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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2005年9月号

自治体などの取り組み

韓国で交通弱者移動便宜増進法が制定
―移動の権利を明記―

崔栄繁

昨年(2004年)の12月、韓国の国会で「交通弱者移動便宜増進法」という法律が制定された。交通バリアフリー法見直しの年ということもあり、本法律の内容や制定過程が私たちに示唆するところは多いように思われる。以下、法律のできた社会的な背景を簡単に述べた後、法律の内容と法制定の過程、問題点を追ってみたい。今後の日本での障害者運動を進めていくうえで、少しでも参考になればと思う。

97年法と移動権保障法制定運動

2001年、韓国のソウル地下鉄5号線のオイド駅で、一人の障害者の死亡事故が起きた。階段昇降機から電動三輪スクーターユーザーだった被害者が転落したというものである。韓国では「リフト」と呼ばれているこの階段昇降機は、四方の囲いも棒状のものが一本ある程度で安全性にも問題があり、故障も多く事故もたびたび起こしていた。障害者団体ではエレベーターの設置を求めてきていたが、改善されてこなかったといういわくつきのものだ。

実は、韓国では1997年にバリアフリーに関する法律がすでにできていた。「障害者・老人・妊婦等の便宜増進の保障に関する法律」(以下、97年法)というものである。この97年法が、前記のような事故防止と事故発生時への対応について有効な対応手段を提供しないばかりか、事故原因を生み出しているという側面があった。

97年法は、1.道路、2.公園、3.公共施設および公共利用施設(スーパー、デパートや病院など)、4.共同住宅、5.交通手段、6.通信施設の6つの分野についてのバリアフリー施設の整備を定めるものである。この中で5.の交通手段に関しては、バリアフリー施設設置について「することができる」という規定になっている。なぜこういうことになるかというと、97年法は保健福祉部(厚生労働省)管轄の法律となっているところに原因の一つがある。本来は建設交通部(国土交通省)の管轄であるべきなのだが、障害福祉関係はすべて保健福祉部で取り扱うというのが韓国の慣行となっている。これによって、担当行政が二元化されてしまい、バリアフリー設備・施設と建築物が別々に施工されることになり、バリアフリー施設・設備の部分だけ義務化するというのは不可能となる。また、これでは利用者の使いやすい設備・施設が設置されるわけがなく、実際にバリアフリー施設・設備が使えないなどの弊害が出ていた。相次ぐ事故の責任の所在もはっきりせず、前述の事故についても責任逃れに一貫した行政当局に対して、ついに障害者等の不満が爆発した。「障害者の移動権を闘い取る連帯会議」などの障害者・市民団体が、1か月間にわたる国家人権委員会の占拠や毎週ごとのバス乗り込みなど、何年にもわたるアクセス運動を行ったのである。その結果、ソウル市から低床バスの導入や地下鉄駅のエレベーター設置の確約を取り付けるという成果を挙げ、ソウル市内ではぽつぽつとノンステップバスが見られるようになってきた。

こうした活動と平行して、障害者団体は97年法の問題点を解決すべく、建設交通部管轄の移動権保障法制定運動を進めた。97年法を建設交通部管轄の法律に全面改正を求める運動を、という意見もあった。しかし、時間的な問題や、97年法の2003年改正時、同法に手話通訳者配置や筆談などのサービス提供を情報アクセスの分野として盛り込んだため、建設交通部管轄の法律にするとこのサービス部分がなくなってしまうという聾唖協会等の反対もあり、交通手段と道路分野のみの新法を作る運動ということで、障害者団体間で同意したという。

交通弱者移動便宜増進法の内容と制定過程

1.04年法の内容

こうした運動の結果、2004年12月、「交通弱者移動便宜増進法」(以下、04年法)が制定された。日本の交通バリアフリー法にも似ている。04年法は交通の分野について、建設交通部管轄の法として新たに策定されたものであり、6章からなり34条と付則5条で構成されている。04年法成立の結果、97年法では、道路、交通手段の二つの分野がなくなった。つまり、97年法と04年法は相互補完する関係にあるのだ。

第1章は総則である。まず注目すべき点として、この法律の目玉となる第3条で移動の権利規定があげられる。「障害者等の交通弱者は、(中略)交通弱者ではない人々が利用する全ての交通手段、旅客施設及び道路を差別なく安全で便利に利用して移動することができる権利を持つ」としている。この権利規定は運動の大きな成果とされている。第2条の交通弱者の定義も面白い。「交通弱者とは、障害者(中略)等、生活を営むことにおいて移動に不便を感じる者をいう」となっている。読みようによっては非常に社会モデル的な定義であり、実際の法の運営をどのように行うのか興味深い。国家等の責務を定めた第4条では、国と地方自治体の同法の目的達成のための政策の立案と施行を義務付けている。第5条では交通事業者等の義務を定めているが、「持続的な努力をしなければならない」という努力義務にとどまっている。

04年法の対象となる分野は、道路、交通手段、特別交通手段、旅客施設、交通情報提供などとなる。97年法には規定がなかった飛行機、船舶が障害者団体からの要望で交通手段に追加され、交通情報提供では、視覚・聴覚障害者の移動のための情報が含まれている。

第2章では「交通弱者移動便宜増進計画」について規定されている。中央政府レベルとソウル特別市、広域市(日本の政令指定都市に該当)、市、郡レベルの地方自治体において、5年単位の計画を立案しなければならないとされている。計画に含まれなければならない事項は以下のとおりである。

