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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2007年1月号

ワールド・ナウ

“地域福祉活動は住民と共に”
~ボルネオ島イバン族の中での活動の試み~

中澤健

はじめに

ちょうど10年前、マレーシアのペナン島から本コーナーに寄稿した。当時はペナン島のUSM(マレーシア科学大学)を拠点に調査をしており、その年(1996)の9月にペナンにACSというNGOを登録して地域福祉活動を始め、同じ頃、日本には現地活動と共に歩む会としてNPO法人「アジア地域福祉と交流の会」(ACE)を立ち上げた。

マレーシアは、多民族複合国家、イスラム教国、東南アジアの優等生等として日本に紹介されている。実際、多民族、イスラム教が国教だが、信教の自由が保障されていて多宗教、多言語、多文化で面白い。が、何よりの魅力は、活気のある平和な国ということであろう。

ペナンに住んで10年、ACSの活動が地元住民の中に定着してきたのを機に運営を地元の人たちに託し、2003年にACEの活動の場を東マレーシア(ボルネオ島)のサラワク州に広げることとした。

本稿では、ペナンACSの活動を略記し、主にボルネオに焦点を当てて地域の特性や現在の活動準備状況、今後の活動への願いなどを中心に紹介させていただきたい。

ACSの地域福祉活動

マレー半島の西側、半島と橋で往来できるペナン島に、主に知的障害関係の地域福祉実践団体ACSが出来て10年が過ぎた。現在、地域分散型で次の事業を行っている。

  • 知的障害幼児の早期療育(“ファーストステップ センター”:街部の幼児対象の通園型施設)
  • 移動おもちゃ図書館(“ジョム”:主に交通の便の悪いところに、玩具などを車に積んで戸別訪問し、一緒に遊び、玩具の貸し出しなどをする)
  • 青年・成人の地域生活支援(“ステッピング ストーン”“ILホーム”:農漁村部の成人の職場および生活体験、文化活動の場。ILは自立生活)

この他に、街部の青年を対象に就労準備訓練としてステップセンターを運営したが、現在は休止中で、いずれ体制が整い次第再開の予定である。再開に向けての地域状況およびニーズについての調査はすでに終わっており、冊子(英文)にまとめられている。

なお、「青年・成人の地域生活支援」部門では、開設時から地域住民で構成される地域住民委員会が活動している。また、本人たちの会“Mutiara club”が誕生し、知的障害の本人たちの自主的なレクリエーションや製品販売活動、相互相談活動などを行っている。これら成人関係の活動は、日本郵政公社の国際ボランティア貯金の配分金寄付により行われた。

ペナンACSはこれまで、日本のACEからの支援金、来訪者からの寄付金、地元の人々からの寄付金で賄われており、政府からの補助金はゼロである。現在の利用者数は100人を超え(修了者を除く)、職員数は15人である。

ボルネオ島の魅力

ペナン島は普通の世界地図では点にしか見えない小さな島であるが、ボルネオ島はどんな地図にも載っている世界で3番目に大きい島である。広い大地、悠々と流れる幅広い川、熱帯雨林と豊富な動植物、晴れた夜は広い空に降るような星の瞬きが美しい。そしてそこに暮らす人々は、マレー系、中国系もいるが、少数民族の人たちが多く、多数派はイバン族である。半島側同様多宗教だが、多いのはキリスト教徒であり、教会の建物が目立つ。台風や地震のような自然災害はほとんどない。人々は貧しいが心優しく、子どもも大人もうらやましいくらい仲が良い。

のどかで平和なこの土地が、かつて日本軍に荒らされた。地元の人たちは多くを語らないが、今も年老いた人々は日本人を怖がっている。ボルネオの人々が日本軍と戦わなければならない理由は何もなかったのだが、日本の軍隊が入ってきて規則を決め、それを守らないと、随分ひどい制裁が行われた。私の父もボルネオで日本の兵士の1人だった。そして、終戦の4日後に戦死した。不純かもしれないが私には、この地での活動に償いに似た思いが含まれている。実際には、地元の人々の大きな協力があって進めているのだが。

ボルネオでの活動

ボルネオの活動地は、サラワクの州都クチンから空路で40分、シブという人口32万人の街から車で約1時間奥に入ったカノウィットのバワン地区。近くに17のロングハウスがあり、そこに住む人々は皆イバン族で約2000人。近くに学校はあるが、福祉施設などはなく、そもそも電気も来ていないし電話もない。電波がなくて携帯電話も使えない。

