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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2006年8月号

福祉機器と先端技術

山内繁

アイボットの衝撃

多少なりとも福祉機器に関心を持ってきた人なら、2000年にわが国でも公表されたアイボットのことを覚えておられるだろう。立ち上がり、階段を昇降できる車いす、砂地を平気で走行する車いすとして我々を驚かせたものである。私は1997年頃よりビデオなどでその概略を知ってはいたが、実物に接したときの衝撃は予想を超えていた。センサーとジャイロを組み合わせて制御技術の粋を尽くした先端技術で、先を越された口惜しさも込めて感嘆した。

アイボットの衝撃はそれだけではなかった。FDA(アメリカ食品医薬品局)による審査のための臨床評価の概要を紹介されたときの衝撃は、最初にアイボットに触れたときよりも強烈であった。その有効性と安全性の立証のために外部委員よりなる機関内研究審査委員会を構成し、詳細なプロトコルと倫理審査のうえでの臨床評価であった。わが国では、今に至るも、福祉機器の臨床評価には内部委員による倫理審査すら一般的ではない。アイボットにおいては、当然のごとく外部委員による有効性評価と倫理審査を行い、FDAに提出している。この落差には絶望的なものを感じた。

もっと激しい衝撃は、2003年頃であったろうか。ジョンソン・アンド・ジョンソンがアイボットを日本市場から引き上げるとの決定を聞いたときであった。価格が高すぎて日本の市場では収益の見込みが立たないためと推察された。

イノベーションモデルの崩壊?

アイボットの日本からの撤退は、第2次大戦後の世界の経済成長を支えたイノベーションモデルの崩壊を予想させた。すなわち、技術革新が新たな技術シーズを生み出し、その波及効果によって新たなニーズと新たな産業が創出されるというモデルである。このモデルはわが国では1960年代の高度成長期に定着し、科学技術政策における先端技術の開発を推進する基本的視点として確立してきている。

このように感じたのは、アイボットは400万円という高価格のために日本市場から撤退したわけであるが、世界で初めてオランダで実用化に成功した障害者用のロボットハンドであるマーヌスが、結局、日本の市場に上陸できなかったのもほぼ同時期であったためである。HCR(国際福祉機器展)に出展されていたマーヌスの価格は約350万円であったと記憶している。なお、マーヌスはいまだに商用化には成功しておらず、応用開発がヨーロッパの共同プロジェクトとして現在取り上げられており、研究用機器としての価格は5万ユーロ(約700万円)とのことである。

イノベーションモデルによれば、新たな技術シーズから生み出された製品は最初のうちは高価であるが、普及とともに量産効果によって価格が低下し、さらに普及を加速すると考えられている。しかし、あまりに高価で市場に参入できないのであれば、普及どころか量産効果もおぼつかない。アイボットとマーヌスの教訓は、直接的には高価な福祉機器は市場が受容できないという点に尽きる。

実は、この点がイノベーションモデルに立脚した福祉機器開発が陥りやすい落とし穴である。また、この点は福祉機器を医療機器から区別するポイントでもある。すなわち、医療機器においては、多数の患者の診断、治療に使うために、一人あたりのコストで考えれば必ずしも高価ではなくなる。しかし、福祉機器の場合は個人が身体条件に適合させて日常的に使用するものであるから、個人用の機器としての支払いが可能であることが必要である。このように考えると、アイボットとマーヌスの教訓はイノベーションモデルが崩壊したことではなく、そもそも福祉機器にイノベーションモデルの牽引役を果たすと期待したのが誤っていたということになる。つまり、そもそもメインストリームのモデルを、そのまま福祉機器に持ち込んで通用すると考えていたのが間違いなのである。

イノベーションと福祉機器

そこで、福祉機器はイノベーションの上流にあるわけではなく、イノベーションの下流にあると考える。このことは、メインストリームにおけるイノベーションによって新たな先端技術が一般に普及し、福祉機器として利用できる程度に低価格になってはじめてそれを利用した福祉機器が現実的になることを意味する。

マイクロプロセッサーを利用した機器はこの代表例である。トーキングエイド、スピーチオ、デジタル補聴器をはじめとするコミュニケーションエイド以外にも、電動車いすをはじめ、さまざまな制御装置にマイクロプロセッサーは活用されている。これらの機器は、メインストリームにおいて広く普及し、低価格となったために、福祉機器の領域においても活用可能となった例として位置づけられる。。

福祉機器がイノベーションの上流に位置できないのは、一般には特定の福祉機器を必要とする人数には限りがあるためである。数万人程度の市場規模では、通常の意味での量産効果は期待できない。福祉機器がイノベーションの牽引役とはなりえないのはこのためである。

