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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2005年10月号

障害者自立支援法案をめぐって

障害者自立支援法案の定率負担を考える

太田修平

与党大勝

郵政法案が参議院で否決されたのを受け、小泉首相は衆議院を解散、総選挙となった。マスコミ各社の事前の世論調査では、自民党が圧倒的優勢ということだったが、投票結果は必ずしも世論調査の通りにいくとは限らず、政権交代へのわずかな望みをつないだが、今回は事前の予想を上回る自民党の圧勝となった。民主党や郵政反対派議員はズタズタにされ、小泉首相の作戦勝ちである。首相のわかりやすさが、多くの無党派層の気持ちを掴んだのであろう。

さて、障害者自立支援法案は、7月衆議院を通過し、参議院で審議が開始されていたが、衆議院の解散に伴って廃案となった。

しかし政府・厚労省はこの秋の特別国会にこの法案を再度提出する考え方を明らかにしており、再び緊迫した状態を迎えようとしている。

昨年の秋、厚労省がグランドデザインを発表し、障害者自立支援法案という形に大急ぎで仕立て上げた感は否めない。この法案、いくつかの大きな問題が存在するが、その最たるものは定率負担のしくみの導入であった。これは障害者施策においては初のことで、高齢者を対象とする介護保険にしくみの考え方を合わせていこうとするものである。また国会の審議では長時間介護を必要とする重度障害者に対する具体的な支援策や、移動支援のあり方などについて、具体的なものがあまり明らかにされず、多くの障害者を不安に陥れた。具体的なことは政省令で決めていくことになっていた。

厚労省が障害者自立支援法案を急いだのには、2年連続の支援費の大幅不足という背景があげられる。措置から契約へ、あるいは利用者の自己選択・自己決定をうたい文句にスタートした支援費制度は、スタート早々財政的なピンチに陥ることになる。在宅サービス予算の安定を図るため、障害者自立支援法案では在宅に関するサービスを義務的経費とした。そのようにする替わりに、高齢者に対するサービスと同じように1割の定率負担を導入することを、財務省からの圧力を厚労省は強く受けたと聞く。厚労省としても制度的整合性を図りたいというのが正直なところである。もちろん在宅サービスを義務的経費としていこうとすることは歓迎すべきことではある。また、不完全ながらも三障害共通のサービス法という考え方も評価していかなければならない。

それはそれとして、定率負担の導入と全体像が明確にされないこの障害者自立支援法案に対して、多くの団体・障害当事者は、深い疑問を呈し、真の自立を求めた運動を春から夏にかけ盛り上げていった。それは大きな成果を得、衆議院の通過を大幅に遅らせ、解散というハプニングもあって、廃案にさせることができたのであった。

しかし、それによって今年度の支援費の残りの2か月分や、来年度の予算が白紙の状態になっていることが大きな課題となっている。

定率負担と社会福祉のあり方

さて定率負担であるが、厚労省は昨年の今頃、「応益負担」と言っていた。社会保障審議会の障害者部会の福島智東大助教授が「障害者がサービスを受けて、多くの市民と同じような当たり前の日常生活を営むことがなぜ“益”なのか」と鋭い提起を行い、それから厚労省は「定率負担」と言い直している。しかし本質は変えていない。

多くの障害の重い人たちは、働いて得る収入もなく、貯蓄もない。障害が重ければそれだけサービス量も多くなるわけで、定率負担という考え方は基本的に障害の重い人たちにとって厳しいものとなることは明らかである。この法案では負担の上限設定がされていた。生活保護世帯には負担は生じないが、1級の基礎年金を受けている人については、市町村民税非課税2に該当し、月額24,600円を負担することになる。一般(年収300万円以上)では月額40,200円までを負担しなければならない。さらに問題なのは減免措置を受けた場合、同一生計者にも負担が及ぶことである。このことは、この20年来親兄弟から独立できる制度基盤を求めてきた運動の流れとは大きく反することであった。

結局、国会審議を通じて、厚労省は、「税制及び医療保険において親・子・兄弟の被扶養者でない場合には、生計を一にする世帯の所得ではなく、障害者本人及び配偶者の所得に基づくことも選択可能な仕組みとする」との見解も明らかにしている。これは、与党の修正にも盛り込まれている。しかし損得勘定で言うならば、税制などで扶養に入っていたほうが、実際には経済的メリットは大きくなると考えられ、このままでは真の意味で個人単位にしたということにはならない。

