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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2006年4月号

障害こと始め

障害学の視点から「障害」を考える

杉野昭博

ショウガイの表記をめぐる問題から、そもそも「ショウガイ」とは何かといったことまで考えてみようというのがこの連載の趣旨と聞きました。そうした趣旨で、障害学(Disability Studies)の視点から意見を述べよというのが私に与えられた課題です。

まず、海外の障害学におけるショウガイシャの表記から見ていきましょう。同じ障害学でも、アメリカとイギリスでは異なる表記が用いられています。

アメリカでは people with disabilities というのがもっとも多い表記です。日本語では「障害をもつ人々」(あるいは「障害のある人々」)と訳されることが多いです。これは、disabled people に比べるとていねいな語感がありますが、単にていねいな表記をするという意図だけでなく、アフリカ系アメリカ人などと同様に、マイノリティとしての属性を主張する意図も込められているでしょうし、「ピープル・ファースト」People First などと同様に、disability よりも先に people が表記されるという意味で、「まずは同じ人間だ」といったニュアンスも込められているでしょう。「障害をもつアメリカ人法」(Americans with Disabilities Act:ADA)というのも、この表記の仕方の応用です。

一方、イギリスの障害学では、昔ながらの disabled people が使われていますが、意味は昔とは逆転しています。昔ながらの disabled peopleのdisabled は形容詞ですが、マイケル・オリバーをはじめとしてイギリスの障害学者や、そこに連帯する障害当事者運動家たちが用いるdisabled peopleのdisabled は過去分詞として使われています。形容詞と過去分詞でどんな違いがあるかというと、形容詞の場合、すなわち、昔ながらの disabled people の意味は「できない人々」ですが、過去分詞として考えると「できなくさせられた人々」という意味になります。中学英語でならう「受身」用法ですね。日本の英語の試験ではよく出ますが、実際の英語、とくに会話などでは、意味がわかりにくいのであまり使われません。しかし、イギリスの障害学で「障害者」を表記する時は、この「あまり使われない用法」があえて使われています。つまり、「能力がない人」という意味でこれまで用いられていた言葉を、その表記をそのまま使いながら、「社会によって能力を奪われた人」というまったく新しい意味に置き換えようとしているわけです。

次に「障害」disabilityの意味についてですが、障害学では原則的にインペアメント(個人の障害)とディスアビリティ(社会の障害)とを概念的に区別していて、障害学が研究対象とする「障害」とは後者のことです。したがって、イギリスの障害学では、主に、社会制度上の障害者差別や排除のメカニズムを研究しています。日本で言えば、リハビリテーション学よりも、「差別研究」に近い内容です。

一方、アメリカの障害学では、インペアメントとディスアビリティの区別に関しては、イギリスほど厳密ではないようです。とはいうものの、アメリカの障害学の前身となった、障害の社会学・社会心理学的研究は、伝統的に「障害者」に対する偏見を主たる研究対象としています。また、「アメリカ障害学の父」と呼ばれる医療社会学者のアーヴィング・ゾラも、健康至上主義healthism 批判の主張を展開していて、障害学が対象とする「障害」disability とは、「個人の障害」ではなく、「社会の偏見」や「健康な者を中心とした価値観」であるという点は、アメリカにおいてもはっきりしています。

英米の障害学の相違をもう一つ指摘しておくと、イギリスの障害学に比べてアメリカのほうが「障害」の範囲が広いと言えます。アメリカ障害学の研究対象には、慢性病、正確に言うと、「慢性病者が直面する社会的障壁」も含まれるし、さらに、「太りすぎ」などの「容貌差別」の被害者も「障害のある人」に含まれています。こうして、アメリカにおいては、「潜在的慢性病者」という意味で、「とりあえず健常な人」も「障害当事者」を名乗ることが可能であり、その意味で「健常者」も「当事者学」としての「障害学」に参加できます。

ただし、その背景として、アメリカでは、慢性病者による「当事者学」の伝統があり、また、「患者会クリニック」に代表されるように、患者自身が医師や看護師を雇用するなど、医療における消費者主権が日本よりも確立していることが見落とせません。もっとも、「消費者主権」なので、患者の自己決定権も、患者個人の収入や学歴次第ではあります。要するに、アメリカにおける医療職と患者との関係は、一方で、医師に自分が決めた治療を実施させる患者もいれば、他方では医師にすら診療してもらえない患者もいるという意味で、日本とはまったく違います。

以上のように、障害学においては英米ともに、「障害」を「個人の属性」ではなく、「社会の障害」としてとらえています。そういう意味では、これまで日本で「障碍」という表記を提唱してきた運動とよく似ているように思います。ただ、表記を「障害」から「障碍」に変えればよいという問題ではなく、ショウガイについての見方を、「個人のせい」から「社会のせい」へと転換していくことが重要だと思います。

(すぎのあきひろ 関西大学社会学部)