「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2006年1月号
障害こと始め
はじめに言葉ありき
花田春兆
はじめに言葉ありき
新年早々書き始めの小見出しからして、問題含みのようです。
本誌では特例以外は口語調で書くように、と指示されているからです。
でも、“最初に言葉がありました”では、意味は同じでも古い人間の私は、どうにも調子が乗らず格好が付かないのです。
とは言ってもこの言葉にしても、厳密な意味や使い方、さらに出典(言葉の出所)ともなると、明確に知っているわけではありません。
判ったつもりで、自分流に格好を付けて、その場に応じて使い回しているだけなのでしょう。
多くの場合、それで済ましてしまっているのが言葉なのかもしれません。
なんだか、枕を振っている(前置きをしている)つもりが重くなってきました。本題に入ります。
前回の編集委員会で、ある委員から画期的?な意見が出されました。どうも委員の中では私と同じで、リベラル派というのか、少数派・非主流派とでもいうのか、硬いお役所的なことに拘わりたくない性格の人でした。
「本誌の目的・性格からそうなるのは当然だし、それを求めている人々がいて、これを頼りにしていることも知らないではない。だが、あまりにも厚生労働省の当面の施策とか新しい法律など、目前の対応に追い回されて終わっている傾向が強くなり過ぎていはしないか。もっと本質的と言うか、長期的な視野で、幅広いスタンスに立ってものを問い直してみるページ。そんなのが有ってもよいのではないか。
たとえば、普段普通に使っている障害者という言葉。これなんかも昔から有ったものではない。いつごろ、どんな必要からどんな目的で生まれたものか。それを知っておくのも、案外根本的なものに通じる大事なことではないのか。おまけに、害の字を当てたことへの障害当事者側の強い反発もあるのだし、一度は正式に取り上げるべきものだと思う。もちろん、当事者・福祉関係者ばかりでなく、本格的な国語学者などからの意見も求めて…」
という提案でした。
真っ先に賛同したのは、歴史好き(細かな年号の数字覚えは別にして)の私でした。もっと正確には積極的に推薦したのは私一人だったかもしれません。そのうえ、勢いに任せて、どうせなら単に言葉の詮索に終わらせるだけでなく、障害に関わるさまざま・もろもろの事の起こり、言うなれば“事始め”『障害こと始め』みたいなシリーズに発展させたら面白そうだな…と、思いつくままに口走っていました。
潜在的には以前から意識していたかもしれませんが、なにしろとっさに飛び出した発言です。計画したプランなどあろうはずはありません。
言い出しっ屁の私自身がそうなのですから、いきなり聞かされた委員の先生方にとっては、雲を掴む話にもならない存在だったでしょう。
とりあえず“障害者”論議だけは取り上げることにして、後の展開については、お二人で相談して次回に再提出してください…、で、落着させられた訳です。
と、とりあえずにしろ、障害者という言葉のルーツを含めた言葉への論議は始まることになります。
言葉だけに終わるか、事柄にまで展開して行くのかは別にしても、まずは“言葉”のクローズアップは始まるのです。だから『はじめに言葉ありき』なのです。
障害 障碍 しょうがい
ともかく言い出しっ屁で共犯なのだから、とてもただでは済むまい、オーダーを組むコーチ役くらいでのベンチ入りは覚悟していました。が、いきなりトップを打て、思い切り粘れという指令です。
単なる序論だけではなく、障害者という言葉(文字表現を含めて)を巡って展開するであろう、それぞれの各論を一応纏める繋ぎ役とともに、“害”の字にアレルギー反応を示す障害者側の拘わりに触れることを期待しているようですが、これはどうも適任とは言い兼ねるのです。
障害者本人だし、文学、それも一字一字を大切にする俳句に関わっているのだから、さぞ五月蠅いだろうと思われるでしょうが、大違いなんです。
“障害”はもとより、忌避されタブー視されている差別語と呼ばれているものでも、近頃ではいくらかセーブする癖がついたようですが、本当は心置きなく使いたいのです。折角ある的確な表現を持つ日本語を、本来は含まれていないはずの濡れ衣を着せて、無理矢理葬ってしまおうというのですから、無実のその言葉たちに同情したくなります。大きく言えば日本語の表現を痩せさせることに加担したくないのです。言葉は使われる場と使われ方によってこそ、問題が生まれるのでしょうし、使い回されている間に垢のように不純物が付いて来るのだ、とする説があるようですが、そうだと思います。
ですから使う側の意識が変わらない限り、使う言葉だけを変えても仕方がない。時が経てば結局同じになってしまう。“障害”にしても、それまでの不具癈疾、または傷痍・傷病のイメージを払拭・一新させるために登場したはずなのに、一部ではマスコミも差別語扱いするほどに、落ちぶれてしまっている様子にも見られるのです。
そんな想いがあって言葉そのものを責める気にも、拘わる気にもあまりなれないのです。
で、ここはどうでも障害ではなく“障碍”を掲げて闘っている当事者に、詳細にかつ熱く論じてもらいたいところですし、ぜひそうしたいものです。
そうです。詳細はそれぞれの各論にお任せするとしても、一応私なりに記憶を辿ることくらいはしないと申し訳ありませんね。でも、それを確かめる作業はしない超無精な怠け者の私なので、その点はご留意願っておきます。
