「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2006年1月号
1000字提言
大牟田を訪ねて
田辺和子
この夏、昭和38年の三池炭鉱爆発事故により一酸化炭素(CO)中毒になった患者さんたちとそのご家族を大牟田に訪ねた。
458人の死者、839人のCO中毒患者を出した大爆発、大きな歴史上の出来事を、今記憶している人は少ないだろう。しかし、ここ大牟田の病院にはその時の患者さんたち30人が入院生活を送っているという。訪ねようと思ったのは、5年ほど前、その人たちの姿をテレビで見てからだ。CO中毒の後遺症として、知能が大幅に低下し、人格も変わってしまったという炭鉱夫たち。自由に動く手足を持ちながら、どこへ行くにも付き添いがなければ行けず、記者の簡単な質問にも自信なさそうに奥さんの顔を見る。私が、この10年間、関わってきた高次脳機能障害※の人たちとあまりに共通している姿だった。
ご家族に病院へ案内していただく。廊下を歩くと、何人もの老年の男性とすれ違う。開け放された病室のドアの先にも同年輩の男性の姿が見える。みんな、CO中毒の後遺症で入院している人だという。オヤッと思う。どの人も、パジャマではなく、Tシャツに半ズボン。この方たちを患者さんと呼んでよいのだろうか。
活動の部屋で、音楽療法が始まった。20数人の人たちが集まり、ぴんからトリオや氷川きよし、ナツメロや最近の演歌を取り混ぜて1時間ほどの歌唱。部屋には、他の曜日に作った花瓶や人形などの素焼きがずらりと並ぶ。30代、40代の働き盛りだった人たちが、その後の長い歳月をここで、こうして過ごしてこられたのである。
東京で、高次脳機能障害をもつ仲間が集う「サークルエコー」のメンバーたちのことを思い起こす。日常生活にも手助けが必要な人が多く、家族は、四六時、目が離せないが、それぞれ家族の一員として、楽しんだり、けんかしたりの毎日があり、デイケアやヘルパー制度などを週に何度か利用しながら市井の人としての暮らしがある。しかし、今のような日替わりの支援だけでよいはずはないと将来を案じ、家族たちの模索は続いている。
大牟田で出会った人たち、サークルエコーの仲間たち。どちらも、本人も家族も思いもかけない人生の岐路を通ってきた人たちである。しかし、病院で、毎日、体温と血圧を測ってベッドを暮らしの場として40年を過ごしてきた人たちがいて、地域での生活を模索する高次脳機能障害をもつ人たちがいる。
与えられた場でこれからの日々を生きていく人たちに、まわりの者が準備しなくてはならないものは何なのだろう。
※高次脳機能障害とは、病気や事故により脳に損傷を受けた後遺症として、記憶や言語など知的な機能に起きる障害のことです。
(たなべかずこ 高次脳機能障害を考える・サークルエコー)