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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2006年8月号

1000字提言

社会参加の諸相3―「国道7号線」はどこに向かうのか

旭洋一郎

国道7号線といっても新潟から青森までの道のことではない。2000年ベルリン映画祭で観客賞を受賞したフランス映画「ナショナル7」のことである。南フランスにある障害者の生活施設を舞台に、施設利用者と施設スタッフの、施設利用者の性的欲求を巡って(むろんそれだけではないが)展開される実話に基づいた映画である。恋愛とか男女交際とか、オブラートで包まずに、コールガールを登場させ、端的に課題の実態を描いており、訝しく思う人もいたかもしれないが、日本各地でも上映会が開かれ好評を博した。そして問題は「その後」である。

ここ十数年でインターネットの普及とあいまって障害者の性を語ることができる環境が広まった。日本において「ナショナル7」の役割を果たす書籍も数冊出版された。中でも河合香織「セックスボランティア」(04年:新潮社)と大森みゆき「私は障害者向けのデリヘル嬢」(05年:ブックマン社)はルポライターとサービス当事者の違いはあるが、それぞれリアルな状況を描いてみせてくれ、現場関係者と障害当事者には刺激を与えたはずである。では何が変わったと明確に言えるであろうか。

私は講義の中で十数年前から障害者の性を取り上げている。5年前からは専門科目も担当し、性の多様性とマイノリティのセクシュアリティをテーマとしてきた。その中で私の講義を履修する学生というきわめて偏ったサンプルではあるが、関心を持つ学生が約3割程度存在すること、障害者や高齢者と性欲とを結びつけて考えてこなかった学生が約6割存在することがわかり、また高校までの性教育が貧困であることも見えてきた。不思議にも感覚的印象であるが5年前と変化はない。いわば先端部分と日常的部分の格差が拡大しつつある印象である。造成工事をしてもいつまでも本工事が始まらない、そんなイメージである。ではなぜそうなのか。論証抜きで結論だけを述べる。

まず、障害者の性というテーマが性欲の解消ということに収斂されており(重要であるが)、その構造と背景になかなか関心が向けられてこなかった点である。理屈では、人間の性の局面であることは理解されていたはずだが、特に男性一般の持つ問題との共通性に気づいた者は性風俗業者以外にはそう多くはいなかった。

そしてやはり人間の性に対する認識不足である。現代の日本人は悩みの位置を正確に把握できない状態に置かれている。「若者の性行動の暴走」を問うことは必要であろうが、どれだけの成人男女が自分自身の性と向き合っているのであろうか。

国道7号線の整備は、障害の有無に関係なく、我々一人ひとりの足下から始めねばならないようである。

(あさひよういちろう 長野大学社会福祉学部教授)