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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2005年7月号

中越大震災の現場から

藤田芳雄

昨年の10月23日(土)夕、震度7の激震が新潟県中越地方を襲った。震源地は中越の小千谷市、川口町方面で、震源の深さは10km。内陸直下型で震源が浅かっただけにその揺れも大きかった。その日の夕方、私は友人といつものマラソンから帰り、ランニングパンツ1枚で浴室に向かっていた。大型戦車が遠くから猛スピードで近づいてくるような地鳴りがしたかと思うと、いきなりガタガタガタと揺れ、次にまるでジューサーミキサーにでもかけられたようなものすごい振動。家は木の葉のように揺れ、大地はコンニャクのようにうねった。何が起きたのか分からないまま私はとにかく着替えを取りに2階に駆け上がり、廊下の壁に捕まりながら再び階下に下り、携帯電話とラジオ、デジカメをポケットに突っ込んで、妻に促されるまま盲導犬のオパールと外に出た。ガラガラガシャン、ミシミシという音に混じってあちこちから聞こえる悲鳴と叫び声。もう家は無いものと思った。ここ長岡でも震度6弱の激震だった。

新潟県全体では10万人以上が避難し、エコノミークラス症候群で亡くなった方々を含め40人以上の方が犠牲になっている。地震の発生時はちょうど夕食やその準備に追われていた時刻で、どこの家庭でも火を使っていたに違いない。しかし、幸いなことに火災の発生は少なく、また、雪国住宅ということもあって家屋の倒壊による犠牲も最小限にとどまった。

10月末の新潟の夜はもう寒い。高床式になっている階下の車庫で夜中まで暖をとりながら、夜は家族とともに自家用車の中で一晩を明かす。その間、何人かの近所の方が揺れ続けるアスファルトの上を駆けつけてくれ、視覚障害の私の安否を心配してくれる。私も災害弱者の一人と言っても、市会議員としての立場もあって近所や避難所になっている公民館などを声をかけて回ったが、おびえつつも常に一緒にいてくれるオパールに、あらためてその存在価値を再認識。盲導犬は災害救助犬でもあると実感する。

このように私はどうにか家族とともに自宅や車の中で避難することができたが、やむなく学校や公民館などの避難所に身を寄せねばならない被災障害者も多かった。そしてこれらの人たちの訴えの多くが、避難所における移動の困難性と情報のバリアだった。水や食料の支援物資が届いても、届いていることが分からないし受け取りにいけない。トイレにも行けない状態で、多くの障害者たちが避難所から再び逃げるように揺れ続ける自宅に舞い戻っている。聴覚や視覚に障害のある人たちからは時代にあった新たな情報伝達手段の充実を求められており、同じ障害をもつ者同士の二次的避難所としての福祉避難所の設置も強く求められている。

復旧がすすみ、復興計画も熱く議論されるここ長岡で、今日6月28日、連続真夏日から一転して数10日ぶりに降った大雨で、今度はあちこちの河川が増水し、昼近くに早速、先の災害を教訓に導入されたばかりの、災害時要援護者に対する「避難準備情報」が発令された。複雑な思いである。

(ふじたよしお 長岡市議会議員・視覚障害)