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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2006年2月号

文学にみる障害者像

レイナード・ケンドリック著 中桐雅夫訳
『指はよく見る』を読んで

竹村実

盲導犬と警察犬

この作品はケンドリックの盲目の名探偵ダンカン・マクレーンが登場するものとしては6作目にあたる。1945年に発表され、わが国には11年後の1956年に早川ミステリーの1冊として紹介された。

ケンドリックは盲人探偵ダンカン・マクレーンを超人的な能力を持つスーパーヒーローとしてではなく、ごく普通の盲人として描こうとしたらしい。だから、それ以前の盲目の名探偵のように、目の前にいる2人が目配せするのを感じたり、新聞の活字のへこみを指先で撫でてすらすら読めるような超能力は持たせていない。ただ、情報の8割を獲得するという視覚がないのだから、残された聴覚、触覚、嗅覚などを最大限に駆使して情報を得るのである。とにかく、よく触り臭いを嗅ぐのだ。こんなふうにである。

「マクレーンは暖炉の前に立ち、手を伸ばして炉棚の上をゆっくり撫でていき、金属のホルダーに刺さっているローソクに触れた。彼の手はすばやくローソクを撫で上げ、消えているその柔らかい芯を親指と人差し指でつまんだ。それから、暖炉の火鋏やシャベルをいじった…。テーブルの上を撫で、指は灰皿の中を探った。素早く身をかがめ手をはたき床の敷物を軽く撫でた。それから指先を鼻にもっていきしばらく嗅いでから灰皿を持ち上げてまだ嗅いだ。」

確かに手で直に触れることがなければ情報は得られないとは言うものの、いささか度が過ぎる気がする。また、マクレーン探偵は小さな囁き声でも聞き分ける優れた聴覚の持ち主でもあるのだ。ともかく、目以外のあらゆる感覚を動員して難事件の真相に迫るのである。ただ、ちょっと気になるのは、彼が盲導犬チナックと警察犬のドレイストを使い分けることである。盲導犬は移動用に使うのだが、警察犬は彼のボディガードとしての役割を担うのだ。また、時には盲導犬を連れずに行動することもあり、少し気になるところだ。

美しい殺人犯だが、この作品の主人公はマーシャ・フィルモアという美貌の女性なのである。物語は彼女の視点で展開する。マーシャは自分の美貌に男たちの視線を引き付けずにはおかないというタイプの女である。そして実際にあらゆる男たちが注目する容姿の持ち主であった。その魅力を武器に男たちを手玉に取って生きている。

マーシャの夫のデニス・フィルモアは人も羨む資産家であり、折りあらば州知事にでもなろうという野望を抱く政治家だった。マーシャは夫の資産と妻の座には執着し、これをなんとしても守ろうと思っている。彼女には「美しくて頭のいい女は当然に有利な地位を占めるものだ」という確信があった。

物語の舞台はテネシー州のガトリンバーグ。ある日、にわか雨を避けるために飛び込んだカフェで意外な男と再会する。男の名前はウォルター・クレーン。

3年前にカリフォルニアでマーシャが付き合っていた男が自動車事故で死亡した。それで彼女に1万ドルの保険金が転がり込んだのだが、ウォルター・クレーンはその事故に疑問を持っていた。そして、彼はそのことを彼女の夫にばらすと脅すのだった。当時は事故死として扱われ、警察も保険会社もそれを認めてくれたのだが、彼女にはやましいところがあったのだ。事故に見せかけた手口が巧妙だったので、完全犯罪を成立させていたのである。「戦争という合法的な大量殺人から、もっと個人的で非合法な完全殺人の方法に至るまで、人生におけるあらゆることに成功しようとするなら、計画というものが必要だ」というのがマーシャの長年にわたる生き方を支えてきた原則だった。

今、自分の目前に危険な存在として立ちはだかったウォルター・クレーンを始末するための「計画」に彼女は着手する。マーシャはウォルター・クレーンを色仕掛けで巧みに騙し、人気のない山荘へ誘う。そこで酒を飲ませ、泥酔した男を彼の車に乗せ、さらに睡眠薬入りのウィスキーを飲ませて眠らせる。断崖に続く坂道に置かれた車のハンドルに俯して寝込んでいるウォルター・クレーンに事故死を装わせるため、車が動かないように前輪に大きな氷の固まりを置いておく。やがて氷が溶ければ、車が動き出して断崖から転落するように仕掛けたのである。この辺りの描写は、克明でマーシャの心の動きが見事に描かれている。やがて現場から自分の車でフルスピードで逃げ帰り、アリバイ作りに腐心する様子もよく書けている。この緊迫した場面に盲目の名探偵ダンカン・マクレーンが登場するのである。

犬も障害者も

マーシャが盲人探偵ダンカン・マクレーンと初めて出会った時の心理描写が興味深い。

「彼の膝にぴったりくっついている美しいドイツシェパードに気づいて…自分が犬が嫌いな上に足が不自由な人や盲目の人々を見るといつも戸惑っていらいらするのだ。」

障害者を見ると戸惑ったりいらいらする人は少なくないのかもしれない。作者は一般論としてそんな感想をマーシャに持たせたのだろう。ドイツシェパードは盲導犬だが、マーシャは子どもの頃、犬にまつわる事件で大人たちを騙した体験があり、それが基で犬嫌いになったのだった。だが、世の中には、根っからの犬嫌いも存在するのである。

わが国では身体障害者補助犬法が施行されても、いまだに飲食店などの入店を拒否される盲導犬ユーザーの不満が強い。だが、生来犬嫌いの人もいることを認識すべきではないかと思う。

アウトオブコントロール

マーシャの犯行はダンカン・マクレーンによって暴かれていく。自分の魅力を武器にダンカン・マクレーンを籠絡しようと試みるが、全盲の探偵には通じない。しまいにはマクレーンに接吻までするのだが、彼は冷たく唇を拭うだけだった。マーシャは苛立った。「盲人は隅っこに座って鉛筆でも売っていればいいのだ」と舌打ちするのだった。ちなみにこれはアメリカの盲人たちが売店で働いているケースが多いからだろう。

次第に追い詰められていくマーシャは、ついに夫のデニス・フィルモアをもウォルター・クレーンと同じ方法で殺害しようと試みる。だが、車中に眠っている夫の車の前輪に大きな氷の車止めを仕掛けた現場を捜査官に写真撮影されてしまうのだった。

「君は自分のことしか考えない犯罪的精神病者だ。社会にとっては不幸なことだが、多くの精神病者と同じように君はすばらしい頭脳を持っている」とマクレーンが言った。マーシャはハンドバッグに忍ばせていたアイスピックを握ると憎っくき盲人探偵に襲いかかろうとするが、その気配を察したマクレーンは「動きなさんな!」と一喝する。彼の声を聞いてマーシャの体は硬直した。

「この犬はチナック(盲導犬)じゃない。ドレイスト(警察犬)だ。そのアイスピックで僕を刺そうとしたら君はすぐズタズタに裂かれてしまうよ」。盲人探偵の足下には獰猛な警察犬が目を光らせて身構えているのだ。

ところで、この『指はよく見る』の原題は、アウトオブコントロール(自制心を失った、ブレーキの効かない)という意味なのだ。マーシャの常軌を逸した行動を表現したものであり、作品の内容からすると『指はよく見る』という題名にはちょっと違和感がある。

思えば、今の日本社会で起きている耐震強度偽装事件や五十男の新生児誘拐事件などは、文字通りアウトオブコントロールに陥っているように思えてならないのだが…。

(たけむらみのる 日本点字図書館評議員)