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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2007年1月号

条約実施における国内課題
―差別禁止法の制定―

東俊裕

障害者の権利条約における差別禁止に関する枠組み

今回第61回国連総会で採択された本条約は、非差別と平等に関する第5条1項において、「締約国はすべての人が法律の前及び下において平等であり、かつ、いかなる差別もなしに法律の平等な保護及び利益を受ける権利を有することを認める」とし、同条2項において、「締約国は、障害に基づくあらゆる差別を禁止するものとし、また、障害のある人に対していかなる理由による差別に対しても平等のかつ効果的な保護を保障する」と規定し、障害を理由とした差別を受けない権利の存在を確認した。

そして、この差別を受けない権利や本条約上の他の権利が保障されるために、本条約は、締約国の一般的義務に関する第4条1項(a)において、「この条約において認められる権利を実施するためにすべての適当な立法措置、行政措置その他の措置をとること」、同項(b)において「障害のある人に対する差別となる既存の法律、規則、慣習及び慣行を修正し又は廃止するためのすべての適当な措置(立法を含む)をとること」、さらに同項(e)において、「あらゆる人、機関又は民間企業による障害に基づく差別を撤廃するためのすべての適当な措置をとること」を締約国が即時的に実行すべき(同条2項)義務としたのである。

また、本条約は、第2条定義において、「『障害に基づく差別』とは、障害に基づくあらゆる区別、排除又は制限であって、政治的、経済的、社会的、文化的、市民的その他のいかなる分野においても、他の者との平等を基礎としてすべての人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを害し又は無効にする目的又は効果を有するものをいう。障害に基づく差別には、あらゆる形態の差別(合理的配慮の否定を含む)を含む」と規定して、障害に基づく差別が差別の意図を有する差別だけでなく、意図はなくても差別の効果が生じる場合も差別であること、さらには、異なる取り扱いだけではなく、合理的配慮がなされない場合も差別であることを明言した。いわゆる間接差別については、明文として挿入されてはいないが、解釈上あらゆる差別に含まれることになった。

さらに、同条は「合理的配慮」についても、「特定の場合において必要とされる、障害のある人に対して他の者との平等を基礎としてすべての人権及び基本的自由を享有し又は行使することを確保するための必要かつ適当な変更及び調整であって、不釣合いな又は過度な負担を課さないものをいう」という規定を置いて、その内容を明らかにし、かつ、第5条3項がこれを受けて「平等を促進し及び差別を撤廃するため、合理的配慮が提供されることを確保するためのすべての適当な行動をとる」ことを締約国の義務としたのである。

これらの非差別に関する規定は、総則に位置するので、定義においても明らかであるが、あらゆる場面、あらゆる権利の享有に適用されることになる。

そもそも、本条約は、障害のない人が有する権利以上の特別の権利を障害のある人に付与することを目的とするものではない。障害のない人が有している権利が障害ゆえに障害のある人には保障されず、不平等な状況にあるという現実を前提に、どうしたら他の人と実質的に平等な地位を確保できるかという観点から、本条約は、あらゆる場面、あらゆる権利の享有における差別を禁止しようとするものであり、これが本条約の基本的なコンセプトとなっている。

従って、本条約の第10条「生命への権利」から第30条「文化的生活等への参加」に至る各論においても、前記の不平等な状況にあるという現状認識がベースとなっており、多くの条項はそれぞれの場面に特化した形での差別禁止の趣旨が盛り込まれている。このように差別の禁止は、総論のみならず各論全般にわたって、その趣旨が貫かれているのである。

なお、第5条4項は、「障害のある人の事実上の平等を促進し又は達成するために必要な特定の措置は、この条約に規定する障害に基づく差別と解してはならない」として、たとえば雇用割当制度が本条約に抵触するものではなく、むしろ本条約と調和すべきものとして位置づけられることになった。

以上が、本条約における差別禁止に関する仕組みの枠組みである。

国内差別禁止法制定

(1)日本の現状

日本においては、憲法の平等条項を別とすれば、障害のある人の差別を受けない権利を認める法律はいまだ存在しない。しかし、世界では、1990年にアメリカでADAが制定された後、ADAタイプの差別禁止法や差別禁止に関する何らかの規定が40か国以上で制定されたという。日本でも、国際障害者年以降、新しい法律の制定や従来の法律の改正、制度の変革が行われている。しかし、たとえば、従来の雇用促進法だけでなく、改正された障害者基本法も、新しいバリアフリー法にしても、内容的には、従来の保護法の枠を越えるものにはなっていない。障害のある人を主体とした権利を認める権利法は、依然として日本には存在しないのである。