  1. 交通弱者移動便宜増進政策の基本方向及び目標に関する事項
  2. 移動バリアフリー施設の設置及び管理実態
  3. 歩行環境の実態
  4. 移動バリアフリー施設の改善と拡充に関する事項
  5. 低床バス導入に関する事項
  6. 歩行環境改善に関する事項
  7. 特別交通手段導入に関する事項
  8. 交通弱者移動便宜増進計画の推進に必要となる財源調達の方策
  9. その他、交通弱者の移動便宜増進のために大統領令が定める事項

第3章はバリアフリー施設・設備の設置基準についてであるが、細部は他の法律や、大統領令・建設交通部令(政省令)に委ねている。特記すべき事項としては、第14条(路線バスに対する利用保障)の3.で、低床バスの導入義務の明文規定がされたことである。地方自治体のつくる「交通弱者移動便宜増進計画」立案時に低床バス導入計画を立てて、これに従って導入しなければならないというものである。政府の企画予算処(国務総理直属の機関で、予算編成などを担当する部署)も2013年までに全国のバスの30%を低床バス(この場合はノンステップバス)にするための予算確保については、ほぼ問題ないとしている。障害者団体の長年の悲願が実ったということになろう。

第4章は「歩行優先区域」に関する規定、第5章は実態調査や是正命令などを定めた補則となっている。第6章は罰則規定である。履行しない事業者に対して罰金あるいは交通行政機関による履行強制金を賦課することができるとされている。この法律の履行に関する重要な規定であるが、いくつかある問題点については後に述べる。

2.制定過程

次に、04年法の制定過程に障害者団体がどのように関わったのかを見てみたい。2004年7月に民主労働党の玄愛子(ヒョン・エジャ)議員を中心に、16名の与野党議員により「障害者老人妊婦等の交通手段の利用及び移動保障に関する法律」(以下、移動権保障法)が発議された。それ以後の細かい動きをあげてみると以下のようになる。

8月:
60人の与野党国会議員により「移動権保障法推進国会議員の集まり」(議員連盟)が結成される。
9月:
移動権保障法推進共同対策委員会(以下、共対委)結成。
11月:
民主労働党、共対委とノンステップバスツアーを遂行。
12月17日:
国会建設交通委員会に「移動権保障法」と、政府案となる「交通弱者移動便宜増進法」が上程。
12月23日:
建設交通委員会により「交通弱者移動便宜増進法建設交通委員会代案」で、移動権の明示と低床バス導入の義務化が決定。
12月27日:
建設交通委員会常任委員会で「代案」を可決。

9月にできた共対委というのは、「移動権連帯」や「便宜施設推進市民連帯」といった草の根の障害者団体や市民団体の集まりであり、議員との協力体制やロビーイング、関係省庁との交渉の主体となった。見てもわかるとおり、当初、共対委と議員が提出した法案名は「障害者老人妊婦等の交通手段の利用及び移動保障に関する法律」であった。そして、建設交通部から政府案として出てきたのが「交通弱者移動便宜増進法」である。この2つの法案は名前だけでなく内容面でもかなりの違いがあった。たとえば移動権保障法案には、事業者などに対して、是正命令不履行によって生じた被害への懲罰的賠償や行政代執行法の準用も盛り込んでいた。

最終的に04年法の形で落ち着いたのは、以下のような経緯がある。移動権法発議の中心となった民主労働党というのは労働運動・民主化運動の主導してきた労働組合の支持を受けている少数野党であるが、与党「開かれたウリ党」とそれほど政策的に距離があるというわけではない。しかし議会の多数を占めている「ハンナラ党」という保守系野党などが、法律名に「権利」が入ることや97年法など既存の法体系との整合性の問題をあげて難色を示したという。さまざまな協議の結果、「移動権」の明記と低床バスの義務化を盛り込むということで、移動権法推進議連と共対委が妥協したということのようである。ある障害者団体の関係者は「名を捨てて実を取った」という言い方をしていたが。

04年法の問題点とまとめ

こうしてようやく制定された04年法であるが、問題点もいくつか指摘したい。

まず、当事者の参画である。現在、同法の施行令、施行規則を作成中である。また、細かな施設・設備の基準が政省令に委ねられているということから、この時点からの当事者参画が望まれるが、そこまでできていないという。政府は、案は自らが作り、その後公聴会で当事者の意見を聞いて反映させればそれが当事者参画であると考えているようである。

次に法の履行の点についてである。「交通弱者移動便宜計画」を主管する機関となる市・郡がこの法律を違反した場合、履行強制金をそれら自治体には賦課できない。民法上の損害賠償訴訟や行政訴訟しかないが、韓国では政府に勝ったためしがないという。また、移動の権利が明記されたが、この権利が実際に司法の場でどのような力を持つのか、明確ではない。たとえば、最初に紹介したような事故が起きた場合、被害者が「移動の権利」を盾にして、実質的な救済が図られるのか。

こうしたさまざまな問題点はあるにせよ、当事者が声を上げて、「移動の権利」が法律で書き込まれ、社会に対して明確にされたことの意義は大きいと思われる。「移動」が社会に参画していくための権利であるということは、私たちも今一度確認しなければならないことだろう。また、結局は妥協を余儀なくされはしたが、障害者団体が法案を国会議員とともに作り上げ上程をしたということは、簡単にできることではない。

今後の課題は多いが、それを一番わかっているのは韓国の障害者である。交通アクセス部分において世界的に見ればよく整備された日本でも、移動の権利という認識の欠如から障害者に対する交通機関への乗車拒否などいまだに多い。今後、この分野での日韓交流を体系的に進めていけば、お互い学ぶことは多いように思われる。

(さいたかのり DPI日本会議)