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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2006年4月号

ワークショップほのぼの屋における就労支援の取り組み

西澤心

プロローグ

京都北部・舞鶴湾は内海です。半島の向こうに夕陽が沈みます。沈みきった夕陽が西の空を赤く染め、その空の赤が海を赤く染め直します。その海の赤がほのぼの屋のワイングラスとお客様の頬をほんのり染め…。

舞鶴湾を望む丘の上にある「カフェレストランほのぼの屋」は素晴らしいロケーションの下、本格的なフレンチレストランとして、オープンより4年で延べ6万人を超えるお客様にお食事を提供させていただくことができました。また、50組以上のカップルのブライダルセレモニーやウエディングパーティーにご利用いただいています。

ほのぼの屋が他のレストランと比べて違うのは、このレストラン自体が障害者施設であるということです。精神障害者授産施設「ワークショップほのぼの屋」の授産事業が「カフェレストランほのぼの屋」なのです。

98年5万円の工賃をめざして、第2共同作業所の創設

1977年9月、10人の精神障害者と3人のスタッフで開設した「まいづる共同作業所」は、知的・身体障害を併せもつ精神障害者も増えていく中、共同作業所の経営の安定化・将来性設計のために、知的障害者授産施設建設を要望、舞鶴市をはじめ多くの市民の支援で94年、知的障害者通所授産施設「まいづる作業所」を開所します。同時に「まいづる共同作業所」は「まいづる作業所」に入所できなかった、主に精神障害者の受け皿として14人のメンバーで再スタートを切ります。

その後まいづる共同作業所は加速的に利用者が増えて40人を超える状況となり、98年4月、店舗付き住宅を借り、「第2まいづる共同作業所(現在:小規模授産施設ブックハウスほのぼの屋)」を設立します。精神障害者の共同作業所として、就労へのステップとより高収入をめざし、また、地域の精神障害者のよろず相談所としての機能を併せ持つことになります。

利用者の作業として古本屋「ほのぼの屋」を拠点としながら、本人の障害や病状に応じ、希望の仕事、希望出勤日、希望時間を選択できるようにしました。さまざまな仕事をコーディネートし、状況に応じ月単位でローテーションの見直しを行いました。同時に利用者が増えるに伴い、業務拡張を図っていきます。半年を経過した頃、利用者へ月平均4~5万円、多い人で8万円を超える工賃を支払えるようになりました。

これにより、利用者の生活に微妙な変化が見られるようになってきました。頑張っても1万円~2万円程度の給料で頭打ちになっていたのが、働けば働くだけ給料に跳ね返る訳ですから、自ずから意欲が向上していきます。仕事内容・時間が選択できるようになったことにより、障害や体調に応じた自分なりの生活の組み立てがしやすく、自分の病気とのつきあい方が上手になっていった人もいます。

生まれて初めてジーパンを買った人、5万円のカシミアのコートを買った人もいます。自分の生活を障害年金等に加えて自分の給料でコーディネートできるようになっていったのです。

また、古本屋は、土日も含め夜8時までの営業により、一般就労している障害者や家族が休みの日に相談や話し相手を求めて行ける場所としても定着、利用者以外の相談等も格段に増えていきました。

本格的な就労型施設づくり、みんなの願いを実現するために

本格的な労働と収入がある程度提供できるようになるとさらに利用希望者が増加、再度の物理的限界により新たなハードが必要になってきました。

私たちは「障害者連続フォーラム in 舞鶴」を2000年より開催していきます。障害者・関係者・市民も含めさまざまな方に集まっていただき、障害者が地域の中で当たり前に暮らしていくにはどんなシステムが必要なのか、みんなで検証しあう試みでした。ねらいは、立ち後れた精神障害者福祉のクローズアップを図り、施設建設の合意形成を得ることです。

全6回のフォーラムでは、障害者自身がパネリストとして、情報を発信していきました。とりわけ、精神障害者たちの発言は会場を熱くさせるものでした。辛い過去や現在の厳しい状況、そして未来への希望を大勢の前で語りました。毎回、新聞報道され、市民の後押しを受ける中、精神障害者社会復帰施設建設の行政的な了解を得られることになります。まさにフォーラムが施設実現の起爆剤となったのです。

02年ワークショップほのぼの屋~レストランを創る

「ワークショップほのぼの屋」は、障害者だけが利用できる施設ではなく市民のだれもが出入りできる施設に、それならば施設をつくるのではなくレストランをつくろう、そんなイメージで舞鶴湾を望む丘の上に開設しました。関係者にしか来てもらえないレストランではなく、一般市場で通用する本格的な、いや一流のレストランをつくるために、プロの接客インストラクターの手ほどきを受けながら研修を重ね、オープンの日を迎えました。果たしてお客さんは来てくれるのだろうかという心配をよそに、連日連夜の満員、ランチには行列ができ、ディナーは何か月も先まで予約が埋まる状況、毎年約4~5千万円の売り上げを得ています。

メンバーたちの仕事はホールでの接客、厨房での調理や洗い場、リネン・クレーンリネスなど、レストランに必要なあらゆる仕事を早番・遅番も含め、ローテーションを組んでこなしています。

予想をはるかに超える忙しさで、あまりサポートはできなかったのに、メンバーたちは自ら「今何をしたらいいのか」「次に何をしたらいいのか」を考え、そして自ら動き出しました。半年を経過した頃、メンバーの一人が、「生まれて初めて自分の仕事に誇りが持てる」と語りました。これまで、保護的な環境の中で「させられていた仕事」から「自らの仕事」になったということなのでしょう。障害があるがゆえに、失ってしまった自信、失いかけていた「人」としての誇り、これを本格的な労働とその対価、そして自ら主体的に働くことによってその人権を回復させ、結果的にリハビリテーションがはかられることとなったわけです。

誇りを取り戻した彼らは~一般就労へ

「障害年金と別に給料が4~5万あったら何とかやってけるんやけどなあ」というメンバーの言葉が、第2まいづる共同作業所の設立時の目標でした。月額5万円の給料を支払えるようになったとき、「もう就職せえいわんといて、これで何とかやれるから、ずっとここにおらして」と何人かのメンバーが漏らした言葉でした。

現在、一定の給料保障ができることによって生活の幅が広がり、これまでの収入では考えにくかった「一人暮らし」「結婚」などが射程距離に入り、そのためにと一般就労をめざして自ら主体的に働く中、自信と誇りを取り戻したメンバーは、自分の夢の実現のために一般就労への取り組みを開始しています。

「仕事いうのはもっと汗流さなあかんで、涼しいところで、椅子に座って仕事しとっても飯うまないやろ」と電気工事の現場で働きだしたメンバーの言葉です。「ほのぼの屋の時給500円はぼろすぎや、一般社会で時給700円稼ぐのはほんまにたいへんやで」看板屋に就職し、半年頑張ったものの調子を崩し、戻ってきたメンバーの言葉です。

エピローグ

障害のある人たちの自立あるいは生活を支えるものは、まずは経済的基盤の整備です。法的な基盤整備(所得保障)とともに、自ら働き、その対価としての報酬を得る環境を整備することは、その逆の流れを伴う障害者自立支援法が施行された今日、ますます重要になってきます。

私たちは応益負担の抜本的な改善を求めていくと同時に、彼ら・彼女たちが誇りをもって働ける環境を、今後も整備していきたいと考えています。

(にしざわしん (福)まいづる福祉会 ワークショップほのぼの屋施設長)