音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2006年11月号

1000字提言

ノーマリゼーションについて(軽度発達障害を中心に)

市川宏伸

障害者自立支援法ができて、肢体不自由、精神障害、知的障害が“横並び”とされている。また、発達障害者支援法が成立し、知的障害がなくとも行動や対人関係などで極端な困難を抱えている人たちへの支援にも目が向けられるようになった。子どもの精神科で最近、話題になっている“軽度発達障害”を中心に、ノーマリゼーションについて考えてみたい。

本来、発達障害には、肢体不自由、視覚・聴覚障害、知的障害などが挙げられたが、発達障害者支援法でいう発達障害は、知的障害を中心に考えており、“軽度発達障害”の軽度とは、「知的障害はほとんどないか、あっても軽微である」と考えられる。

これまで、社会的援助は福祉・教育を中心に、知的障害の程度を基準として行われてきた。福祉では、知的障害者療育手帳があり、知的障害の程度を中心に4段階に分けられていた。しかし、知的障害者(児)を援助する側の実感からすると、社会的援助の必要度はこの区分に並行しているとは考えられなかった。そのため、“強度行動障害”という概念が作られ、その程度に応じた“強度行動障害者”対象事業が行われるようになった。

また教育では、就学・進学判定が行われ、これまでは主に知的障害の程度により、通常学級・特殊学級・養護学校と分けられていた。ところが、知的水準が高いと判断されて、通常学級に在籍する子どもの中からさまざまな“問題”が生じて、時には学級運営がうまく行かない例も出てきた。大きく括れば、「知的障害がなくても行動上や対人関係で問題を抱えている人たちへの援助が不十分であった」ということの表われに思える。

“軽度発達障害”と呼ばれる人たちは、幅広く連続体(スペクトラム)と考えたほうがよさそうである。これらの人たちは、「発達期に明らかになるが、対応によっては、援助が不必要になることもある」、「経過によっては、思春期以降に、社会生活が困難になることもある」と考えられ、途中での変化もある。「ブロードバンドであって、その中でも可変性がある」と考えられそうである。

“障害者かどうか”という質的論議ではなく、量的論議が必要であり、障害者(児)のその時期に応じた支援が必要になってくるのではないか。この点を考慮したノーマリゼーションの考えが必要であろう。

(いちかわひろのぶ 東京都立梅ヶ丘病院院長)