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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2005年7月号

文学にみる障害者像

小川洋子著 『博士の愛した数式』
―高次脳機能障害の本質を格調高く描き感涙を誘う精緻に織り上げられたドラマ―

原寛美

脳外傷などに起因する記憶障害を代表とする高次脳機能障害の医学的診断基準がわが国において出されたのは2004年である。しかし高次脳機能障害そのものの存在は当然のことながら診断基準が提出されるずっと以前から確認されていたわけであり、記憶障害の代表例であるコルサコフ症候群の報告は、すでに19世紀後半に遡る。筆者自身、昭和57、58年に東大病院リハビリテーション部においてリハ科の研修をしたが、脳神経外科におけるクモ膜下出血の術後に重度な記憶障害を残した40歳代の働きざかりの患者さんを何人も連続して診療し、職場復帰が困難な現実を目の当たりにし、鮮烈な印象を受けた。記憶障害のリハビリテーションをライフワークにしようと考えた契機ともなった。その後1980年代後半からイギリスなどを中心に記憶障害の評価方法と援助方法が急速に明らかにされ、現在では「認知リハビリテーション」という領域として確立されてきている。

記憶障害などの高次脳機能障害者に対しては早期から適切な診断・リハビリテーションを実施することで、たとえ障害が残存していても、今日では職業リハビリテーションの専門職(職業コーディネーター、ジョブコーチ)との連携により一般就労が可能となる例も少なくないことが明らかにされてきているし、障害年金受給の門戸も開けている。しかしそうした今日的到達点を実践の場で普遍化していくにはまだまだ多くの課題が残っている。高次脳機能障害の診断にあたっては、多くの神経心理検査(知能や記憶の検査や注意の検査など)を網羅して、障害像を明らかにする作業が求められる。さらに、高次脳機能障害者の生活像を明らかにして、それにより家庭における援助方法や、就労援助のストラテジーを生み出していくことも要求されてきている。今日ほど高次脳機能障害者への関心が高まっている時宜はないと言える。

本書は、高次脳機能障害とは何かを多くの方に理解してもらう格好の入門書であるし、記憶障害のリハビリテーションの専門書籍に匹敵する説得力をも有している。

優秀な数学者であった大学教師(「博士」と命名されている)は1975年に交通事故により脳外傷を被り、記憶の障害を残した。事故前に習得した知識は完璧であり、現在も優れた数学的才能は保持されていたが、事故後に経験する新しい事象を記憶することは困難で、情報を頭の中に保持しておく記憶のスパンはたかだか80分に限定されていた。新しく経験した情報を忘れないために博士は自らのメモを自分の背広にクリップで留めることを習慣としていた。その博士宅には家政婦協会からこれまでに多くの家政婦が派遣されたが、博士の障害像を理解することが困難でもあってか、短期間で全員お払い箱になっていた。1992年3月、10番目の家政婦として派遣された「私」は、10歳の息子との2人暮らしであり、博士は「私」の息子のことを、頭が偏平な形であることから「ルート」と命名する。「私」は記憶のスパンが80分の世界とはどのようなものかと博士の記憶障害の本質を理解しようと務める。一方博士はルートに対してはこのうえない愛おしみの情を持って接し、数学の指南を開始する。いつしか博士と「私」、それにルートを交えた3人の物語が始まる。

そしてその中に、素数や友愛数、フェルマーの最終定理など多くの数学的な内容が織り込まれていく。博士が愛して止まない阪神タイガースの(元)エース江夏豊の背番号は28であるが、これは28の約数を足すと28そのものになる「完全数」と命名されていることなど、数学嫌いの読者も思わず引き込まれてしまう。

