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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2005年11月号

横浜市の取り組み

「高機能発達障害」とその支援

平野亜紀

1.はじめに

あなたが小学校を訪れて、こんな場面を目撃したとする。授業中に立ち歩く子どもがいて、着席を促す教師に罵声を浴びせる。かと思うと前の席の友達を小突く。友達が嫌がってもやめない。

このエピソードを目撃した人が、親のしつけに疑問を持ったり、担任の指導力の弱さを非難したとしても不思議はないだろう。しかしこのような子どもたちは、これから述べようとする「高機能発達障害」なのかもしれない。

文部科学省は、通常の学級に在籍して特別な教育的支援を必要とする児童生徒が6.3%もいたとの報告をしている。この数字は、たとえば昨年度の学校保健調査で、喘息の被患率として挙げられた数字さえも優に上回る。その数字がもし「高機能発達障害」を示す数字とするならば、そんなにたくさん私たちの身近にいるのだろうか。

「高機能発達障害」とは何か、その支援をどのように考えればよいのかを述べることが、ここで私に与えられたテーマである。

2.なぜ、「高機能」な発達障害が問題なのか

まず、発達障害とは何かを明らかにしておこう。発達障害は、脳の何らかの機能障害に起因すると考えられており、発達期にあらわれ、慢性的な経過をたどるものを言う。それらは、発達の遅れや歪みという形をもって現れてくる。

従来の障害福祉で対象として認められていたのは、知的障害、身体障害、精神障害の3つであり、発達障害という括りはなかった。したがって、実際には発達障害がありながらも知的障害に該当しないと、障害福祉のサービスを受けることができなかった。彼らの保護者に対しても支援の対象にはしないどころか、しつけの至らなさを責めるというハンディを負わせてきた。

しかし皮肉なことに、知的障害の子どものために整備された早期発見・早期介入システムは、そのシステムが成熟するにつれ、知的障害を伴わない発達障害の子どもたちも数多く発見するに至る。横浜市では、実に大勢の子どもたちが療育センターの受診を希望するようになった。私の勤める横浜市総合リハビリテーションセンターでは、発達精神科の幼児新患数(年間)のうち、知的障害を伴わない子どもの割合がほぼ半数に達する。

先に述べた文部科学省の報告にある子どもたちについては、「軽度発達障害」との名称が使用されたことがあった。しかし私は、そのことについては異議を唱えたい。知的障害の軽度と混同しかねない呼び方は、適切であるとはいいがたいからである。知的な遅れのない発達障害の場合、知能が年齢相応のレベルにあるために、常に一般社会の中で過ごす。一般社会への適応を当然のこととして求められてしまうことに、この一群の子どもたちにとっての大きな困難があるのだ。

このような一群は、知的障害とは明らかに異なる特徴ゆえに、独自の取り組みの提唱が必要である。そうした考えから私は、高機能発達障害という名称の使用を支持している。

3.「高機能発達障害」とは

高機能発達障害とは、いったい何だろうか。

発達障害者支援法に対象としてあげられているものは、自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、注意欠陥多動性障害、学習障害などである。いずれも、知的障害を伴っていない場合は高機能発達障害ととらえることができる。発達のバランスが悪いために、日常生活で何らかの不適応がある。

これらの高機能発達障害に共通していえることは、おおむね以下のようなことである。

まず、繰り返し他の子どもと同じように注意しても、なかなか行動を改めない。知能の高さから、「当然わかっているはず」と思われがちだ。できるのにやろうとしない、やる気がないと誤解されて、さらなる叱責を招いてしまう。実は、能力的に本人には不可能なことを求められている場合がある。また、禁止ばかりでどう振舞えばよいのか示されないために、不適応行動を続けてしまうこともある。彼らには総じて、我々の暗黙の了解が通用しにくい。

言語化されたルールの遵守にこだわることもよく見られる。1番でなければならない、友情よりも決まりを守るほうがずっと大事だと思いこむあまり、1番でない自分や決まりを守らない周囲の人を許容できず、社会的な場面に出て行けなくなる場合さえある。1番でなくとも努力することに価値を見出すことや、友達と場を共有できる喜びなど、言外の意味がわからない。

こうした特徴は、達成感の持ちづらさや友達との関わりの失敗を繰り返すことになり、子ども自身の心を深く傷つけてしまう。社会参加を制限するようなこだわりが固まってしまうと、集団の中での居場所を失いかねない。

ところで昨今、社会的な注目を集めた少年犯罪を調べていくと、その少年は(恐らくは高機能の)発達障害だったのではないかと指摘されることが目立ってきた。こうしたケースでは、障害に気づかれる機会が乏しいか適切な環境に恵まれなかったことで、犯罪を起こすまでに至ったと考えられる。高機能発達障害が犯罪に直結するように考えるのは、誤りである。もしある母集団から、将来的に犯罪者となる人の割合を計算してみるなら、「普通の人」のほうがはるかに高い割合を示すのではないか。ただし高機能発達障害の場合は、不適切な対応が続いてしまうと、失敗経験の蓄積によってひきこもり、反社会的な対象へのこだわりの固着、根強い不信感や居場所の喪失など、犯罪に追い詰める要素を二次的に招いてしまうリスクがあるのだといえる。

