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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2005年8月号

列島縦断ネットワーキング

大阪 地域で生きる障害者としての取り組み―検証・移動を妨げる街とその実態

松崎有己

はじめに

私は今から4年前に大阪に引っ越してきました。それ以前は福井の片田舎での生活で、移動手段といえばリフト付きタクシーしかなく、その移動先である「バリアフリー化された場所」とは、病院や歯医者など限られた場所でした。障害者は大規模入所施設で生活し、そしてそこを終の棲家とするのが当然のこととされ、どうせ外出先は病院くらいだろうという空気の中で過ごしていました。その殻の中から飛び出し大阪の現状を目の当たりにした私は、いわゆる交通バリアフリーという概念をこの時、初めて意識したのです。

「市営地下鉄にエレベーターを」運動

大阪市営地下鉄では1980年11月、谷町線の喜連瓜破駅に初めてエレベーターが設置されました。しかしそれは決して、「市が障害者のために気を利かせてつくったもの」などではなく、私たちの先輩たちの苦難の歴史と4年にも及ぶ対市交渉の末に実現されたものです。

それ以前、またその後もエレベーターが広く普及するまでの間、車いす(特に電動車いすの障害者)は数十段にも及ぶ階段のある地下鉄の駅を、どのように利用していたのでしょうか? 私の大先輩の電動車いすを利用する障害者の方に当時の様子を振り返ってお話を聞いたところ、まず最初に、改札の幅が狭くて車いすが通れなかったのは当然のこととしながら、次に駅員に呼び止められ「その車いすはいったい何キログラムですか? 重さに応じて貨物を持ち込む際と同じ割増料金を払っていただきます」と言われたそうです。そしてようやく階段にたどり着き、駅員に介助(電動車いすの介助には6人必要)を頼むと、今度は「それは駅員の仕事ではないから介助者を連れてきてくれ」と言われ、仕方なく近くにいる他のお客さんに頼もうとすると「事故が起こったらどうするんだ、やめてくれ」と押し問答になり、そうこうしているうちにその様子にしびれを切らした人たちが自然と集まり、駅員が何もせずに見守る中やっとの思いで乗車する。こんなふうにして鉄道を利用していたそうです。

今の大阪では考えられない光景ですが、ごく当たり前のことを「非常識な行為」として受け取られていた時代にその正当性を身をもって主張し続け、人々の意識を大きく変化させていったその熱意と実行力に、当時の障害者運動の一旦を知った私はいたく感銘を受けました(大阪市営地下鉄では2010年までに、すべての駅において地上からホームまでをエレベーターによってアクセス可能とすることを目標に、現在すでに約8割の駅においてその設置は完了しています)。

地下鉄調査隊でのバリアフリー調査

このような交通バリアフリーの歴史を垣間見ることをきっかけとし、私は自立生活センターナビの機関紙での「地下鉄調査隊」のコーナーを任されることになりました。毎号一路線ずつすべての駅のバリアフリー調査を行い、その結果を記事として報告しました。車いすでも安心して利用できる駅の存在を多くの障害者に知ってもらうことによって外出の機会が増え、さらにより多くの場所でのバリアフリー化が促進されることになるであろうという期待を込めました。これはすべての運動に通じることだと考えますが、自分たちの主張を実現させるためにはまず、できるだけ多くの人々に自分たちの存在自体を認識してもらうことが重要です。障害者が街に出てみんながその存在を意識し始めることが第一歩、次第に障害のあるなしに関わらずみんなが共に生活すること、それがごく当たり前のことになるのです。

駅の安全対策

実はバリアフリー化が他の地域よりも比較的進んでいるといわれる大阪においても、まだまだ不十分な点は多く残されています。まず駅の安全対策の不備です。毎年多くの視覚障害者がホームから線路に転落し、亡くなったりけがをされたりする事故が後を絶ちません。視覚障害の方々はホームを「欄干のない橋」と言っていますが、私はいろいろな場でホームは手すりのないビルの屋上の端であり、屋上から転落したら死んでしまうことを忘れた人々が絶えず行き来している状態だと表現しています。たとえば私のように電動車いすに乗った状態であればたとえ電車に轢かれなくとも、あの高さから転落しただけで死亡してしまうかもしれません。またラッシュ時の地下鉄御堂筋線などでは、仮に目の前の電車が発車した直後に転落したとしても、次の電車が来るまでにわずか1分30秒しかないのです。つまりこれは障害者に限らず、鉄道を利用するすべての人々の命が絶えず危険にさらされているということなのです。そのことを鉄道を運行している側の人たちはよく知っています。しかし長年にわたり私たち障害者がしつこく訴えているにもかかわらず、転落防止対策(ホームドア、ホームゲートなどの設置)は一向に進んでいません。前向きに検討すると言いながら、検討する場さえ設けられていない鉄道会社がほとんどです。安全性は利便性や企業の利益よりも低く考えられているのです。それは最近の大きな事故の状況を見るまでもなく明白な事実です。

また、駅の周りなどの放置自転車禁止地域も、撤去作業が追いつかない程の勢いで自転車が増え続け、いつも駐輪場? になってしまっています。そして質の悪いことにこのようにマナーの悪い人間の多くは、自分の自転車を点字ブロックの上やエレベーターの出入り口付近に置くことが、してはいけない行為であるという認識さえ持ち合わせていないことがほとんどです。注意されてもあまりピンとこないようです。

1階が駐車場で2階が店舗になっているファミリーレストランでも、身障者用の駐車スペースがあり店内には車いす用のトイレがあるにもかかわらず、エレベーターが設置されていないことがほとんどです(エレベーターにだけ設置義務がないため)。

このようにまだまだ多くの課題が残されているわけですが、これまでと同様、交通バリアフリー基本構想策定の地区委員として、そしてまた電動車いすを利用する障害者の代表として、障害の有無や年齢に関わらずすべての人々にとって住みやすい街づくりを提言し続けていきたいと考えています。

おわりに

先日、福祉エキスポというイベントが開催されました。その中で発言する機会が与えられ、多くの皆さんにバリアフリーの意味と意義、そしてその歴史を知っていただくことができました。これからもできるだけ多くの場で、私がこれまでに得た情報を通してバリアフリーの重要性をお伝えしていきたいと思っています。また、関係各団体とも粘り強く交渉し続け決して妥協することなく、バランスのとれた安全性と利便性を求めていくつもりです。

「だれにとっても移動の自由が妨げられることは決してあってはならないことである。それは最低限保障された当然の権利である」

こんなことを私がわざわざ声を荒げて口にすることがこっけいに感じられるような世の中になることを切望します。

(まつざきゆうき 大阪頸髄損傷者連絡会編集部長)