引き電気が復旧したという情報が入りほとんどの人が家に帰られ、私たち夫婦も家の状態を見に戻りましたが、水に流されて家具の位置が変わってしまい、梓を連れて帰れる状態にないことが分かって一晩体育館に泊まりました。梓も興奮していたのか体育館という広い場所に慣れなかったのか、なかなか寝付けないようでした。梓を連れて家に帰って来たのは、次の日の夕方でした。

2か月の間2階での生活を余儀なくされましたが、普段の梓は今までとあまり変わった様子もなく体調も悪くなりませんでした。でも今思えば精神的には参っていたのかもしれません。学校でも水害の話は全くせず何かに集中していないといられない感じだったと、学校の先生はおっしゃっていました。家でもいつもならいろんなことを私に聞いてくるのに、全く水害後の家の状況を見ても何も尋ねませんでした。家が何とか落ち着いた頃、突然水害の時の怖かったことや真っ暗になって畳が浮いてきたこと等の家の状態を学校で一気に話したそうです。自分で動けないだけに、人の手を借りないと逃げられないという恐怖が精神的にそうさせたのかもしれません。

あの日一番感じたことは、地域の人の優しさでした。避難所でたくさんの人たちがいる中、思春期の娘の着替えをしなければならず、私はこんな時だから仕方がないと思いましたが、近所のお友達やおばちゃんたちがワーッと集まってきてくださって、「バスタオル足りる?」「隠しとってあげるからな」とバスタオルで目隠しを作ってくれました。避難所でも「寒くないですか?」と校長先生が、わざわざファンヒーターを梓の所に運んできてくださるなど、人の温かさをひしひしと感じました。

私は重い障害がある子どもだからこそ、小さい頃から地域の人や子どもたちと一緒に生活させてやりたいと願ってきました。日頃から小学校との交流や地域の運動会の応援などに出かけていましたから、近所の人たちにも身近な障害児だったのかもしれません。それから、人工呼吸器を着けている梓にとって電源の確保、医療機関との連絡が重要なことの一つだと思っていましたが、今回の水害で自家発電設備のある病院自体が水害に遭ってしまい、緊急時に避難する場所がなくなった時のことも想定し、もう一度医療機関や地域の福祉担当者との相談が必要だと感じました。

そして、これからも地域の子どもとして地域の人や子どもたちと関わり合いながら生活していきたいと感じています。

(やまださとこ 兵庫県豊岡市在住)