更生医療、育成医療、精神障害者公費通院医療費助成制度なども無くし、自立支援医療とし、1割の定率負担、将来的には3割の定率負担の導入がスケジュールに上っている。命や健康をカネ勘定に置き換える考え方が露骨に出されている。これは真の社会保障の姿とは大きく違う。

所得保障の考え方

北欧など福祉先進国においては、医療・福祉・教育の分野において、定率負担という考え方は存在しないと聞く。負担があったとしても、収入に応じた負担である。所得保障があれば、定率負担を受け入れてもよいとする議論もあり、ある程度納得できる。前述の与党修正では、その第三検討の2項目に「就労の支援を含めた障害者等の所得の確保に係る施策の在り方についての検討規定を追加するものとすること」との文言が入った。私たちの運動の大きな成果である。

けれども私は、基本的には所得保障問題と定率負担問題を切り離して考えるべきが本当の在り方だと考えている。所得保障要求は、たとえばこれまで日本障害者協議会などは「障害基礎年金(1級)プラス生活保護生活扶助費(1類プラス2類)プラス障害者加算」を訴え、住宅扶助費なども組み込んだものがよいとしてきたのである。この要求はこの法案で定率負担が導入される以前より、障害の重い人が地域で独立して暮らしていくうえで欠くことができないものとして運動してきたものである。もし定率負担が導入された場合、それよりもっと多くの経済的支援が必要なことは明らかである。一方でそう言いつつも、財政問題という重しが載りかかるなか、原則だけで突き進むのも困難といえよう。

伸びやかな制度にしていくために

いずれにしても、障害者支援に定率負担を導入することは、いささか無理がある議論である。それは障害者支援にもちろん限ったことではない。高齢者支援を含めて社会福祉の制度の在り方として定率負担は問題がある。医療費や社会保障全般にかかる費用が膨れ上がっている状況を抑える役割は“応能負担”より“応益負担”のほうが効き目としては強い。しかしその人が本当に受ける必要があるサービスまでも自分の財布と相談をしていかなければならず、自己抑制してしまう危険性が高い。これは介護保険では、すでにこういう状態になっているとの指摘が関係者からなされている。厚労省が発表した「平成16年度介護給付費実態調査結果の概況」からも、要介護認定を受けた半分そこそこしか利用していない実態をみることができる(■図1■)。

高齢者の介護保険サービスが、夫婦2人ともが介護度が高い場合や、一人暮らしを支えることを想定したものにはなっていないのがそもそもの問題である。同じ厚労省の資料によると、施設サービスを受けている人たちの介護状態が要介護4と要介護5で多くが占められていることがわかる(■表1■)。全体の経費をみると、施設サービスが居宅サービスを上回っているという現状で、まだ施設福祉から完全に抜け切れていないのである。

そして、OECDの社会支出の国際比較をみると、日本は先進国の中で社会支出の国内総生産に対しての割合がアメリカと同じように低いことがわかる(■図2■)。

日本は障害者や高齢者が地域社会で豊かに暮らしていけるようにするために、もっと社会福祉に予算をつぎ込んでいく必要性が根本問題としてある。その際、消費税を含めた税体系そのものも見直していくことも求められる。

定率負担は社会福祉施策を決して伸び伸びと大らかなものに展開させることはないであろう。

今後、私たちは定率負担の導入を何としても回避する努力をしていくと同時に、万が一に法案が成立してしまう場合でも、個人の独立を守るという基本的な視点や、障害者医療の現状水準の確保、障害者の日常生活が壊されないように、減免措置のさらなる改善を強く訴え続けていくことが重要である。

併せて障害者施策の改革の目玉である所得保障という大きな命題に対して、具体的な論議を呼び起こすことが強く求められている。

郵政民営化は「小さな政府」のシンボルである。今、与野党問わず「小さな政府」論が主流となっている。障害者や高齢者が安心して暮らせる社会の在り方を、提起する必要がある。

(おおたしゅうへい 日本障害者協議会企画委員会委員長)