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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2006年8月号

ワールド・ナウ

インドネシア初の自立生活セミナーとピアサポート研修

福田暁子

2006年6月3日、インドネシアのバンドンにおいて、インドネシアで初めての自立生活セミナーが、バンドン自立生活センター(BILiC)主催で、ハンディキャップインターナショナル・インドネシア支部「草の根援助プログラム」の助成のもと開催された。また、並行して4日間にわたりピアサポートに関するトレーニングも行われた。

バンドンはインドネシアの首都ジャカルタから南西へ170km、約2時間半高速道路を走った西ジャワに位置する人口約200万人の高原都市である。衣料品の工場が多く集まり、週末はアウトレットへの買い物をめざして国内のみならず周辺諸国からも多くの人が訪れるため、人口は2倍になり、かなりの交通渋滞を引き起こす。

自立生活セミナーの内容

オープニングに引き続き、午前、午後の2つのセッション、続いて自立生活のドキュメンタリー映画が上映された。障害当事者、障害者を持つ家族、政府関係者、特殊教育関係者等、全部で70人ほどが参加した。

午前中のセッションではBILiCのメンバーであり、ダスキン・アジア太平洋障害者リーダー育成事業第3期研修生のチュチュ・サイダ氏が自立生活モデルをリハビリテーションモデルと比較しながら発表した。その後、筆者が自立生活の歴史と概念について、APCD(アジア太平洋障害者センター)制作のタイの自立生活実践者の様子を紹介した映像とともに発表した。最後にノルウェーのIDP(International Development Partners)という開発コンサルタント団体のタージェ・ワテールデル氏が、インクルージョンの考え方と自立生活との関係について発表した。

午後のセッションでは、2人の障害者が自分の実際の生活と自立生活について発表した。1人目はBILiC代表のファイザル・ルスディ氏である。彼は脳性マヒによる四肢障害をもっており、常に介助を必要としている。口に絵筆をくわえて描くアーティストである。

彼は「自立生活を始める前は、自分は自立とは無縁の存在だ、何もできない存在だと思われていた。養護学校に行っていたが、そこでは先生たちは抑圧的で、ADL(日常生活動作)を学ぶことばかりに焦点をおいていた。学習ができるということは無視されていた。僕みたいな障害者は教育的に人間として人権が無視されている」と発言した。

しかし、「今、自分は家族のサポートの下に介助者を使えていて、幸運である。自立生活は自分がどう自己決定するのかを表すものだと思っている。実際、自分より障害が軽い人はいっぱいいる。自分はいつも介助者を必要とするので、他の障害者よりも自立は難しいと思われがちである。でも実際、自分は社会参加もしている。介助者が必要な人は使うべきである」と述べた。

また、アドボカシー運動については「バンドンではまだアクセスが悪い。介助者がいればとりあえず何とか不便を補うことができる。しかし、アクセスが保障されていないということは、自分たちの自立生活を妨げる要因となっている。自分たちは自己決定をしていくことに努力している。しかし、しばしば自分たちの活動をしていくなかで、偏見の目で見られることがよくある」と述べた。

2人目はトノ・ラウマッド氏である。彼はバンドン教員養成大学で音楽講師をしている。全盲の彼は、大学で教える傍らラジオなどでDJとして活躍している。彼は、妻のガイドで歩いているが、それはイスラム教文化では特別の目で見られることがあるとのことだ。見かけだけでは盲人とわからないこともあるので、異性との近距離での接触はモラルがないと軽蔑されたりすることがあるという。視力を失ったとき、彼の家族は付き添いなしでは外出を許さなかった。しかし、思い切って飛び出してみたら危うく事故に遭いそうになったそうだ。

彼は歩行訓練を受けたこともなかったし、いまだに点字も読めない。コンピュータは使うことはできるが、コンピュータを使うために必要な音声ソフトは大変高価である。彼は、「ある時、大学院に行きたいと思ったが、視覚障害を理由に断られた。目が見えなくても学ぶことはできる。問題は社会が障害者のことを知らないし、また、私たち自身も社会のことを知らないことがあるのではないか。お互いに一方通行なのである」「情報へのアクセスは重要である。ほとんどの人が障害者に関する法令等を知らない。情報へのアクセスが欠如していることはいろいろな弊害を引き起こす」と言っていた。

