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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2005年8月号

ほんの森

花田春兆著 人間の記録160『花田春兆 いくつになったら歩けるの』

評者 堀澤繁治

タイトルの台詞は彼の子が物心ついたころ彼に発したものだ。面白いことに僕も同じことを聞かれた。子がいない僕の場合は、親友の看護師の娘からだった。三十数年の時を隔て幼児は同じことを問うた。人間として普遍的で根本的な疑問だからに他ならない。

彼は最重度の脳性マヒで歩けない身を悲観してはいない。そんじょそこらにない明晰な頭脳と負けん気の強さは、彼の生活に悲観している暇を与えなかった。

脳性マヒは、障害の中で最も理解されにくい。感覚や機能の完全な欠損は何一つない、にもかかわらず現実の生活では普通にできることが一つもない。

描かれているのは昭和初期から40年代。福祉も肢体不自由児教育も黎明期から充実期に当たっている。戦前というだけで暗い生活を思い浮かべるが、彼にとってはその後の才能の開花のきっかけを作った時期だ。

そのことが今、忘れていることがないか、方向が間違っていないかということを問うているのではあるまいか。

彼の幸福の第一は、俳句を通じて健常者の世界で互角に闘えたことだ。彼を人生の師と仰ぐ僕の幸福は、大学で一般学生と机を並べて勉学という競争を経験できたことだ。

両者に共通することと言えば、真に児童生徒のことを考え、並々ならぬ情熱を注ぐ、僕の時代でさえ「養護学校」という文字が付いていなかった光明学校の教師たちに出会い、基礎学力を授けられたことだ。両者は本人に適した最高の教育を受けたと思っている。指導方法も確立しておらず、脳性マヒに関する医学知識もない。教師のだれもが手探り状態で教えていた時代だった。要は、生徒をひたすら思いやることだが、現在のような「保護」ではなかった。生徒に精一杯の「背伸び」をさせた。障害の陰に隠されている機能や才能を引き出すには「無理」も必要である。

脳性マヒ者が書いた本は意外に多い。経験が特異だったり、考え方に強い偏りがあるなどして、受け入れにくい内容を含んでいることも少なくない。その点、この本は、全く障害者との接点を持たない多くの人々にも受け入れられやすい。障害の有無を問わず、その環境に置かれたら非常に多くの人が経験するだろうことだけで内容が構成されているからだ。

一冊のうちに脳性マヒ児・者が直面するすべての問題や困難を洗い出し、その時々の喜怒哀楽を過不足なく表している。生来の文才の上に俳句で鍛えた描写力が成せる技である。

(ほりさわしげはる 車イス者の生活を考える会代表)