2003年9月にペナンから州都クチンに移り住み、クチンと近郊の町や少し離れた村で実情の把握を始めた。そして、いくつもの偶然が重なって、現在活動拠点として準備しているイバン族の村にたどり着いた。そのロングハウスの家長の勧めでそこに一戸を建て増し、16番目の家族になった。住人全員の賛成がなければ建て増しは許されないが、幸いにして約90人の住民全員が歓迎の意を示してくれた。

家長(Tuai Rumah)の協力で近隣のロングハウスの人々の暮らしの調査をさせてもらって住民と親しくなりながら、ロングハウスの増築工事を行い、活動方針を立てた。まず初めに通いやすい場所にデイセンターを建てること。これは村人がだれでも利用できるものだが、学齢であるのに学校に行けない子、障害のある子または成人、職のない人、高齢者等々、だれでも通え、楽しむこと、出会うこと、生産すること、訓練を受けること、みんなと一緒に過ごすこと……。そのために、イバンの人々やシブの町で専門的に福祉活動をしている人や理解のある人に役員を引き受けてもらい、新しいNGOの申請をしたのが2006年2月。土地の造成を始めたのがその少し前。関係者の努力で、9月にはNGOの承認を受けることができた。名前はRajang central zone Community Service Association、略称は、“RCS”。サラワクで最も長いRajang川流域で地域福祉活動を進めたいと願っている。

RCSの最初の活動であるデイセンターの建設は建築会社に任せるのでなく、地元の人たちと私たち、また日本の若者たちと一緒にやろうと計画し、すでに2回ワークキャンプを実施した。第1回はACE主催で、ホームページで若者たちに参加を呼びかけ、集まった7人で2週間実施した(8月)。若者たちはロングハウスに泊まり、日中は地元の人たちとジャングルから木材を運び出し、柱を立て、セメントを混ぜて上棟式までこぎつけた。共に汗を流し、夕方はロングハウスの子どもたちと遊び、夜は熱心に討論をした。11時に発電機を止めると真っ暗闇。数え切れない星が、サラワクの大きな空を被う。ローソクの灯だけで、昼の疲れも忘れて話し込んだ。

2回目は12月、読売新聞光と愛の事業団が企画した海外ボランティア研修。10人の若者が、セメントを混ぜ、レンガを積み、ジャングルでの作業もした。生コン車8台で床をつくり、レンガを積んで壁をつくった。

8月のキャンプの後、現地の新聞にRCSや日本の若者の活動が紹介されるや、日本人が頑張ってくれているのに地元の人間が黙ってはいられないと、先の生コン車8台、レンガ1万個、天井板400枚、砂車6台などが寄付された。地元のライオンズクラブも動き出した。地元や日本からの寄付や労力提供で、イバン族の村でデイセンター建設が進んでいる。

今後の活動の夢

2007年末にはデイセンターを完成させたい。その後のセンター周辺の整備計画もあるが、いずれはRajang川のさらに上流のロングハウスに住む障害児たちに、遊びや音楽等を届けたい。ここはボートしか移動手段のない地域である。いつの日か、トイ・ボートやセラピー・ボート、ミュージック・ボートなどがこの地で活躍する日が来ることを願っている。

調和、自立(まとめに代えて)

同じものでくくらない、囲いをつくらない、壁をとり垣根をはずす、ボーダレスの考えを基本に置いている。「違い」を大切にする。違ったものがそれぞれの特性を生かす。みんな同じだったら生まれようのない心地よい音色、新しい世界が創られる。デイセンターを“MUHIBAH”と名付けようかと相談している。これはマレー語だが、英語のHarmonyの意味である。

このマレーシアという、多民族が平和に暮らしている、世界のモデルのような国にあるのは正に“調和”である。時に不協和音らしきものが聞こえるが、Caring Societyをめざす国民のたくましさが、不協和音をかき消す。ボーダレスを基本にしながら、「自立」をめざして私たちの活動は続く。自立とは、世話にならないことではない。不完全な人間が、助け合って補い合って、Harmonyを生むことこそ自立である。

10年前にできた私たちの会(ACE)は、その後NPO法人となり、現在の会員数550余人となった。ご関心を持っていただけたらうれしい。

HP:http://www5f.biglobe.ne.jp/~ace-jps/

Eメール:日本語/英語
(rcsken@myjaring.net kenkn@tm.net.my acsjap@po.jaring.my)

(なかざわけん NPO法人アジア地域福祉と交流の会)