(2)差別禁止法の制定の必要性―なぜに差別禁止法は必要か―

1.実体規定(ものさし)の不存在

そもそも憲法第14条は、あらゆる個人が差別を受けない権利を有していることを明らかにしているが、非常に抽象的であり、その趣旨を具体化する法律なくしては実効性を有し得ない。たとえば、教育、労働、交通、建物、コミュニュケーション、政治参加、社会生活、契約、サービスなど、差別の存在する分野はあらゆる方面にのぼるうえ、差別の内容も場面ごとに違った形で現れることが多い。

従って、各分野における差別がどのようなものであるのか、分野ごとに差別を類型化して、分野ごとに分かりやすい具体的な定義を有する差別禁止法を作らなければ、単に差別を禁止するというだけでは、多くの個人にとって、何が差別であり、合理的配慮なのか、分からない。すなわち、抽象的に差別を禁止するだけでは、個人が行動を起こすときの判断基準として機能しないのである。

差別禁止法が無いということは、現在の車社会で例えると、道路交通法という具体的な車社会のルールを作ることなく、自己の良心と経験のみで、たとえば交差点で止まるかどうかとか、どの程度のスピードを出してよいかなどを判断し、危険な運転をしないように優しい心を持って運転しなさいというに等しいのである。

このように、一定の目安、基準、物差しがなければ、いくら優しい心を持ちなさいという人権教育をしても社会状況は変わらない。セクハラによる人権侵害という事態は、古今東西、どこにでもあった話であろう。しかし、単なる倫理感ではこれが無くならず、セクハラを禁止する法律の出現をもってはじめて、社会がこれを社会最低限のルールとして受け入れるようになったのである。社会の約半分を占める女性に対する人権侵害でさえ、法律の制定を要したのである。ましてや、障害者はいつの時代にも少数である。障害のない人が頭の中で描く差別と実際障害のある人が生活上経験を通して感じる差別との間には、大きなギャップがあるのである。差別をなくすためには、このようなギャップを埋め、客観的な判断基準を一般社会に提供する法律の制定が必要不可欠となるのである。

2.福祉立法の無権利性と司法救済における裁判規範性の無さ

日本の福祉の本質は、最低限度の生活水準さえ侵しかねない脆弱さを有する恩恵性、無権利性にある。前述した数多くの福祉関係立法も、障害のある人個人に何らかの権利を付与する法律ではないのである。そして権利と言えなければ、司法に救済を求めても、裁判所は、それらの法律を根拠(裁判規範)として、救済するということはできないのである。

実際、障害問題を巡る多くの裁判では、福祉関係立法に権利救済の根拠となるべき裁判規範性が認められることは極めて少ない。現在の日本の法体系では、JRに障害者が利用できるトイレやエレベーターの設置を求めても、合理的配慮を求めるだけの規範性はないとして敗訴せざるを得ないのが現状である。典型的な差別だけが民法第90条の公序良俗や第709条の不法行為を通じて若干の損害賠償を得たり、不当解雇として救済がある程度である。多くの場合、差別を是正することを司法救済に求めることは極めて困難な状況にあるのである。

このように、障害のある人への人権侵害は、本来最終的な救済を担当する司法の場面でも救済することが困難な状況にあるのである。やはり、これらの根本的な原因は、差別に該当するかどうかの要件を定める規定だけでなく、差別に当たるとされた場合に、どういう法的救済ができるのかを定めた差別禁止法が無いからにほかならないのである。

3.行政救済機関の不存在

ADA等の差別禁止法は、最終的には司法救済がなされる構造となっているが、司法救済に行く前の柔軟で早期の解決を図るための行政救済規定が用意されており、多くの場合、この行政救済システムで柔軟な解決が図られているようである。司法救済は、時間的にも経済的にも精神的にも大きな負担を伴うものであり、しかも必ずしも柔軟な解決には適しない面があるので、権利救済に当たって、行政救済システムの果たす役割は、極めて大きいものがあるのである。しかし、日本にはいまだ、障害者の人権に関する限り、このようなシステムがないのである。

条約の国内実施

日本政府は、一貫して本条約の策定と批准に向けて積極的な姿勢を見せている。この点は高く評価されるべきである。しかし、問題は、国内批准に向けて、具体的にどのように国内法を整備していくかにある。前述の通り、差別禁止法無くしては、差別を無くしていくことは不可能である。従って、本条約批准における日本政府の最大の課題は差別禁止法の制定である。

2001年国連の社会経済理事会は、日本政府に対して、障害のある人への差別禁止法を制定するよう勧告した。にもかかわらず、日本政府は何らその勧告に応えようとはしていない。本条約が採択された今日においてもなお、立法措置を講じないようであれば、日本政府自身が障害のある人に対する人権侵害を故意的に放置していると非難され、条約を批准する資格はないと言われても仕方のないことである。条約の批准と国内実施は、差別禁止法の制定にかかっているといっても過言ではない。

(ひがしとしひろ 弁護士)