4.「高機能発達障害」への対応

高機能発達障害への基本的な対応は、実は知能が高くても、知的障害を伴う発達障害の子どもに接する場合と共通するものがあり、構造化の考え方が有効である。大人の関わり方の工夫次第で、高機能発達障害の子どもの集団適応は、かなり大きく左右される。

大人が求める行動ができない場合には、すぐ子どもを責めるのではなく、指示が適切かどうかを見直してほしい。禁止ばかりで、どうすべきかに触れていなかったことはないだろうか。失敗経験の繰り返しは、自分や周囲に対する価値観を歪ませることになる。

それを防ぐためには、とるべき行動を分かりやすく指示することである。言葉かけはシンプルに、すべき行動を具体的に指示する、目で見ても分かりやすいように書いた約束を貼っておく、見本を示すなどが有効である。望ましい価値観とは、成功体験を通じて形成されるものだからである。

取り組んでも困難なことについては、子どもの能力でどこまで可能なのかを、きちんと評価してほしい。大人はとかく、知能が高いならできて当然という固定観念にとらわれがちである。しかし本当のインクルージョンならば、子どもの知能だけでなく、その特性に応じたゴール設定があってよい。ましてや高機能発達障害があるなら、その配慮は当然なされるべきである。

何かにどうしてもこだわってしまう場合は、周囲に受け入れられやすい内容か否か吟味する。殊にそれがあまり好ましくない(こだわることで周囲に迷惑がかかる)場合は、こだわりが強くなりすぎないうちに、受け入れられやすい他の対象へ徐々にシフトさせることが望ましい。

こうした対応は幼児期からライフサイクルを通じ、一貫してなされる必要がある。横浜市では、総合リハビリテーションセンターや6つの地域療育センターが中心となって、幼稚園や保育所・学校などとも連携しながら、高機能を含めた発達障害に対する支援活動を幅広く実践している。

5.専門家に求められる役割

高機能発達障害への支援として我々専門家に求められていることは、どんなことだろうか。

見過ごせないのは、彼らの存在規模の大きさである。知的障害に対しては、支援費制度が順次導入されているものの、通園施設での療育から特殊教育を経て福祉就労に至るまで、どちらかといえば保護的な行政措置が取られてきた歴史がある。しかし、高機能発達障害を同様な方法で特別な施設を作って吸収するには、ハード面もソフト面も構築に相当のコストがかかってしまう。

一方、本来持っている年齢相応の知能の高さ故に彼らが切実に感じているのは、居場所のなさに他ならない。一般の社会においては、対人トラブルを起こしやすいことから除け者にされてしまう。しかし年齢相応の知能を有しているために、知的障害を伴う発達障害の人やその家族からも、同じ障害をもつ仲間だとは心情的に受け入れられにくい。親しい仲間と居場所とを、なかなか形成しにくいのである。

これらを考え合わせると、専門機関の役割は以下のようになっていくだろうと思われる。

まず、コミュニティに対して高機能発達障害に関する啓発を、より一層進めることである。幼稚園や保育所、小中学校の担当教諭などを対象に、よりよいインクルージョンに向けた指導・助言が求められる。具体的な対応の相談や実技指導から、カンファレンス、セミナーに至るまで、幅広いニーズに応じていくことが必要である。

我々は近年、高機能発達障害をテーマに「療育セミナー」を開催している。この「療育セミナー」への参加希望者は回を重ねるごとに増えつつあり、高機能発達障害への関心の高さや支援ニーズの高まりを痛切に感じている。

育てにくい子どもを抱える保護者も、啓発の対象となる。高機能発達障害を育てる立場は、とかく無力感に陥り孤立しがちである。適切な対応を学んでもらい、同じ悩みを共有する仲間とのつながりを大切にしながら、育てる側の精神保健に配慮した支援が望ましい。

さらに、高機能発達障害の本人及びその家族にとっての、仲間や居場所づくりの活動を支援することも必要である。「本人同士の会」や「親の会」などの自主活動が、円滑に運営されコミュニティに働きかける力を持っていくためには、専門的な知識による裏づけや、技術的な援助が求められる。

こうした支援を実りあるものとするためには、専門機関においても高機能発達障害の臨床を実践し、より高度な知識や技術の開発を心がけねばならない。地域でのインクルージョンの強化と、質の高い専門的プログラムの開発が、高機能発達障害への支援の両輪である。この両輪により、高機能発達障害を支え育てるコミュニティの力そのものを強化していく「包括的なコミュニティ・ケア」の時代が、すでに到来しているのである。

(ひらのあき 横浜市総合リハビリテーションセンターソーシャルワーカー)