市場規模が十分に大きければ、福祉機器もイノベーションの上流を占めることができる。ユニバーサルデザイン製品は、多数の使用者が期待できるためにこのような可能性がある。このような具体例として、最近普及の始まったGPS付きの携帯電話を挙げたい。GPSを利用したシステムは、認知症による徘徊老人の探索に有用であるとして、10年あまり前から開発、試用が試みられてきた。GPSセンサーの小型化が進み、徘徊老人のみならず、子どもの安全からアウトドアスポーツ用へと応用が広がってきており、典型的なユニバーサルデザイン製品としての普及が始まっている。

GPS付きの携帯電話は、先端技術と福祉機器開発の関係についてのもう一つの観点である環境要因との関連を示している。一般に、環境要因の変化がかかわる福祉機器においてはユニバーサルデザインが求められ、結果的に環境要因の技術革新となる場合がある。GPS付きの携帯電話の場合は、GPS衛星と携帯電話網の整備が前提となる。このような環境要因を整備するための社会投資は、障害者のみを利用者として想定することは困難である。メインストリームにおける環境の整備がユニバーサルデザインとしての福祉機器を先端技術製品としての商用化を可能とする場合として指摘しておきたい。

先端技術としてのソフトウエア

これまで述べてきたことは、主として伝統的なハードウエア製品を念頭においたものであった。量産効果が必要であるのは、大量生産による価格低下が普及を加速すると考えるからである。これに対し、ソフトウエアについては、いったん開発に成功すれば、維持及び教育・訓練のためのコストは必要であるが、普及のための量産効果はハードウエアほどには必要としない。

最近の例では、デイジーを挙げることができる。デイジーは録音図書のデジタル化に始まり、最近ではディスレクシアや自閉症までを視野に入れたマルチメディア技術として進歩しつつある。コンテンツの制作や専用機の開発には量産効果が必要であるが、維持するだけならハードウエアほどには量産効果を要しない。今後は、ソフトウエア製品としての福祉機器にもこのような観点から注目していく必要があろう。

先端技術の研究開発プロジェクト

福祉機器に先端技術を育てる役割は期待しがたいと先に述べた。これまでの経験から、新たな福祉機器を市場に出す場合はできれば50万円程度、おそらく100万円程度を市場価格の上限として想定してきた。しかし、世の中には、とてもそのような価格では製造不可能としか思えない研究開発プロジェクトが見受けられる。

これらの研究開発は、直ちに実用化―普及の進展するものとは考えられない。これらの意義としては、何らかの意味で新たな可能性を示すことによって福祉機器の活用を拡大し、将来において利用者の生活の質を向上させる新たな道を示唆する点にある。アイボットの発表後、ほかの手段によって階段昇降、昇降座席などの機能を持った電動車いすが商用化されたが、アイボット自身の市場化は困難であっても、そのような技術開発の刺激を与える役割は果たしたのである。

この種のプロジェクトに関して、すぐにも「夢が実現する」かの如き誤解を与える言動に接することがある。かつて、そのままでは商用化は不可能と思われた開発プロジェクトが障害者に被験者として協力を求め、すぐにも利用できるとの印象を与えていたために、被験者から非難を浴びた例があった。このような誤解は避けるべきであり、そのためにも、ユーザー参加のプロジェクトを推進するとともに、臨床評価の倫理審査においてこの点を含めた審査をすることも必要であろう。

メインストリームからの技術転移

以上のようなわけで、我々が現実的に普及を視野に入れることができる先端技術は、主としてメインストリームで普及の進んだ技術となるのが通例である。この観点から、私が注目しているメインストリーム技術について最後に言及しておきたい。

それは音声認識技術である。音声認識は、音声言語の文字変換など聴覚障害者の福祉機器のために期待されている技術であるが、メインストリームにおける近年の進歩が著しい。技術的なブレークスルーとしては、不特定多数の話者の音声認識が当面の課題とされている。

一方、脳性マヒ者をはじめとして運動機能障害のために発音が不明瞭となる発話障害のある人のためには、特定の人の特殊な発話に対する音声認識が必要である。現在の音声認識技術は、可能な限り多数の人の平均的な音声の認識に向かっていて、特殊な発話に特化した音声認識技術には向かっていない。音声認識技術が今一歩進歩するとともに、このような特化した発話の認識を可能とするソフトウエア技術が完成するのもそう遠くはないであろう。この技術は、発話障害のある人のコミュニケーション支援に新たな段階を迎えるであろうし、その技術をメインストリームにフィードバックする可能性も想定される。

このように、完成に近く、それによる福祉機器の急速な普及が見込まれるメインストリーム技術からの技術移転を優先的に位置づけたいと考えている。

(やまうちしげる 早稲田大学特任教授)