最後に、西ジャワ・条例策定委員会の委員長アイ・ヴィヴァナンダ氏が障害者の施策について述べた。彼はまず、なぜ障害者(インドネシア語でpenyandang cacat)という言葉の中にcacat(害)という言葉を使うのか、という問題提起をし、社会の中に存在している障害者に対するスティグマの存在を指摘した。彼は「障害を問題として捉えていて、障害者は問題を抱える人と社会は考えている」「政府では社会福祉省のみが障害者施策を担っている。すべての市民は障害の有無に関わらず、交通、教育、情報、あらゆる分野において権利を持つのだから、それらのアクセスの保障に関して、それぞれ各省が関わらなければならないと思っている」と発言した。

障害者に関する法律はインドネシアではいくつもあるそうだ。それらの法律は障害者の権利を保障しているとのことである。私は、インドネシアには障害者のあらゆる人権を保障する法律があると聞いて驚いた。しかしながら、確実に施行されてはいない。イスラム教礼拝所のモスクですらアクセス可能ではなかった。また彼のオフィスは2階にあり車いす利用者は行くことができず、恥ずべきことだと思っているそうだ。政府が他の場所のアクセスを指摘する前に、まずは政府から始めないといけないのではないかと提言した。

各セッションの後、それぞれ1時間ほど質疑応答とコメントの時間が設けられた。「障害をもったことは神が運命付けたことなのだから、障害から得るものはないか、自問自答していくことが必要だ」というコメントは、イスラム教が強く反映していると思えた。「若い障害者がわがままになってしまうという観点から自立生活はよくないのではないか」という質問もでた。自立生活はわがままとは関係はなく、一人の人間として権利を享受する方法であるという回答をした。

また、「自立生活というのはサービス提供なのか、それとも権利活動なのか」という質問もでた。自立生活センターとはアドボカシー運動体であるとともに、障害者の立場からの地域におけるサービスの提供者であるという説明をした。インドネシアでは、全般的に「自立」と「生活」という二つの言葉が結びついている「自立生活」という言葉自体が新鮮なようで、その概念までを理解するのは難しく、今セミナーでは本当に触りにすぎず、今後の効果的なフォローアップが不可欠であろう。しかし、障害当事者がイニシアティブをとって社会変革をめざして、政府関係者等を取り込んで動き始めたことは高く評価できる。

ピアサポート研修の内容

12人の障害が異なった障害当事者が4日間の研修に参加した。研修はとても集中していて朝8時から夜8時まで、食事、休憩、祈り以外の時間がすべて研修に注がれた。アイスブレーキングに始まり、カウンセリングの基礎、ピアの役割、セルフ・エスティームについて、サポートグループについて、家庭訪問の手法の順に行われた。ファシリテーターはミトラ・メトラ(インドネシアの視覚障害者協会)のカウンセラーのトルハス氏が行った。彼は視覚障害者である。グループやペアでのアクティビティ、ディスカッション、ロールプレイなどを上手に利用していることに感銘を受けた。

私も通訳を交じえながら参加させてもらったが、研修生たちは日頃、手作業などをしていることが多く、「深く考える」という習慣があまりなく、集中して考えること自体が大変疲れる作業のようであった。しかし、終始和やかな雰囲気の中で研修は行われた。

今後、それぞれの研修生は1か月間の研修のまとめと準備の期間を経て、7月より本格的にピアサポートを始めていく予定である。研修生はそれぞれ自分の地区で、家に閉じ込もっている障害者を2人ずつ探しだし、接触していくことが課されている。それを毎週レポートとしてBILiCに提出し、月に一度集まって話し合いを行っていく予定である。

セミナー開催の経緯とBILiCについて

BILiCはチュチュ・サイダ氏がダスキンの研修事業を終えて帰国後に、バンドン工科大学のアクセスに関するセミナーで日本の経験について発表したのを機に、学生や障害者が集まって結成された。実際に団体として登録されたのは2005年初めである。ファイザル・ルスディ氏の家の1部屋を事務所としているが、まだ机も十分なスペースもなく、車いす利用者も床に座るか這うかしながら活動している。

今回、自立生活の啓発をめざしたセミナーとそのフォローアップのための研修を組み合わせたプログラムとして、初めて助成を受けることができた。今後もアドボカシー運動を展開しつつ、まずは障害者のネットワーク作りを通して、将来的にはサービスを提供できる団体へと発展していくことを期待している。また、今回のセミナーを受けて、西ジャワ州では障害者政策ガイドラインを作成することが決定し、BILiCはその過程に参加することになっている。

(ふくだあきこ 前障害者インターナショナルアジア太平洋開発事務局地域開発担当官補佐)