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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2005年7月号

列島縦断ネットワーキング

東京 アキレス・トラック・クラブ日本支部設立10周年

田畑美智子

去る5月22日、東京都立川市の国立昭和記念公園にて、アキレス・トラック・クラブ・ジャパン設立10周年記念行事の一環として、アキレス・ふれあい・マラソン大会が開催された。設立10周年にして、同団体初の自前の大会に、障害のあるランナー・ウォーカー、伴走者、ボランティア併せて230人が参加。ニューヨークから本部会長のディック・トラウム氏も駆けつけた。

アキレス・トラック・クラブとは

アキレス・トラック・クラブ(ATC)は、1983年にニューヨークで設立された、あらゆる障害のあるランナー・ウォーカーを応援する国際的な民間団体・走友会だ。24歳で交通事故に遭い、右脚を大腿部中ほどで切断した実業家トラウム氏が、1976年のニューヨークシティマラソンを、義足を脚に7時間24分で完走。癌研究のチャリティマラソンで後に有名となるカナダの故テリー・フォックスをはじめ、多くの障害者が共鳴し、1983年のニューヨークシティマラソンのスタートラインに脳性マヒや視覚障害のランナーを送って、ATCは産声を上げた。

現在では、全米各地や世界50か国以上に多くの支部を有する。特に、本部が米国ということもあり、中南米諸国に支部が多い。マラソン大会への参加奨励にとどまらず、マラソンを通じた社会参加推進、国際協力を活発に進めている。

ATCとニューヨークシティマラソン

毎年11月第1日曜日に開催されるニューヨークシティマラソンには、全米・世界各地から300人余りの障害のあるランナーが参加している。ATCにとって特別な大会だ。参加者3万人に対し2百万とも3百万とも言われる沿道の観客は、ゴールをめざすすべてのランナーの大応援団となる。とりわけ、ATCのランナーと分かると、彼らのボルテージが上がる。日が暮れ、寒い日には零度近くになる夜になっても、多くの人たちが声援を送り続ける。

同大会は、ATCの働きかけで、障害故に一般ランナーより相当の時間を要する参加者のために、一般スタートより2時間半繰り上げたアーリースタートの制度を、トラウム氏の初フルマラソン以来設けている。また、通常の車いす以外に、より重度の障害のあるランナーが参加できるよう、ハンドサイクルの部を設け、昨年実績では130人余りのハンドサイクラーがフルマラソンを完走している。さらに、地元市民による伴走ボランティアが多数登録され、ATCのスタンスとして、ランナーが必要なだけ伴走者の人数を確保するよう奨励している。

市民参加のシティマラソンを模索する日本にとり、一つのモデルケースとなり、ATCの取り組みは、マラソン大会は障害者のものでもあるということを実感させてくれる。

アキレス・トラック・クラブ・ジャパン(ATCJ)の設立と10年

ATCJは1995年に誕生した。阪神大震災の被害を受け、神戸の障害者をニューヨークシティマラソンに招待することで、少しでも被災地と被災者を元気づけたいという本部の思いを汲んだ邦人の呼びかけがきっかけだ。

現在は首都圏が中心の活動となっている。日本には視覚障害のランナー人口は比較的多いが、ATCJには、視覚障害ランナーは無論、知的障害者、脳性マヒや硬化症などの肢体障害者、けがにより障害者の仲間入りをしたランナーなど、さまざまな障害をもつランナー・ウォーカーと市民ボランティアが集い、障害の有無のみならず、障害の種別の区別ない活動を続けている。また、ニューヨークシティマラソン参加ツアーも、クラブの手作りで毎年実施しており、日本から参加した重度脳性マヒのランナーが14時間以上かけて完走したり、自閉症のランナーが4時間台でゴールするなどの実績を挙げている。

ふれあいマラソン盛況のうち終わる

ATCJの念願でもあり初の試みとなったアキレス・ふれあい・マラソン大会(協賛・スタンダード・チャータード銀行)では、手作りの大会運営の中で、障害の種別を問わない参加資格、アーリースタートの設置とランナーへの熱い応援など、「アキレスイズム」を大いに体現した。

5キロ・10キロの種目を公園内の特設コースで実施。60人ほどの視覚障害、肢体障害、知的障害のランナーたちには、多方面からの伴走者が付いた。視覚障害ランナーはロープで伴走者とタグを組む。知的障害ランナーには伴走者が先導役となり、先頭でデッドヒートをする者も。足で地面を蹴って片手の車いす操縦を補うランナーもいる。

当日は、都立誠明学園の小中学生が伴走・スタッフボランティアで大会に駆けつけ、きらきら光る澄んだ瞳に感動と喜びを思い切り表しながら取り組んでいた。話を聞いて急遽かけつけた在日カナダ人やアメリカ人も。マラソンは、障害の種別・有無のみならず、社会的地位、国境までも越えて、すべての人のものになるはずだと、走った人もスタッフとして奔走した人も実感したに違いない。一人ひとりがヒーローなのだ。

大会は最後のランナーのゴールシーンでクライマックスを迎えた。松葉杖を使い1時間のアーリースタートをした全盲の女性が、最終ランナーとして大歓声の中ゴールした時には、感涙にきらめく会場の人たちの心に、ゴールをめざして一歩一歩前に進み続ける素晴らしさと尊さが映っていた。

トラウム氏とATCの描くマラソンの未来

前日21日の講演会では、トラウム氏自身がランニングを始めた過程と併せ、海外支援・脳外傷からのリハビリ支援・抗がん剤治療の支援・障害児教育など、ランニングを通じさまざまな切り口で社会貢献を続けるATC本部の幅広い活動を浮き彫りにした。トラウム氏は、マラソンを完走することによる障害者のエンパワメントを強く意識している。まずは何とか外に出る機会を作って楽しい時間を過ごしてほしい、そこから自分の目標をクリアする達成感を味わい、マラソンで得た自信を大切にしてほしい、そして、その強い気持ちでさまざまな局面でチャレンジし、障害のある仲間に手を差し伸べてほしい、と自ら歩んできた道を振り返りつつ後進へのメッセージを送っている。

ATC本部の活動の多様さは、まさにランニングの可能性の奥深さに他ならない。マラソンのユニバーサルデザインと、障害のあるランナーの市民権確立をめざし、ATCJは新たな10年を歩み出す。

(たばたみちこ アキレス・トラック・クラブ・ジャパン副代表)