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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2007年2月号

1000字提言

バランスの取れた政治を

野村和志

私が障碍年金を受け始めたのは今から36年前の1970年秋頃だったと思う。母子家庭の私の家は間借り住まいで経済的に苦しく、成人したとは言へ障碍者の私が自由になるお金はほとんど無い状態でした。そんな中での障碍年金はうれしいものでした。月額はもう覚えていませんが、2~300円だったと思います。その年金は就学猶予だった私の学力を取り返すための通信教育費に母が充てていたものです。

年金を受け始めた1970年代は、地方や国レベルでの議会選挙があるたびにマスコミ等の報道で「福祉の充実を!」の文字が目に耳に聞こえていました。それに応えるか?のように、あるいは時流に乗っかるかのように各政治政党も「わが党は福祉国家の実現に真剣に取り組みます」と訴えていました。

当時の政党は自民党、社会党、公明党、民社党、共産党、その他に小さな党など数多くあり、選挙のたびに過半数は「与党か野党か」の報道が賑わっていました。それにこの頃は東京、大阪、京都、福岡など大都市の知事は革新系が多くて、そしてその街の福祉制度は他の自治体よりも進んでいました。特に東京都は、本来国が取り組むべき制度を先進的に行っていて地方に住む私には羨(うらや)ましいほどでした。

翻って現在を見ると、当時とは隔世の感があります。国政の世界は実質二大政党になり、どちらが政権に就けば社会が良くなるのか私には見えなくなりました。美しい国造りとか教育の改革とかの法文を読めば、私が生まれる前の時代を想像させたりもする内容です。

福祉制度を見ても波の高低はありましたが、経済成長を続けている国とはとても思えないような低い水準です。私には身に覚えの無い国の借金の煽りを受け、財政削減が目的だけのような福祉制度の改変がこの数年次々と行われています。

介護保険が始まって数年、福祉制度は在宅関係が昔よりも改善され、施設か地域生活かの選択もできるようになりつつあります。しかしこの1年内、その選択も怪しくなってきました。またもや施設での生存しか選べない社会の再来かと私は案疑しています。

制度の充実と政治の関係は当然ですが、密接なものです。曲がりなりにもここまで漕ぎつけた福祉制度にブレーキが掛かりつつある原因は、今のような選択数の少ない政党議会制と選挙制度にもあると思います。選択肢の少ない状況の弊害は、人や制度や社会に対しても同じ作用をすると思います。

政治の世界もやはりバランスの取れた状況が必要だと思います。

(のむらかずし CIL宇部)