圧巻は地方球場で開催された阪神タイガースの試合に、事故後ほとんど外出した経験のない博士を、ルートとともに観戦に連れて行くシーンである。博士の記憶は1975年で止まっており、その年には江夏豊が阪神のエースとして投げていた。しかし目の前の舞台は1992年、江夏の背番号28はその年、中田良弘というピッチャーが付けていた。博士は江夏の登板を期待していたが、「江夏は一昨日の巨人戦に先発したから今日はベンチ入りしていないよ」と、中田良弘が間違っても登板しないことを祈りながらルートとともに口裏を合わせる。博士を決して幻滅させることのないように「私」とルートは必死に振る舞いながら、初めて目の当たりにした阪神の野球観戦に2人は博士とともに陶酔する。

そして物語の後半、英文数学雑誌の懸賞問題で博士が一等賞を受賞したお祝いを3人ですることになる。その博士へのプレゼントには、ルートと相談して博士がこよなく愛する江夏豊のプレミアム仕様の野球カードを贈ることに決める。しかしなにせ17年前に阪神を去ったタイガースの江夏カードを手に入れること自体が至難の業。お祝いのパーティーまでにとルートとともにカードショップを奔走して探し出す描写シーンは迫力満点でもある。

しかし、3人の物語には最後に厳しい現実が待っている。博士の記憶のスパンが、加齢の影響もあるのかいつの間にか短くなっていて、80分を切ってきていたのである。そうした現実を鑑みてか、博士の義姉は、博士を医療施設に入れることに決めており、パーティーの翌々日に博士との別れの日がやってくることになる。

読み終えての直感であったが、アカデミー賞を受賞した映画「レインマン」を見た時以上の感動を思い起こした。あのレインマンでも、施設から連れ出した自閉症の兄に類い希な才能が潜んでいることを発見するが、しかし最後には再び施設へと弟は兄を導いていくことになる。本書はその関連もあってか、まるで劇場映画を見ているかのような迫力とストーリー性を有している。事実この小説の映画化はすでに進行形であるそうで、2006年初めには公開予定であるという。

脳外傷による高次脳機能障害の中では記憶障害が最も頻度が多い。記憶と一口に言っても、その中にはエピソード記憶、意味記憶(知識の記憶)、手続き記憶(技術や手順に関する記憶)などの多様な内容が含まれているが、通常はいつどこで何をといった、時間的空間的な要素を伴うエピソード記憶が障害される場合が最も多く、後二者は障害されていない。エピソード記憶の障害も決してすべて障害されている訳ではなく、ある程度の学習能力が残存している。その重症度に関しては、現在、世界的に使用されているリバーミード行動記憶検査という検査法などを用いて評価が行われる。さらに記憶以外の認知機能、一般的知能、注意、遂行機能などを評価して、残存している能力を把握するという手順をとる。残存能力を最大限に引き出すことが、記憶障害のリハビリテーションの基本となるからである。

本書に登場する博士のエピソード記憶の障害はどの程度であろうか、リバーミード行動記憶検査のスコアでは一体何点になるのか、専門職として興味を持ったが、恐らく一人では外出も困難であることを考えると数点(24点満点)ではないかと思われた。しかし、エピソード記憶以外の認知機能はすこぶる良好であり、こと数学の知識面や、ルートに注がれる愛情など、博士の人間性は素晴らしいと言える。また忘れないように重要な情報はメモして背広に留めておく習慣は、自分の記憶障害に対処する知識を有しているとも言える。

高次脳機能障害者の能力の発見する作業は、マイナスではなくプラスの側面を発見していく繊細で細やかなプロセスに他ならない。本書でその役割を果たしているのが家政婦の「私」である。ルートの出生時からして2人だけで家庭を紡いできた「私」の個性と才覚の反映である。家庭といういわば「ペルシャ絨毯」を織り上げていくことの重みを痛感している「私」であるからこそ、博士の才能を引き出すことができたのであろう。高次脳機能障害者に対する復職などの援助のプロセスは、まさに「ペルシャ絨毯」を織り上げていく繊細で息の長い作業に通じると日々診察室で感じている。

(はらひろよし 特定医療法人慈泉会相澤病院総合リハビリテーションセンター長・統括医長)

※小川洋子『博士の愛した数式』、新潮社、2003