さて、その“障害者”が誕生したのは、60年前の太平洋戦争敗戦の直後でした。産みの親は厚生省(現 厚生労働省)でしょうが、GHQ(進駐軍総指令部)というお産婆さんの影響が強かったことは、当然考えられます。その辺の事情が判るとよいのでしょうが…。
敗戦の混乱期に軍の解体によって保護を必要とされた傷痍軍人が主眼だったにせよ、空爆などによる一般の民間の被災者対策への便乗?だったにしろ、一般の“障害者”に当たる人々が広く、教育や医療なとの限られた分野でなく、国の政治の表舞台で問題に上がったのですから、まさに画期的なことでした。
それだけにさまざまな人々を包括するにふさわしい名称が求められます。それまで個々の状態でなく総称的に用いられていたのは、かたわ・かたわ者・不具・不具癈疾などだったでしょうが、かたわ・不具では法律用語としての重みに欠ける、と感じたのではないでしょうか。それに厳密にはやはり身体的欠損のほうに偏っています。これに対して、五体は揃っていて決して不具ではないのだ、との妙な抗議めいた感情もどこかに働いて、運動機能の障害を強調して、“不自由”を用いるケース、たとえば肢体不自由などもありますが、限定されていて、あまり広くは使われていないようです。
一方の、癈疾。これは障害者が法律で規定されていた唯一?の時代、1300年昔の大和朝廷の律令に明記されている由緒ある?用語ですが、当時の最重度を意味していただけに、いかにも救いようがないような感じさえ与えかねず、いかにも好ましくありません。余談ですが、その律令では中・軽度を指示していた“残疾”は、本家の中国では最近まで使われていたようです。十数年前。訪れた私たちを熱烈歓迎してくれたのは、『中国残疾者協会』の人々でした。
あとの傷痍・傷病ですが、やはり傷というイメージが強すぎて馴染めない障害種別の人々も多いでしょうし、第一、軍関係の用語として普及・浸透していたことへの蟠りも、当然留意されたと考えられます。
で、従来のものには適当なものが無く、新しくということで、個別のイメージに囚われない漠然とした拡がりのある熟語として選ばれたのが“障害”だったのでしょう。
しかしこれはあくまでも、現在の私からの推測であって、“障害者”誕生の真相に迫ったもの、などとはとても言えませんよね。
それにしても、現時点で敵視?されるような害の字がなぜ用いられたのか、です。もちろん、被害者、一種の受難者という(現今ではとても流行らない考え方でしょうが)意味を込めたと取れなくはないでしょうが、確かに害毒・害虫・害鳥など、人間にとって望ましくない・できれば消えてほしい存在という意識のほうへ、連想は走りがちになります。
それまで使われていた障碍の“碍”が、当用漢字から外れていたのが最大原因、とは納得のいく説です。
それでもなお、障碍物などとは常用されていたとしても、人に結びつけたものがあったかどうか、には疑問が残ります。
いずれにしても私個人としては、障害でも、障碍でも、五十歩百歩で大差無いように思えて仕方ないのです。
どちらも、差し障りになる・邪魔になるという意味を含んでいる点で、決定的にどちらかを選ばなければならない問題だとも思えないのです。
さらばとて、表記をかな書きにすることで解決を図ろうとする動き。苦心の打開策とは察しられますが、意味不明のままにいよいよ迷宮入りにしてしまうことになりはしないでしょうか。かな書きで意味が読み取れる純粋の日本語ではなく、同音異語の多い漢語?なんです。試しにワープロでもパソコンでも、ショウガイと入力してご覧なさい。障害関連以外にも、生涯・渉外と数例が選択を迫ってきます。言葉自体にメスを入れず表記だけをいじっても解決は遠ざかるばかり。そんな気もしてくるのです。
よろず 障害こと始め
こうして、障害者という言葉ひとつ取っても、その誕生から推移の経過を改めて問い直してみると、対象となったご本尊の当事者たちやそれを取り巻く関係者や一般の人々の、それぞれの思い入れの温度差までが浮かび上がってくるような、意義深いものになる期待も湧いてきます。
と、なると、最初に触れたように言葉の詮索だけに終わらせるのではなく、障害に関わるさまざま・もろもろの事柄の、起源、最初のきっかけとなった出来事や発明・工夫等などを、辿って明らかにしていくのも、種明かし的な興味もそそりながら、障害者への関心を高める一助になるのではないか、という思いがいよいよ募ってきます。
言ではなく、よろず事始めです。
もちろん、新年の編集委員会の検討を経ないで公表するのは、明らかにルール違反なのですが、前回の委員会前後に、不思議なほど“始め”に関わる話題が、私の周辺を賑わせていたので、紹介だけはしておきます。
ご参考までに…、という気はありますが、影響をお受けになる必要は毛頭ありません。
一つは、ナチスドイツのアウシュビッツなどで有名なユダヤ人の大量虐殺の引き金となったのは、自国民の障害児処理(抹殺)計画であり、それを支えた民族浄化の思想は、案外北欧などにも見られる優生思想にも結び付くのではないか、という物騒なもの。
二つは、軽井沢の別荘の中に、大きいけれど古い木造なのに、なんと地下から2階へのスロープと、狭いけれど車椅子対応のトイレまで備えて、今でも講習会などで使われているという、バリアフリーの走りのような話。
三つは、現在でいうハンセン病、昔の癩の日本での患者第1号は、大陸からの帰化人だった。というグローバルな視野にも通じる文献。等々。
始まりはすべての事にあるのです。
(はなだしゅんちょう 俳人、本誌編集委員)